夢千年のナチュラル・ライフ

オーガニックな暮らしを求めて、愛知県の作手高原へ一家で移住して15年。スローライフ&スローフード実践中!

希望の朝は来るのか

2014年04月01日 | 東日本大震災 復興支援
みんなで合意形成したくても、合意形成できる機会があっても、みんなで合意形成する仕組みが存在しない。
とくに日本の地域社会では、とりわけ農山漁村地域では、その仕組みをつくる試みの多くが、
地域社会内部に亀裂を生み、あるいは亀裂を表面化させる。そしてその亀裂そのものが、
日本社会の構造の基盤の底部を構成していることを知ることになる。
そしてさらに欧米社会でも、その亀裂こそが、近代民主主義社会を底流して来たことを知る。
私たちは今、ポストイットなど出る幕もない、日本社会の基底部に立っている。
カッコよく、コーディネーターとかファシリテーターとかの出る幕あいさえもない。
しかし、合意形成を強く望むひとたちがいる。
次の時代に希望をつなぎたいひとたちがいる。
それらの人たちの前に広がる亀裂は、時として1000kmの幅を持つかと思えるときもある。
その亀裂を越えたいと思う。埋められるものならば、埋めたいとも思う。
亀裂のはるかな暗闇の中に、何かしら巨大な力が存在するのを垣間見た時、いい知れぬ恐怖が走る。
それでもその亀裂は、越えられなければならないと感じる。
私たちは今、そこにいる。
夜の暗闇の中で、朝の来ない夜はないと信じて、手探りで歩いている。

フクシマに、オキナワに、巨大防潮堤に、希望の朝は来るのか。

by 黒田武儀

明日は我が身の桜ライン facebook

2012年08月14日 | 東日本大震災 復興支援
フェイスブック、やってますか?

明日は我が身の桜ライン
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山の力 ホームページ
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ミッション
明日は我が身の 桜ライン
東日本大震災、青森県から千葉県まで 津波到達点を、千年の桜で結ぼう !!

陸前高田の若い子育て世代の発案で始まった、桜ライン311を、私たちは支援します。そしてさらに、私たちは全世界に向かって呼びかけます。
あの東日本大震災を、「明日は我が身」と受け止めて、1本の千年桜を、津波到達点に植えよう !! と。

東日本大震災を風化させないよう、ひとりでも多くのひとびとが、連帯して協働しながら、真の復興を実現するために、北端の青森県から、南端の千葉県までの津波到達点を桜のラインで結びましょう。海辺の壊滅したちいさな集落が、ひとつ、またひとつと立ち上がって、ちいさな点が細い点線となり、いつしか太い線になるよう、大きな協働の輪をつくりましょう。
大震災直後を生きる被災地の人々は、「ここに桜ラインをつくろう」と言ってください。
明日は我が身と感じて、大震災直前を生きる私たちが、その桜を「マイ桜」と思い、自覚と責任の証に植えます。植えっぱなしにはしないと、心に誓います。
東日本大震災を、自分の目で見る、聞く、感じる、考える、行動する、を、自分の名前が刻まれたマイ桜を持つことで現実のものとし、その志を継続します。

被災地は、真の復興のための、勇気づけと、助力と協働を必要としています。
それは同時に、明日の私たちのことです。
大震災に打ちのめされて、それでも、誰にでも未来に希望の持てる提案が、「明日は我が身の桜ライン」です。
千年後の子々孫々に、「千年前、ここまで津波が来るほどの大災害があったんだよ」と語り伝える歴史遺産を残しましょう !!

