おこの悠々自適生活

アラフィフがゆるく書いています。

マイクロ波子宮内膜焼灼術(MEA)を受けて10日

2013-08-31 21:52:49 | 子宮筋腫
 MEAの手術を受けて10日たちました。
 私は本日より、以前とまったく同じペ-スで仕事を始めました。

 まだ、微量の出血があります。
 水っぽいオリモノがひと月ぐらい続くという副作用はまだ見られていません。

 水っぽいオリモノって・・・・排水??
 うちのダンは「リンパ液」だろうと言った。

 MEAの個人的体験談が検索してもあまり見つかりません。

 過去の記事を読ませていただくと、保険がきかない時期であったためでしょう、随分お金を払っているんだなぁと思いました。

 まだまだ深い部分で軽い痛みを感じますが、よい方向へ向かっていくと思います。
 
 数少ない体験談を読んだ限りでは、ほとんどの方が高い満足度をつけていましたから・・・・。


マイクロ波子宮内膜焼灼術 MEA

2013-08-26 21:59:25 | 子宮筋腫
 マイクロ波子宮内膜焼灼術 MEAを受けて5日目になります。今日は術後検診をしてまいりました。
 早い早い、5日もたっちゃった。痛みはありませんし、自転車にも乗れます。
 血液検査をしましたが、貧血の心配もないようでした。次の検診は来月の中旬過ぎ。丁度一カ月検診となることでしょう。

 個人的発言の情報が少なく、私としてはかなり不安でした。この手術を受けて良かったか???
 それはまだわかりません。きっと、術後3か月、半年後、はっきりした回答が出せると思います。

 ネットでは30分ほどで手術が出来る!とか、退院してすぐに仕事が出来る!とか書かれておりましたが、私に関しては、それは当てはまりませんでした。

 退院後、二日間はPCに向かって書き込みをしているだけで熱が出てきました。本当に二日間は寝たり起きたりの生活でした。

 三日目から、ゆっくりですけど、普通の生活に戻せましたが、仕事は休んでおります。
 四日目は百貨店へ買い物に行きましたが、やはり休み休みでした。

 今日の内診は痛みを感じませんでした。

 まだまだスポ-ツは出来ませんが、順調に回復へ向かっていると思います。

 水曜日、術後一週間、私は仕事に復帰します。


退院してから・・・

2013-08-25 17:00:01 | 子宮筋腫
 退院はダンが迎えに来てくれました。

 お昼は寿司でも食べようかということで、病院近くの持ちかえり寿司屋に寄りました。

 バドミントンの友達が働いている。「明日バドミントン行くでしょ?」と訊かれました。

 「あのねぇ、私、昨日手術したから当分無理。」と答えました。

 表面上は全く健康そうに見える・・・・・

 帰宅して二日間は寝たり起きたりの生活をしていました。

 お風呂はシャワ-のみ。この点は夏季で助かっています。

 22日の夜にこの記録を書き始めたのですが、真剣に何かに集中しようとすると熱が出てしまいました。

 24日より生活を90パ-セントほどに戻せました。

 そして今日、百貨店へ買い物へ行きました。しかし、途中でしんどくなり、休息しながら自宅に戻りました。

 


術後

2013-08-25 16:03:48 | 子宮筋腫
 午後3時に手術が終わり、夕方6時頃まで意識が朦朧としておりました。

 病室のおばちゃんたちの話が賑やかだった。だけど迷惑には感じませんでした。

 ここだけではないと思いますが、看護師さんの数、不足していますね。だから個人の負担がとても大変そうに思えました。

 意識がハッキリしてきた頃、私は剃毛されていないか、そっとT字帯をめくってみた。されていなかった。

 出血がかなりあり、病院から指定された枚数よりも多めに持ってくればよかったと思いました。

 バスタオルも忘れてはいけません。

 ストロ-も、ファミレスで長めのものを2本ほど失敬。点滴されている身にとってはやはり便利でした。

 テレビを見ようと思いましたが、看護師さんが「一泊二日でテレビカ-ド買うのもったいない、ワンセグない?」とおっしゃった。


やっとありつけた夕食。メインは鯖の竜田揚げ

 24時間ぶりに食べた夕食。同室のおばちゃんたちは「鯖が嫌い、肉がいい。」と色々言っていましたが、私は完食。それでも足りなかったので、持参したじゃがりこをペロリとたいらげました。

 9時に消灯。私は読書でもしようかと、小さな電気をつけていましたが、看護師さんに無言で消されてしまいました。

 おばちゃんたちの会話もピタッと止まり、私も9時から熟睡してしまいました。


朝食はカ-テンをオ-プンにしていただきました。

 同室のおばちゃんたちは朝食はパン食のほうがいいと言っていましたが・・・・。 私はご飯で嬉しかったです。

 朝一番の9時に内診がありました。さすがに術後の内診は痛くて歯を食いしばりました。

 筋腫がこぼれるように飛び出してきたとうい想定外の手術だということを知らされました。

 次の診察は26日、貧血の検査を含めるということで退院となりました。25時間での退院です。

 同室で隣のベッドのお婆ちゃん、90歳。50年前に筋腫の手術をされたこと。それはそれは大変であったと教えてくださいました。お婆ちゃんのお話を聞いて、今の医学の進歩に感謝しつつ、病室の皆さんに主人と一緒に挨拶をして退院しました。

