五、「教会とわたしたち」(327)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
スイスのチュリッヒでもルターと同じ時代に、ツヴィングリーが行動を起こし始めた。ルターが1483年生まれなら、こちらは1484年生まれであった。富裕な農家の出で、まったく環境は違うが、天の配剤であろう。この世界に必要な人を起こすのであった。就学の過程の中でいろいろあったが、18歳のときバーゼル大学に入り、神学を含む一般教養を身につけると共に、当時のカトリックの硬直したスコラ的神学に対する興味をまったく失い、卒業間際に神学教師で宗教改革的思想の持ち主ヴィッテンバッハ(1472~1526)に師事し、聖書中心的にして、恩寵中心的思想を学んだ。(ここまで前回)
ここバーゼル(フランスとの境界)の町は、古くから交易中心に栄え、その経済力に支えられた文運もとみに盛んであった。その自由で闊達な文化的魅力はその当時の新進気鋭の学者たちを呼び寄せた。ヴィッテンバッハはその一人であった。彼の聖書講義を介して若きツヴィングリは、キリスト教世界の基本、源泉としての聖書そのもの、またそこに示されているキリスト教会の姿に初めて接することになった。1506年バーゼル大学を卒業して10年間山間の小さな町グラールスの司祭館に勤め、1516年秋にヨーロッパ有数の巡礼地アインシーデルン修道院教会の説教者として転任して、彼は思想的大変革を遂げる。そこで彼が目にしたものは初代の「純正な」と思われる(つづく)