五、「教会とわたしたち」(328)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
ここバーゼル(フランスとの境界)の町は、古くから交易中心に栄え、その経済力に支えられた文運もとみに盛んであった。その自由で闊達な文化的魅力はその当時の新進気鋭の学者たちを呼び寄せた。ヴィッテンバッハはその一人であった。彼の聖書講義を介して若きツヴィングリは、キリスト教世界の基本、源泉としての聖書そのもの、またそこに示されているキリスト教会の姿に初めて接することになった。1506年バーゼル大学を卒業して10年間山間の小さな町グラールスの司祭館に勤め、1516年秋にヨーロッパ有数の巡礼地アインシーデルン修道院教会の説教者として転任して、彼は思想的大変革を遂げる。そこで彼が目にしたものは初代の「純正な」と思われる(ここまで前回)。
しかし、それはキリスト教信仰の姿からの乖離であった。今日の日本で見る諸宗教の姿に良く似ていた。一言で言えばキリスト教の世俗化であり、日本的にいえば、ご利益宗教になりきった有様であった。このころからツヴィングリはアウグスチヌスなど古代教会の教父たちの著作に学び始めた。1516年に刊行されたばかりのエレスムス編のギリシャ語の新約聖書を耽読し始めたといわれる。ルターの場合もそうであったが、人には聖書を読むことから新しい世界が始まるのであった。 さて、二年間のアインシーデルン滞在中に、ライン河のかなた、世界史的な出来事が起こっていた。ルターの「九十五箇条の提題」(つづく)