みなさん、どうかこの提案に賛同してください。
震災直前を生きる私たちは、私たち自身のためにも、
震災直後を生きるひとびとと、協働しましょう !!
まずは私たちと一緒に、被災地に行きましょう。桜を植えて、桜ラインをつくりましょう。
桜ラインをつくり続けるほかにも、協働のしかたはさまざまです。
みなさん自身の、永続する協働のスタイルをつくり上げましょう。




東日本大震災被災地巡礼行

2012年05月12日 | 東日本大震災 復興支援
黒田です。

東日本大震災とフクシマから、14ヵ月経ちました。
あの日いったい何が起きたのでしょうか。
フクシマは今、何がどうなっているのでしょうか。
復旧は、どこまで進んだでしょうか。
復興は、兆しが見え始めたでしょうか。

未だに行方不明者の数は、減っていません。
これから何をどうすればいいのでしょうか。

みなさん、ご自分の眼で、ありのままの現実をご覧
になっていただくために、「明日は我が身の桜ライン」
実行委員会は、桜の植樹に適さない5月から10月ま
で、毎月1回の予定で、被災地巡礼行を催行します。

奮ってご参加ください。
特別に提供された大型プライベートサロンバスの定員
は、20名です。
ゆったり楽々の巡礼行に奮ってご参加ください。

詳しくは、「山の力」ホームページ
または 0536-37-5000 までお問い合わせください。

桜ライン 6月巡礼行の参加者募集

2012年05月02日 | 東日本大震災 復興支援
桜の移植には適さない時期に入りました。11月まで、植樹行はお休みです。
代わって、被災地巡礼行を催行します。奮ってご参加ください。

被災地に就業機会が失われているため、平日の昼間からパチンコ屋が大繁盛で、夜
になると居酒屋が大賑わい、の現状をお伝えしたところ、個人事業主の方々や、中小
企業主の方々から、復興支援のために、一度現地を訪れてみたいとの要望も、寄せ
られるようになりました。
私たちに求められていることは、数限りなくあります。
「明日は我が身の桜ライン」の使命のひとつは、「被災地が何を求めているか」を、ひと
りでも多くの「明日は我が身の」私たちが、自分自身の目で見て、感じて、考えることで
す。
ここから真の復興が始まり、日本社会が何を目指し、どこへ行こうとするのかが、はじめ
て国民的課題になるのではないでしょうか。
動機はさまざまであろうと、自分の目で見ることから始めましょう。
何かが始まるはずです。

深い絶望の先にしか、新しい希望など生まれはしない、被災地巡礼行です。

6月1日金曜日夜、仲間の提供する大型サロンバスが浜松から出発します。
新東名、東名を走り、首都高、東北道と、約800kmから900km走って、2日土曜日朝
には、被災地近くのどこかのICに着きます。
そこから巡礼行が始まります。
前回もそうだったように、首都圏のかたがたは、どこかのSAやPAで待ち合わせです。
被災地の現場を訪れ、最初の桜ラインの一本も見たりして、夜は温泉です。
東北のよさの発見行でもあります。
6月3日日曜日のうちには、帰着するようにしています。

参加会費は、マイ桜基金5000円を含めて、ひとり30000円です。
バスは、24人乗りですが、ゆったり行きたいので、定員は18名とします。

今回の目的地は、最大の被災地石巻市、南三陸町、気仙沼市あたりです。
ほかにご希望があれば、おっしゃってみてください。

フクシマ20km~40km圏内の、無人の村を巡る、巡礼行も計画します。
少量ですが、放射線被曝の危険性がありますので、希望者だけの参加とします。
奮ってご参加の希望をお寄せください。必見です。

明日は我が身の桜ライン レポート

2012年04月15日 | 東日本大震災 復興支援
2012年4月13日(金曜日)

明日は我が身の桜ライン
--青森県から千葉県まで、津波到達点を、千年の桜で結ぼう !! --


ご賛同くださった皆様 ご参加くださった皆様
第1回植樹ツァーのご報告、です。
その場に居合わせたことを、心から感謝して、身体の奥底から喜びが
こみ上げてくる、感動のツァーから、無事に帰ってきました。


2012年4月13日(金曜日)夜2330時、特別仕立ての大型サロンバ
スは、出発地から参加の11名を乗せて、浜松を出発しました。
まるで航空機のビジネスクラスのような車内で、まだ見ぬ被災地の現
在に思いを馳せながら、期待や不安や心配を乗せて、降りしきる雨の
夜の東名高速道を、ひた走りに走ります。
途中、港北PAで、さらに東北道蓮田SAで、首都圏からの参加者が加
わり、15名となりました。
さらに激しさを増したようにも思える雨をついて、バスはひたすら北を目
指します。ようやく夜が明け始めた頃、バスは福島県に入りました。雨
も小止みになりました。

