日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-09-06 23:17:45 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(328)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―

ここバーゼル(フランスとの境界)の町は、古くから交易中心に栄え、その経済力に支えられた文運もとみに盛んであった。その自由で闊達な文化的魅力はその当時の新進気鋭の学者たちを呼び寄せた。ヴィッテンバッハはその一人であった。彼の聖書講義を介して若きツヴィングリは、キリスト教世界の基本、源泉としての聖書そのもの、またそこに示されているキリスト教会の姿に初めて接することになった。1506年バーゼル大学を卒業して10年間山間の小さな町グラールスの司祭館に勤め、1516年秋にヨーロッパ有数の巡礼地アインシーデルン修道院教会の説教者として転任して、彼は思想的大変革を遂げる。そこで彼が目にしたものは初代の「純正な」と思われる(ここまで前回)。

しかし、それはキリスト教信仰の姿からの乖離であった。今日の日本で見る諸宗教の姿に良く似ていた。一言で言えばキリスト教の世俗化であり、日本的にいえば、ご利益宗教になりきった有様であった。このころからツヴィングリはアウグスチヌスなど古代教会の教父たちの著作に学び始めた。1516年に刊行されたばかりのエレスムス編のギリシャ語の新約聖書を耽読し始めたといわれる。ルターの場合もそうであったが、人には聖書を読むことから新しい世界が始まるのであった。  さて、二年間のアインシーデルン滞在中に、ライン河のかなた、世界史的な出来事が起こっていた。ルターの「九十五箇条の提題」(つづく)


聖書研究

2015-09-06 23:15:10 | 大分中央ウィークリー

創世記21章24節である。「アブラハムは答えた。『よろしい、誓いましょう。』」。前節で王アビメレクが「あなたに友好的な態度をとってきた」といった言葉は、新改訳聖書(1970)では、「あなたに尽くした真実」と原語に忠実に表現している。「真実」は原語ヘブライ語では「へセド」であって旧約聖書の、人と神との契約関係を現す大事な用語である。その意味で、ここでアブラハムは神に対しての忠実を現したのであって、答とその行動は見事、二つ返事であった。それ以外の言葉を必要としない。 

「あなたに尽くした真実」にアブラハムの「誓いましょう」である。その内容は神に対する誓いとなって現れる。23節の「誓って(シャバ)ください」に、「シャバ」(誓い)で答えた。これがここの地名「ベエル・シェバ」の準備となった。この「シェバ」はアルファベットの七番目の「シェバ」、数字の「七(聖数)」を表す。 

25節である。「アブラハムはアビメレックの部下たちが井戸を奪ったことについて、アビメレックを責めた。」という。この地域では具体的な問題として井戸の確保が重要であった。ここに誓いの返事をした後であるから、不自然なように見えるが、首長としてアビメレックが具体的にその部下たちの不始末の報告を受けていなかったようである。互いの大きな集団を抱えるのであるから確認が必要であった。

 具体的には、責任を責めることになるが、アブラハムの方は、誓約の内容を深める意味でこの確認を持ち出したようである。大きな器同士の誓約の重さがその確認に現れている。地名「ベエル・シェバ」の意味は先に「聖数を使っている」としたが、「七つの井戸」の意味である。アブラハムの長期滞在の聖なる場所となった。


牧 会 通 信

2015-09-06 23:10:15 | 大分中央ウィークリー

 ダンテの「神曲 地獄」編 第11歌   (原 光訳 2000年、沖積舎)

(カッコ内は筆子、その2)

◯破壊された巨大な岩石が形造つている、輪を成す高い崖の縁に着くと、わたしらはもつと残酷に詰込まれたものたちの上にゐた、

  ここでは深淵の放つ悪臭が身の毛のよだつほど猛烈なので、わたしらは大きな石棺(はか)の蓋の後に近寄った、

  そこにはこんな文字が見えた、「フォティン(テッサロニケの僧侶)により正道より引き離されし、法王アナスタシオ(496~8年在位)を納む。」(ここまで前回)

◯「下りるのはもっと後にせねばならぬ、まづ感覚がたまらぬ臭気にすこし慣れるやうに、さうすればあまり気にならなくなるだらう。」

かう師が言つたので、「なにか償ひを」とわたしは言つた、「みつけて下さい、時間がむだに過ぎないやうに。」すると言つた、「わたしもそのことを考へてゐるのだ。」

「息子よ、破壊されたこの岩石の下には、」と師はやがて口を切つた、「いままでの圏(かこい)とひとしく、段段を成してもつと小さい三つの圏がある。」(つづく)

 

◯2015年9月6日は、今年の第三十六主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主をあがめ 主に従え」の主題である。聖書はレビ記23章33~38節、その35節「いかなる仕事もしてはならない。」と。これは仮庵祭の第一日である。その日は安息日であった。労働の全面的禁止である。目的はただ主によりよく仕えるためである。

 

◯写真は、早や、カラスがねらうようになり、教会畑にある柿木からの初収穫。(9月4日撮影)