飲食店の厨房でなにが繰り広げられているか知らない
場所によっては「見ぬもの清し」と言うけれど
見てないから
気にしないでいられるという事がある
ゴキブリが入ったかもしれない器や
親指がはいったかもしれないスープを
気にする事なく、信じて私たちは口にする。
それと同じで、
情報がどこでどんな風に汚染されているか
私たちは知らない
気配を感じるのみである。
そして
テレビや
そうした情報媒体を見なければ、
実に平和な気分で 生活をおくることができる
現在いる、田舎で
ローカル放送を久々に毎日眺めていて
思うところがある。
自分が、この地域にいたときの
なんとはなくの「孤立感・取り残され感」
外を知らないことのコンプレックス
外にいたからわかる。
この場所は素晴らしい。
ただ、このローカル放送のせいで、
この風景が、この地域が、この世界が毀損されていたことに
初めて気づいた
この奇妙な緊張感
背後にあるであろう「ローカルなオキテ」による支配
ウキウキもワクワクもない。
無意味な間と、奇妙なつくり笑い
おそらく、なんらかのルールが
私たちにこの奇妙な画面をながめさせ、
不必要なコンプレックスを植え付けていた。
この世界は美しい
この自然
この風土の美しさと
この作られた情報は別物なのだと
はじめて気づいたのだった。
しばらくテレビを見る事をやめ、
身の回りをとりまく自然と
親切な人々との交流を楽しもう
イメージが本物ではなく
現実と向き合うのだ。