途中の国見SAで朝食をすませて、さらに2時間。バスは東北道から三
陸道を進みます。
この頃から、道路標識にも、石巻とか松島という文字が見え始め、内陸
部を走っているのですが、車内には、これまでとは違う空気が流れはじ
めました。

石巻市内のICで、一般道に下りたバスは、しばらくして北上川の川岸を
走ります。
震災当時に比べれば、ずいぶんきれいに整備された周辺の景色の中
に、まだ残る津波の跡に、みんな口数少なにカメラを向け続けます。
やがて、新北上大橋が見えます。よく見ると、川の中に、破壊された橋
の鉄のフレームが見えています。



橋のたもとから、いきなり見えたものは、想像もできないほど変わり果て
た大川小学校でした。
誰もが声を失いました。
遺族のおかあさんたちが、日課にしていらっしゃる慰霊碑のお守りの作
業の中、下車してすぐに慰霊碑にお参りしたときは、胸が詰まる想いで
した。
河口から4km以上も上流のこの土地で、こどもたちや先生の生命が、こ
んなにも失われなければならなかったのか、すぐ裏の山の斜面を見な
がら、悔しい気持ちでいっぱいでした。
一山越えた雄勝では、まだいくらか生々しさの残る光景に、「どうしてこん
なことが」の声が、参加者の口から漏れました。
北上川河口一帯の壊滅した十三浜一帯を巡り、海沿いの浜と言う浜が、
どこも同じように、建物の基礎部分だけを残して、すっかり失われている
のを、続けざまに見た参加者から、「津波の直後から、こんなふうにきれ
いさっぱりしてたんですか」と質問が出たり、「まるで、もともとこんな光景
の場所だったように見えて、現実感が乏しい」という声が聞こえてきたり
しました。
私たちの日常との大きな隔たりが、被災地の、あまりの現実を、すぐには
受け止めきれない、参加者のとまどいがありました。


南三陸の鉄骨だけになった防災庁舎では、3階建ての庁舎の屋上に逃
げてさえ、ほとんどの人が津波にさらわれて亡くなった事実を、俄かには
受け入れにくい思いで、みんな立ち尽くしていました。

そこから小高い丘を登れば、何事が起きたのかもわからないような風景
の中をバスは走り、坂道を下って海辺に出れば、今はもう見慣れた風景
になってしまった、あの基礎部分だけが残って続いている集落、そこが
今回、明日は我が身の桜ラインの最初の1本の桜を植える、馬場中山
地区でした。
ワカメ漁で、人手どころか、猫の手も借りたいほどの忙しさの中で、その
働き手の中心のはずの人たちが、私たちを迎えに出ていただきました。
「いちばん忙しい最中に来て、ゴメン」と言うと、笑いながら「そうだヨ、ほ
んとに」と応えてもらって、却って、場の雰囲気を和らげてもらいました。


海を眼下に見下ろす小高い場所から、さらに斜面をよじ登った場所が、
第1号の桜の、新しいふるさとでした。


何かしら儀式めいたことのひとつもしようかと、地元宮城の酒を1本持っ
て行ったのですが、「サクラに飲ませるより、自分たちが飲んでサクラ色
になるほうがいい」とのことで、早速、土地の人に「植えるのはココっ !!」
と決めてもらって、作業に入りました。
大した時間もかからず、千年後のひとびとに「千年前、ここまで津波が来
たほどの大災害があったんだよ」と伝えてほしい、東北地方に固有のエ
ゾヤマザクラ種の、千年桜の植樹が終わりました。

