8月21日。いよいよ手術の日。
前日緊張で眠れなかった・・・・なんていうことはありませんでした。
中国人の同僚が「今の医学は進歩しているから大丈夫!大丈夫!」と励ましてくれていた。
「リラックス!」というメッセ-ジのメ-ルをくださったS子さん、息子の件もひっくるめて色々心配してくれたSちゃん。
息子が通っている施設の職員、そして私の主人であるダン。心から感謝します。
当日は息子の飲料などがないことに気付き、早々とイオンへ買い物に行く。
帰路、元同僚と会う。「これから手術するの。」と言うと大変驚かれた。
一泊二日の入院で、荷物も少し。私はサンダル履きで病院の門をくぐりました。
ディナゲストを飲んでいたものの、私は生理になっていました。だけど生理の大きな山は越えてた感じ。
前日、ビックリするぐらいの塊が出ていたので・・・・。「やっぱり私の子宮はなんとかしないとな。」と自分で戒めることができました。
8時50分に入院手続きをし、すぐさま医師の診察を受けました。
内診をしながら、「内膜が薄くなっていていい状態よ。」と医師は言ってくださった。
続けて、子宮口を広げるためにラミナリアを挿入されました。少し痛かったけど、経産婦だから・・・我慢しないとね。
6人部屋の角のスペ-スに案内されました。
その位置は一泊二日で退院していく婦人科系の患者であることは病室のみんなが知っているようでした。
私は2時間かけて点滴を受けました。前日の夕飯より絶食。当日7時より水分を摂取することさえ禁止でした。
私は生理でしたので、あっという間にラミナリアが膨らんだんだと思います。
ダンが手術直前に病室に来てくれました。「生理で結構広がっちゃったかな。」と告げたら、ややこわばった表情になりました。血を見るのが超苦手な人なので仕方ないですね。
午後1時少し前に迎えが来ました。
手術着にタイツを履き、髪を覆うネットをかぶり、ナ-スとダンと3人で手術室へ向かいました。
手術室の前でダンと別れ、手術室入口のラインのこちら側でナ-スと別れました。
手術室に入ると雰囲気は別世界でした。
というのも、あそか病院はナ-スも含め全体的に庶民的な感じがする病院だったのです。
手術室だけは違いました。
スタッフが何人もいる感じ。たかが子宮筋腫の手術をする私のためにこんなにスタッフがいるの??
手術室には私があらかじめ選んでおいた音楽が流れていました。ショパンの名曲集を選んでおきました。
この女性は看護師ではないな?医師のたまご?順天堂の生徒さん??
私は自然と目に涙を貯めていました。それは「怖いから。」ではなくて、「しっかりしないと。」と自分を戒めるための涙だったと思います。
私の口にマスクがあてがわれた。「大きく深呼吸してください。」と言われたけど、苦しくて吸えない。
そのうちに左腕に注射をされていることがわかった。「本当に麻酔効くの?」
ここから私の記憶がなくなりました。
「OOさん、終わりましたよ~。」という掛け声で私は目が覚めました。
咄嗟に私は 「今何時ですか??」と聞きました。「3時です。」と返答がありました。
私は息子のお迎えの時間が気になって心配になりました。
手術は一時間の予定でしたが、2時間もかかっていたのです。
予期せぬ出来事があったようです。
それは子宮内膜だけを焼いていたところ、筋腫が飛び出してきたそうです。その筋腫がこぼれだすような感じであり、それを食い止める術もしなくてはならなかったようです。
筋腫は抱えていたおおよそ4分の1ほど取り出せたそうです。30グラム。
ダンはその筋腫片を見たそうですが、「鳥のから揚げみたいだった。」と表現していました。焼かれているんですものね。
病室に帰った私は何度もダンに「今何時?」と聞きました。
それからお腹にすぐ痛みが来たので、痛みどめを打ってくれるようにナ-スに懇願しました。
あとは吐き気。暑苦しくとタイツを脱がして欲しいと勝手なお願いばかり言った。
ダンは息子の迎えのために3時半で病室を去りました。意識朦朧のなか、私は一人で夕方まで過ごしました。
続く・・・・・