価格と価値

2012-05-13 22:50:01 | 自分の思想をめぐる冒険
最近、何冊か金融とか経済(お金)に関する本を読み漁って分かったのは、世の中には「価格」と「価値」がある、ということ。


例えば、一杯200円のコーヒーをを買ったら、コーヒーの「価格」は200円。


東京から大阪まで、新幹線で行って15000円かかったら、交通費の「価格」は15000円。


それに対して、払った「価格」から得るものを「価値」というらしい。


一杯200円のコーヒーを飲んで感じる「満腹感」とか、贅沢な時間そのものは「価値」。


新幹線の移動中に、本を2冊読んで、自分の考え方が深まったりしたら、それは「価値」なんだ、と。


多少例が微妙かもしれませんが…。


で、僕たちはえてして物事の「価格」を見てしまうけど、これからはもっと、「価値」に目を向けていきたいなー、と思うんですね。


僕は得てして、「ハード」と「ソフト」と言う言葉を用いて、いろんなものを区別しているのですが、

この場合、「価格」は「ハード」であり、「価値」は「ソフト」にあてはまる。


ちなみに、自分に取ってのハードとは、「具体的な形があるもの」「巣隊的な数量があるもの」「数値そのもの」などであって、

ソフトとは「満足感」とか「経験したこと」「学んだこと」とか、いわば具体的な尺度に表せないものです。



つまり、何が言いたいのかというと、


これから僕たちは、物事の「価値」を再認識して、それに応じて価値判断をしていく必要時があるんじゃないか、ってことなんです。


というのも、「お金」や「時間」といった「ハード」そのものは価値を持っておらず、

そんなものに対して僕たちが、どういう風に「価値」を付けていくか、がこれからは必要になってくると思うんです。


安易に、「価格」で判断してはいけない。



例えば、アルバイトを選ぶとする時に、


「時給1300円!」って書いているのを見て、「お金がつがつ稼げる!勤務地遠いし、仕事内容も結構ハードそうやけど、これにしよう」

って選ぶのか、


「時給は800円やけど、接客勉強したいし、店の雰囲気もいいし、ここの飲食店で働こう」って思って選ぶのか。


安易に、自分の中に入ってくるお金(時間)、自分から出て行くお金(時間)で選ぶんではなくて、


「これを選ぶことで、自分はどんな経験ができるのか?何を学べるのか?」っていう「価値」を、しっかりと考える必要があるのではないかと。


お金と時間で何でも判断してしまうと、結局は資本主義のマリオネットになってしまうと思うし、考え方を変えることで、資本主義からある程度の(精神的)独立はできるんじゃないかと思っているのです。


仕事をするにしても、好きでもない仕事をいやいややって、しかも残業ばかりで月に50万手に入るのを選ぶのか、


それとも、たとえ収入はそんなに高くなくても、自分が興味のある、将来に繋げたいと思って考えた職種を選ぶのか、


ってことでは、全然その後が違ってくるんではないかと思います。



お金は少ないけど、それ以上に学ぶことも多く、自分が今まで知らなかった世界や人と会えるのであれば、それはそれで、とっても価値のあるものだと思います。


(特に、被用者というのはお給料を払ってもらう=会社から「価格」を決められる、のであって、それ以上の「価値」を提供できるのか/自分の中に作れるのか、ってことを意識することは、とても大事だと思う)


大学の授業料とか、海外旅行の費用とか、


「自分はどれだけペイして、どれだけのものを得るのか」ってところまで、考えられるようになりたいな。


そうすることによって、自分の中での価値感覚が鋭くなっていくし、意識の持ちようも変わっていくのは事実でしょう。



誰か(何か)が提供してくれる「価値」、自分が提供する「価値」ってものを、もっともっと考えるようになっていきたい。

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