昨年の3月11日を、この場所で、身をもって経験した人たちの言葉には、
とても表現できないほどの重さがありました。
  


「津波は、波が来るんじゃないんだ。瓦礫と土煙が、塊になって襲いかか
るように来るんだ。」
「今立っているここの高さと同じ高さまで、一面海になるんだ。見たことも
ない、信じられもしない風景だった。」
「高いところから見ていると、自分の家が、まるで大きな洗濯機の中で、
渦に巻かれているようだった。」
「私たちは昔から、大きな地震が来たら、とにかく高台に逃げろと教わっ
てきたから、大して犠牲者も出さずに済んだ。」
「第一波の津波が、前の海の方からやって来て、屋敷の前半分が持って
行かれた。今度は、第二波が、後ろの山側から道路沿いにやって来て、
屋敷の後ろ半分を持って行かれてしまった。」

私たちは、今回最初の植樹にやって来て、自分たちが何かすると言うより、
何もかも教わるばかりだったような気がします。
自然の力の、想像をはるかに超えた大きさのすさまじさ、これには未だに
実感の伴わない苛立ちを感じますが、私たちの想像の及ばないことが、現
実に存在することを、否応なしに受け入れることになりました。

気仙沼で見た、瓦礫の中に横たわる遠洋漁業の大型漁船も、今ではまる
で、そこに置いたようにも見えますが、これが東日本大震災の、ひとつの現
実だと、私たちは自分に言い聞かせるようにして、納得しようとしています。

私たちにとっては、これらの信じがたい自然の猛威は、「明日の我が身」と
感じて、ここにやって来ました。
亡くなった方々に対して、深い哀悼の気持ちを捧げながら、失われたものへ
の、大きな愛惜の気持ちを抱きながら、「明日は我が身」と心に刻んで、被
災地を後にしました。

これから、1本、また1本と、青森から千葉までの津波到達点に、千年の記
憶を伝える桜ラインが、いつの日か完成する日まで、私たちは、倦まずたゆ
まず桜を植え続けたいと思っています。
被災地のひとびとが、その記憶を後世に語り継ぎたいと願ってくださり、候
補地を自ら選定していただいて、私たちが植えに行くことを続けるつもりです。

また被災地以外の私たちは、一方で「明日は我が身」と心に刻み、不断に備
えながら、他方で植えた桜を、それぞれに「マイ桜」として、これから末永く愛
し慈しんで、被災地の真の復興を願い、ささやかな貢献ができるよう心がける
つもりです。


これまで見ず知らずだったひとびとが、「明日は我が身の桜ライン」の推進を
通して、固く結びつき、本当の意味の絆を深めることができるよう、ゆっくりと
確実に前進したい思います。

なお次回ツァーは、6月1日(金)夜出発、2日(土)、3日(日)夜帰着、を予定し
ています。
奮ってご参加ください。ご連絡おまちしています!



実行委員会事務局 黒田ローザ


なおおこころあたりの方には転送大歓迎です







「明日は我が身の桜ライン」第1弾

2012年03月26日 | 東日本大震災 復興支援
黒田です。

まだ公式発表もしていない、「明日は我が身の桜ライン」ですが、
試行第1弾が決定しました。
4月13日金曜日夜、大型サロンバスで出発。
4月14日土曜日朝、東北自動車道大和IC着。
      石巻市内中心部、大川小学校、南三陸町中心部と、津波で
      壊滅した場所を何箇所か経由して、昼過ぎ頃、南三陸町旧
      歌津地区馬場中山集落着。
      「明日は我が身の桜ライン」最初の1本を植えます。
4月15日日曜日のうちに、帰着です。

交通費、宿泊費(宿泊するとして、です)共、30000円の予定です。
今後、支援金によって、一部助成される可能性はありますが、当面の
負担は、上のとおりです。これには、マイ桜1本分が含まれています。
今後植える桜に、それぞれの支援者の名前を刻んだプレートが取り
付けられる予定です。

計画詳細は、3月末日までに決定します。

参加ご希望の方は、奮ってお申し込みください。
バスの定員は24名です。(若干名の余裕があります)

