来年2025年の4月から、大阪万博が開催される予定ですが、いまだにゴタゴタしている様で、本当に開催されるのか?
パビリオンの建設も間に合うのか?と心配になります。
今から54年前にも、大阪で「万国博覧会」が開催されましたが、その時は今回の様なゴタゴタは無かった気がします。
その当時、私は10歳で、小学校4年生でした。
1970年でした。
私は、この当時の万博のパビリオンのデザインに興味があり、SF的な奇抜なデザインに魅了されました。
連日、新聞などで報道される万博の記事を集め、パビリオンの写真を見ながら絵に描いたりしていたら、親が「それほど見に行きたいのなら」と大阪まで家族全員で3泊4日の旅行をすることになりました。
幸い、大阪に親戚が居たのでそこに泊めてもらい、3日間万博会場に通いました。
この時、父親がカメラを持っていたのですが、フィルムの感度調整を間違えたまま、写真を撮り続け、ほとんどの写真が黒くダメになりました。
この当時はフィルムカメラしかなかったので、フィルムを現像しないと失敗がわからなかったんですね。
残念ながら写真はほとんどダメでした。
しかし、現場のパビリオンでもらったパンフレットは、実際にその場に行ったという証拠になりました。
今回は、そのパンフレットを紹介します。
今現在も大切に保管しています。
その当時の新聞記事も取ってあります。
もう54年も前の新聞なので色も変わり、ボロボロになりそうです。
しかし、パビリオンのパンフレットは良い紙を使い、その当時の最新の印刷技術で印刷されていたと思います。
54年もたった今も綺麗な状態で保管されています。
パンフレットの一部です。
これは日本館のパンフレットです。
上の方に「佐藤栄作」元首相の写真が載っています。
私らの世代は、日本の首相といえばやはり「佐藤栄作」ですね。
今日の、読売新聞にも1970年大阪万博の日本館の記事が出ていました。
上の写真がそのパビリオンに入った時に、コンパニオンの方から頂いた物です。
各パビリオンに入場するとコンパニオンの方からもれなくパンフレットやグッズをもらえました。
それを毎回大切に持って帰っていましたが、いまだに捨てず保管しています。
特に印象に残ったのがこれです。
「三菱未来館」です。
中に入ると、ディズニーランドのスターツアーズの通路のようなところを動く鋪道で進み、色んな特撮の映像を見ることが出来ました。
その映像のイラストがこちら。
映像の中で一番印象に残ったのが、台風の目の中に自衛隊の対潜哨戒機の様な飛行機が爆薬の様なものを投下して台風自体を初滅させると言うものでした。
おそらく「円谷プロかどこかが作った特撮映像」だと思いますが、10歳だった私の心には衝撃的でした。
この当時、私のヒーローは「ウルトラマン」でも、「仮面ライダー」でも無く「サンダーバード、国際救助隊」でしたので、どうしようもない自然災害を人間が初滅させると言う技術は衝撃的でした。
もしかしたら本当にできるかもしれないと思いました。
この「三菱未来館」の最後には、ステージ上に立つと、その姿がモザイクのパターンになって大きなモニターに映し出されて、子供達が、「シェー」のポーズを取ると言うのが流行っていた様です。
今にしてみれば大した技術では無いのですが、この当時は、自分の動く姿がモザイクパターンでリアルタイムに投影されるなんて凄いことでした。
「三菱未来館」は、54年たった今も鮮明に覚えているパビリオンです。
他に、
これですが、
この竹をカットした様な建物ですが、その壁面にある様に、サントリーのパビリオンです。
私の父親が、3度の飯より「酒」が好きで、そのせいでか?こパビリオンに入りました。
中に入るとこのコースターを一人一人にもらえました
私と両親、姉の四人分有ります。
サントリー館のテーマは、「命の水」だったと思います。
自然の清流からウイスキーを作り出す工程を映像で見られると言う展示だったと思います。
残念ながらあまり記憶に残っていません。
あまり興味が無かったんですね。
このパビリオンの他にも、
電力館、これも父親が「中国電力」に勤務していたので入ったのかな?
これは「サンヨー館」ですが、話題になったのが「人間の洗濯機」です。
中に入っているだけで体を洗ってくれる機械で、この当時はかなり話題になりました。
今の技術なら簡単に作れるのでしょうけど、この当時は奇抜すぎて話題になりました。
このシステムを使えば「身障者」の方など、体を洗うのに人の手を必要とする場合、この機械があれば良いのでは?と思ってしまいます。
ちょっと早すぎた技術だったのでしょうか?
このパビリオンのパンフレットは、まだまだ有りますが、長くなったのでまた次回にします。
続く!