生の「密度」

2012-09-07 00:03:04 | 自分の思想をめぐる冒険
人の生っていうのは、ある一定の「密度」を持っているんじゃないかと思う時がある。


「密度」っていう言葉は、最近友達が口にした言葉で、それまでもやもや考えていたことが急にすっきりとした、そんな不思議な感覚に包まれました。


そう、密度なんだと。




人間、生きていたら忙しい時もあるし、めちゃくちゃ暇な時もある。


とてつもないエネルギーを使ったら、使っただけ休まないと、元に戻らない。


僕も含めて本当は、もっともっとバランスよく時間配分とか、エネルギー配分したいと思っているけど、それがなかなか難しい。


でも、これは「波瀾万丈な一日も、何も起こらない一日も、全部足して割ったら同じ濃さに落ち着くんだよ」ってことなんだと思う。


燃え尽き症候群っていうのがあるけど(僕も今はそれに近い)、それは、仕事とかをしている時に、全てのエネルギーを注いでしまったから、その後に注ぐエネルギーがなくなってしまった状態難じゃないか、


と思う訳です。


逆に言うと、一日1時間でも取り組むと、無理なく長続きするんじゃないか。



何が言いたいのかっていうと、


人間が持っているエネルギーとか時間って、人それぞれ違っている(ように見える)けど、それを均質的に見たら、同じないの?


ってこと。


僕は、小学5年から毎日15分、ラジオの英語講座を聞き続けて、今も続けている。


これは、「自分が英語学習に割ける時間」を限りなく分割して、使ってきたんじゃないかと思う。

だって、これとトータル同じ時間を、例えば「一日2時間」として配分して、使うこともできる。


一方で、4月から始めた仕事を、わずか5ヶ月で辞めたのは、この5ヶ月、平日はほぼ11時間から12時間、仕事に時間を割いていたから、「自分が仕事に使うべき時間」を使い果たしてしまったのが理由だとも思っている。
(正直、平日のほぼ半分の時間を仕事に使って、寝る時間もそれほど多くなかった。これが例えば、一日8時間で収まっていたら、もう少し長く続けていた可能性はある。あくまで可能性の話やけど。)


だからなんか、人が持っているエネルギーの総量は決まっていて、それをどんな風に使うのか、っていうのは興味あるし、もっと知りたいなあ、と思う。


旅にしても、「世界一周」という手段を使って、一気に回ってしまう人もいれば、仕事の休み休みに、数カ国を回る人だっている。
国内旅行でも同じ。


そのどっちがいい悪い、ってわけじゃなくて、そういうものの総量とか密度とかって、どこかで釣り合っている、ってことを知っておくのは
面白いですよね、ってことです。


僕も今、びっくりするほど何をする気も起こらず、振り返ってみると、よくこの5ヶ月駆け回っていたなあ、って関心するんですが、


それもちょうどいい塩梅に、密度が分かれているんだと思っています。

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