宝塚の先生(名前は宮。。なんとかいう先生)
が、
忽那先生と
手を洗う なんとか という先生から
訴えられたのだという。
内容をざっくりみたが、
悪口の言葉 を残してしまったことが
訴訟できる、という内容になってしまったんだろうなあと
思った。
最近、
gooのブログの編集画面に入ると
突然 ブログの規約について書かれたダイアログが出てきて、
確認してほしい、とアピールしてくるのが気になっている
ここに書かれている内容については
著作権はあなたのものです。
誰か第三者の名誉や著作権などを傷つける投稿は禁止します
と
ざっくり言えば、これをおそらく 言いたいんだろうなと
もし、私がここで書いていることが
世間でいう「コロナ」の 「政府が出している正解」と一致せず
誰かを批判している内容で、誰かの名誉を毀損しているとなれば、
責任はあなたが負うのですよ、goo ブログではそれを禁止していますよ
ということが言いたいのだろうか、といつも思っている
現実的に、こうやって「言論の自由」が、訴訟という脅しで奪われつつある
訴訟を起こされると、どんなことでも相手をしなければならないので
とても損なのだ。お金も時間もかかる。
だからといって、
実際に起きていることをまったく無視して
意見も何も「思わないふり」ができるかというと、無理だ。
私たちにできることはいったいなんだろう
最初の頃、ネットそのものがそのうち検閲されることは目に見えていたし、
もしかしたら 公の法律さえどんどん書き換えられてしまうかも(ネット上で)しれないと思って恐怖した。
法律が書き換えられ、体制に都合のいい情報しか残らなかったら、私たちは太刀打ちできない。
Appleは都合の悪いアプリを削除する=体制側だし
マイクロソフトは ビル・ゲイツの支配下
Amazonも、Googleも。どれをとっても
私たち庶民の味方ではない。
(それを運営している社員の人々が個々人の意思を持たない限り)
(それを運営している社員の人々が個々人の意思を持たない限り)
できるだけ内容をぼやかして、いろんなことを書いてきたけれど、
事実は事実として、それは仕方ないとして
批判は 批判なので。
しかし
悪口 は
人の人格を傷つけるような(もし、その表現がいろんな人の想いを代弁している、非常に感情を的確に表していたとしても)言葉は
表現者にも不利に働くだろう。
言葉は上手に使わなくてはいけない
と
改めて、考えさせられた件
相手の人も「にんげん」なので
たとえ
「」と思ったとしても
「」と思うくらいに留めておくこと
その上で、どう自分たちの想いを表現していくか、
それを効果的に使うか
とんちを問われている。