医療職の人が出入りする。
介護されている家族がいるからなんだけど、
1人、とても面白い人がいて、
(仮にO氏という)
家族の反応がよい。
O氏がくると寝ていても起きてくるし、家の中が明るくなる。
しかし、
O氏の話の内容は、
ないよう、というぐらいかなり意味がない。
自分のプライベートのことと連想して話を進めていく(自分の家族とか)
とりとめのなさがあって、
とりとめのなさがあって、
どれも特に意味はない。
意味がないことが見事と言っていい。
意味がないことが見事と言っていい。
しかし、会話に、どれも意味がある必要がない。
ときには意味のない会話が必要であること
ときには意味のない会話が必要であること
その根底になにがあるかだけが重要なのだ、
という事を思い起こさせる
O氏は心根が優しい。
励ましたい、元気付けたい、
親切心、ほのぼのとした無関心さ、
ふしぎな境界線の感覚など
その人の持つ持ち味は
どう特徴づけたらいいのか、
言葉では言いようのない能力なのだ。
今日、
O氏が、
同業者から「おまえはTPOがないからな」と言われたと
ぽろっと言った。
その同業者(仮にY氏と言う)という人を私も知っているのだが、
いわゆる仕事のできるひとで、医療職から、学校の教諭を務め、その協会の実力者でもあるようだ。
その「おまえはTPOがないからな」という言葉で、O氏が
「そうなんだ」と思いながら、
それをどう反省したらいいのかわからないと
それをどう反省したらいいのかわからないと
思ったことは想像に難くない。
日本人だからといって同じ言葉が別のひとにとって同じ意味をなさない
その人にとって「TPOが必要」という境界線の「重要性」を理解できない。
O氏の持ち味は「TPOを気を付ける」という心構えとは対極をなす。
それがある場面では威力を持つのだから、それでいいのだ。
持ち味なのだから、
無駄にわからない人(O氏へ)
(Y氏が)「反省を促す」「心を傷つける」ような批評をすることになんの意味があるのか、私にはわからない。
無駄にわからない人(O氏へ)
(Y氏が)「反省を促す」「心を傷つける」ような批評をすることになんの意味があるのか、私にはわからない。
Y氏は、その文法がO氏にはまったく通じないことを理解しないまま、ただ傷つける言葉を投げつけるのだ。
なんかマウント気質を感じる。
なんかマウント気質を感じる。
医療業界におけるそういう
「俺は勉強してわかっているけど、おまえはしていないからわからないよな」的な、マウント気質が、
いろいろな職種の
いろいろな階層同士の健全な意見交換を阻害している。
お互いに平等な関係性で前向きに、建設的に良い仕事にしていこうという流れを阻害している。
あの(偉い)先生の言うことなら、赤が黒でも仕方ないか、という感じになってしまう。
自分は勉強不足だから、というような引目があると、
あるいは立場が悪い人は 率直に意見も言えない。
「俺は勉強してわかっているけど、おまえはしていないからわからないよな」的な、マウント気質が、
いろいろな職種の
いろいろな階層同士の健全な意見交換を阻害している。
お互いに平等な関係性で前向きに、建設的に良い仕事にしていこうという流れを阻害している。
あの(偉い)先生の言うことなら、赤が黒でも仕方ないか、という感じになってしまう。
自分は勉強不足だから、というような引目があると、
あるいは立場が悪い人は 率直に意見も言えない。
本当に馬鹿馬鹿しい。
患者さんにとってもっとも良い結果を生むのかが大切なのだ。
根本的なことが違う。
誰がえらいのか、
というのが患者さんよりも前にある。それがおかしい。
だからこんなことになるのだ。
というのが患者さんよりも前にある。それがおかしい。
だからこんなことになるのだ。
そもそも、この人たちの業種で上に立ったからなんなんだ。
本当に役に立ってるのかと言いたい。
エビデンスエビデンスというわりに、なにも根拠も成果も
とくだん目を引くものがない。
特徴がある仕事をしている人のやっていることは
その業種だからといって特別なことではない。
根本的には、誰かの役に立てるようなソースを発見して
その場で力を発揮できるという判断力と能力があるかないかであって
その業界、その職種が特段優れているとは思えない
その業界のトップにいて、誰かを傷つけマウントするような言葉を投げるような人物が来ても
おそらく
うちの家族は、寝ていたら起きないし、
その人の指示には従わない
したがって、そのような人物は、私の家にきても
仕事ができないで終わる。
ただ、くるだけで帰っていく。何の成果も出さずに終わる。
人の心を動かすのは、人の身体を動かすのは、人であり、
業種ではなく、職能ではない。