明日は我が身の桜ライン

2012年03月12日 | 東日本大震災 復興支援
check!
東日本大震災
青森県から千葉県まで、津波到達点を結ぼう
明日は我が身の桜ライン


2011年秋、最大の被災地のひとつ陸前高田市の、
子育て世代の若い被災者たちの発案で、
津波はここまで来たんだよ、と後世に伝え残すために、
市内の到達点を桜で結ぼう! 桜ライン311がスタートしました。
私たちは、その計画を最大限に支援し、
全国民の力でやり遂げるまで続けたいと考えています。
今私たちは、全てのみなさんに提案し、呼びかけます。
あの東日本大震災を、「明日は我が身」と受け止めて、
1本の桜を、津波到達点のどこかに植えることから始めよう!! と。



あっという間に風化して、記憶の彼方に押しやられかけている東日本大震災を、どうすれば持続
的に、ひとりでも多くの人が、連帯して協働できるかという課題に、応えようとするプロジェクトです。
ここまで津波が来たという到達点を、青森県の北端から、千葉県の南端まで、
ちいさな海辺の集落が、ひとつ、またひとつと立ち上がって、最終的には、それらの点が線になり、
大きな協働の輪ができることを、最終目標にしています。
被災地のひとびとには、自分の家の敷地などの到達点に、「ここに植えよう」と
言ってもらうだけでよいのです、実際に植えるのは、被災者以外の人たちです。
そして、その後の保守管理もそうであるのが良いでしょう。
例えば、50年後に老木となったソメイヨシノを植え替えるのも被災地以外の人がやりましょう。
もちろん現地の人たちが、植えることに参画したり、日常の保守管理したり、植え替えたり、
することに何の問題もありません、少なくとも「植えっぱなし」ではないことを、約束としたいのです。
ひとりでも多くの人に、自分の目で見ること、聞くこと、感じることを、
桜ラインに関係することによって、実現して、継続する。
それが何に発展するかは、誰の目にも、はっきり見えるはずです。
だれにでも理解できる、そしてその結果のすばらしさが容易に想像できて、簡単そうに感じられる、
そして実に深い奥行きをそこに込められる、それが「明日は我が身の桜ライン」です。


現在第一弾植樹ツアーを計画中です。
詳細は近日発表いたします。


WEBMAGAZINE 山の力
http://yamanochikara.com/


「明日は我が身の桜ライン」実行委員会仮事務局
TEL 0536-37-5000
FAX 0536-37-5115
info★a1000z.co.jp/
mail★biodebio.jpn.org 
愛知県新城市作手黒瀬字下山37-30(担当 黒田)

黒田です。再び3月11日が来ました。

2012年03月12日 | 東日本大震災 復興支援
昨日、3月10日、ささやかですが確かな一歩を記すことができ
ました。
たくさんのひとびとの力添えがあったからこそ、ここまで来ました。
さあ船出です。
桜ラインが完成するまでの、長い長い船旅の始まりです。
誰か、"Bon Voyage !!"と言って、祝福してください。

現地に行って、桜を植えたい、そして、長い間忘れないでいよう !!
と約束してくださった方も、予想を超えて集まってくださいました。
希望が見えてきました。

みなさん、ささやかなスタートが切れました。
実行委員会を開きましょう。
桜ライン初ツァーの計画を、早急に立てましょう。

実行委員会の開催日について、ツァーの実現可能な日取りについ
て、個人の都合を加味して、至急お知らせください。
実行委員会に参加希望のひとを、誘ってください。
自分は側面援助に回るというひとも、リストアップしてみてください。

津波で何もかもを失った、海辺のちいさな集落に、「自分の足で行
って、自分の手で」一本の桜を植えることから、始めましょう。

桜を植えたら、現地が見えてきます。
ひとびとの日々が、見えてきます。
そこから、長い復興再生の道が、始まります。

それが私たちの新しい人生です。
天が与えた人生です。
そこに大きな喜びを見つけましょう。
私たちが、被災地や被災者に何かを与えるのではありません。
私たちが、与えられるのです。
感謝の気持ちをいっぱい込めて、桜を植えに行きましょう。

text by 黒田武儀