5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌ
ス著「神の国」(1968.教団出版)(その68)
最終篇に入ります。
第二十二篇 神の国の永遠の浄福に
7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。
8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている奇跡について。
あるいはこう問われるかも知れない。かつて起こったと(前回はここまで)あなたの主張するような奇跡は、今日どうして行われないのであろうか、と。わたしはこう答えよう。それらは世界が信ずる前には信仰に導くために必要だったのである、と。信ぜんがために何かのふしぎなわざを求める者は、彼自身がすべてのうちでももっとも大きなふしぎである。なぜならば、彼は彼以外の全世界が信じていることを信じていないからである。しかし、これは奇跡がかつて本当に起こったのだという信仰を否定することに他ならない。……
しかし、奇跡は今日でも神の礼典により、聖徒らの祈りや聖遺物により、神の名においてなされている。唯、これらはかつてほどに有名でもないし、輝かしい記録にもなっていないだけのことである。
聖書正典はひとたび制定されると、昔の奇跡を世界のすみずみにまで知らせることとなり、いたる所で人々の記憶に強い印刻を与えることとなった。しかるに、もっと最近起こった奇跡は、それが行われた町とその近郊でようやく知られているに(つづく)(「神の国」出村彰訳)