日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-09-02 01:34:08 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(327)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―

スイスのチュリッヒでもルターと同じ時代に、ツヴィングリーが行動を起こし始めた。ルターが1483年生まれなら、こちらは1484年生まれであった。富裕な農家の出で、まったく環境は違うが、天の配剤であろう。この世界に必要な人を起こすのであった。就学の過程の中でいろいろあったが、18歳のときバーゼル大学に入り、神学を含む一般教養を身につけると共に、当時のカトリックの硬直したスコラ的神学に対する興味をまったく失い、卒業間際に神学教師で宗教改革的思想の持ち主ヴィッテンバッハ(1472~1526)に師事し、聖書中心的にして、恩寵中心的思想を学んだ。(ここまで前回)

ここバーゼル(フランスとの境界)の町は、古くから交易中心に栄え、その経済力に支えられた文運もとみに盛んであった。その自由で闊達な文化的魅力はその当時の新進気鋭の学者たちを呼び寄せた。ヴィッテンバッハはその一人であった。彼の聖書講義を介して若きツヴィングリは、キリスト教世界の基本、源泉としての聖書そのもの、またそこに示されているキリスト教会の姿に初めて接することになった。1506年バーゼル大学を卒業して10年間山間の小さな町グラールスの司祭館に勤め、1516年秋にヨーロッパ有数の巡礼地アインシーデルン修道院教会の説教者として転任して、彼は思想的大変革を遂げる。そこで彼が目にしたものは初代の「純正な」と思われる(つづく)


聖書研究

2015-09-02 01:29:10 | 大分中央ウィークリー

創世記21章23節である。「『~どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シャバ)ください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。』」という。ここに、アビメレク王の軍の長ピコルを従えていること、その上で「この国とわたしに友好的な態度をとってください。」と嘆願するところに、何か両者の間にトラブルが発生していたように見える。

これ以上アブラハムとの関係を悪くしたくないという負い目があったようである。この時代においても人間社会は変わらない。社会生活の基本は契約を結んで共同生活を営むということである。どちらかが契約を破ったら、即、社会生活の破壊につながる。恐ろしい事態に発展する。アブラハムの方には契約に忠実な何かがあった。 

24節である。「アブラハムは答えた。『よろしい、誓いましょう。』」。前節で王アビメレクが「あなたに友好的な態度をとってきた」といった言葉は、新改訳聖書(1970)では、「あなたに尽くした真実」と原語に忠実に表現している。「真実」は原語ヘブライ語では「へセド」であって旧約聖書の、人と神との契約関係を現す大事な用語である。その意味で、ここでアブラハムは神に対しての忠実を現したのであって、答とその行動は見事、二つ返事であった。それ以外の言葉を必要としない。 

「あなたに尽くした真実」にアブラハムの「誓いましょう」である。その内容は神に対する誓いとなって現れる。23節の「誓って(シャバ)ください」に、「シャバ」(誓い)で答えた。これがここの地名「ベエル・シェバ」の準備となった。この「シェバ」はアルファベットの七番目の「シェバ」、数字の「七(聖数)」を表す。


牧 会 通 信

2015-09-02 01:21:54 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その16) (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯「そなたの聞いたその不吉なことを忘れるな、」と賢者はわたしに命じた、「さあ、よく聴け、」と指を直立させて、

  「美しい眼でなにもかも見透すあの方の、優しい光の前に出るとき、あの方からそなたは自分の一生の旅について知らされるだらう。」

  それから師は歩みを左の方へ向け、わたしらは城壁を後にし、小道を通つて中心へ向つたが、路は谷に行当り、

 そこからは上までむッとする悪臭を発してゐた。(ここまで前回)

ダンテの「神曲 地獄」編 第11歌(カッコ内は筆子、その1)

◯破壊された巨大な岩石が形造つている、輪を成す高い崖の縁に着くと、わたしらはもつと残酷に詰込まれたものたちの上にゐた、

  ここでは深淵の放つ悪臭が身の毛のよだつほど猛烈なので、わたしらは大きな石棺(はか)の蓋の後に近寄った、

  そこにはこんな文字が見えた、「フォティン(テッサロニケの僧侶)により正道より引き離されし、法王アナスタシオ(496~8年在位)を納む。」(つづく)

 

◯2015年8月30日は、今年の第三十五主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「清くなる道」の主題であり、聖書はヘブライ12章4~17節、その10節「霊の父は~ご自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。」という。教会でこそ人は鍛えられるところ。 

◯写真は、教会畑に3メートル程の高さになったからし種の木(マタイ13章31節)の花が開花しました(8月26日撮影)。