五、「教会とわたしたち」(331)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
しかし歴史神学的な意味では福音の先陣争いは無用であり、神の歴史的働きといわねばならない。どのような意味でも人間的功績を読み込んではならない。1516年秋からのアインシーデルン滞在は二年と数ヶ月という彼にとって比較的短い期間となった。1518年暮れも押し詰まってスイスの都市共和国を形成していたチューリヒに転任となる。時に34歳であった。ツヴィングリにとって更に新しい転機となった。このときから、彼は、宗教改革のツヴィングリといえばチューリヒ、チューリヒといえばツヴィングリといわれる関係になったのはこのときからであった。彼によってスイス改革派(ここまで前回)の名称は、このチュウリヒ都市共和国と分かれがたいものとなる。
年が明けて、1519年1月2日の聖日、ツヴィングリはチューリヒの中心にそびえる大聖堂の教会の説教壇に立った。それ以来12年間の彼の活動は、基本的には説教者としての務めであった。この説教壇から語られる聖書の講解説教および時宜に適った主題説教が、チューリヒに、スイスに、そして他の諸国に改革派教会の、ルター派とはまた違った、伝統を生み出すことになる。ルターの場合もそうであったが、宗教改革は何よりも先ず〝説教運動〟であったといえる。いつの時代もいえることであるが時代の曲がり角では、聖書の説教が勝負どころとなる。これは今日も同じである。(つづく)