 子宮内膜焼灼術 MEA。子供を産み終え、筋腫や内膜症を抱え過多月経に悩まされている女性に昨年の春から保険適用で受けられるようになりました。
 


手術日

2013-08-24 21:25:03 | 子宮筋腫
 8月21日。いよいよ手術の日。
 前日緊張で眠れなかった・・・・なんていうことはありませんでした。

 中国人の同僚が「今の医学は進歩しているから大丈夫!大丈夫!」と励ましてくれていた。
 「リラックス!」というメッセ-ジのメ-ルをくださったS子さん、息子の件もひっくるめて色々心配してくれたSちゃん。
 息子が通っている施設の職員、そして私の主人であるダン。心から感謝します。

 当日は息子の飲料などがないことに気付き、早々とイオンへ買い物に行く。
 帰路、元同僚と会う。「これから手術するの。」と言うと大変驚かれた。
 
 一泊二日の入院で、荷物も少し。私はサンダル履きで病院の門をくぐりました。

 ディナゲストを飲んでいたものの、私は生理になっていました。だけど生理の大きな山は越えてた感じ。
 前日、ビックリするぐらいの塊が出ていたので・・・・。「やっぱり私の子宮はなんとかしないとな。」と自分で戒めることができました。

 8時50分に入院手続きをし、すぐさま医師の診察を受けました。
 内診をしながら、「内膜が薄くなっていていい状態よ。」と医師は言ってくださった。
 続けて、子宮口を広げるためにラミナリアを挿入されました。少し痛かったけど、経産婦だから・・・我慢しないとね。

 6人部屋の角のスペ-スに案内されました。
 その位置は一泊二日で退院していく婦人科系の患者であることは病室のみんなが知っているようでした。

 私は2時間かけて点滴を受けました。前日の夕飯より絶食。当日7時より水分を摂取することさえ禁止でした。

 私は生理でしたので、あっという間にラミナリアが膨らんだんだと思います。

 ダンが手術直前に病室に来てくれました。「生理で結構広がっちゃったかな。」と告げたら、ややこわばった表情になりました。血を見るのが超苦手な人なので仕方ないですね。

 午後1時少し前に迎えが来ました。
 手術着にタイツを履き、髪を覆うネットをかぶり、ナ-スとダンと3人で手術室へ向かいました。
 
 手術室の前でダンと別れ、手術室入口のラインのこちら側でナ-スと別れました。

 手術室に入ると雰囲気は別世界でした。

 というのも、あそか病院はナ-スも含め全体的に庶民的な感じがする病院だったのです。

 手術室だけは違いました。

 スタッフが何人もいる感じ。たかが子宮筋腫の手術をする私のためにこんなにスタッフがいるの??

 手術室には私があらかじめ選んでおいた音楽が流れていました。ショパンの名曲集を選んでおきました。

 この女性は看護師ではないな?医師のたまご?順天堂の生徒さん??

 私は自然と目に涙を貯めていました。それは「怖いから。」ではなくて、「しっかりしないと。」と自分を戒めるための涙だったと思います。

 私の口にマスクがあてがわれた。「大きく深呼吸してください。」と言われたけど、苦しくて吸えない。

 そのうちに左腕に注射をされていることがわかった。「本当に麻酔効くの?」

 ここから私の記憶がなくなりました。

 「OOさん、終わりましたよ~。」という掛け声で私は目が覚めました。

 咄嗟に私は 「今何時ですか??」と聞きました。「3時です。」と返答がありました。

 私は息子のお迎えの時間が気になって心配になりました。

 手術は一時間の予定でしたが、2時間もかかっていたのです。

 予期せぬ出来事があったようです。

 それは子宮内膜だけを焼いていたところ、筋腫が飛び出してきたそうです。その筋腫がこぼれだすような感じであり、それを食い止める術もしなくてはならなかったようです。

 筋腫は抱えていたおおよそ4分の1ほど取り出せたそうです。30グラム。

 ダンはその筋腫片を見たそうですが、「鳥のから揚げみたいだった。」と表現していました。焼かれているんですものね。

 病室に帰った私は何度もダンに「今何時?」と聞きました。

 それからお腹にすぐ痛みが来たので、痛みどめを打ってくれるようにナ-スに懇願しました。

 あとは吐き気。暑苦しくとタイツを脱がして欲しいと勝手なお願いばかり言った。

 ダンは息子の迎えのために3時半で病室を去りました。意識朦朧のなか、私は一人で夕方まで過ごしました。

 続く・・・・・