ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 第18歌(その4) (原 光訳 2000年、沖積舎、)
◯この場所にヂェリオン(猛獣)の背から揺り落とされて、詩人は左手へ進み、わたしはひしとついていった。
右手には新奇な悲惨と責苦、新奇な鞭打人が見え、第一の袋はそれでいつぱいだつた。
底には裸の罪人たちがゐて、真中からこつちにはわたしらの顔に向つて来るもの、向うにはわたしらとともに
進むものがゐたが、歩みはより早かつた。(前回ここまで)
◯ローマ人は大赦に雑踏を極めるために、人々はうまく橋を渡れる方法を考え出し、
片側では、すべてのものが顔を城の方へ向けて聖ピエトロへ進み、反対側では山に向つて進むやうにした
が、あれとそつくりだつた。
こつちと向うの鉄色の岩の上では、角の生えた悪魔たちが大きな鞭をもつて、後ろから罪人たちを残酷に打
ち懲らしていた。 (つづく)
◯本日、9月24日(日)の日本聖書協会の聖書本文は創世記18・22~33で、その主題は「とりなし」である。
その22節「その人たちは、さらにソドムの方へ向ったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。」と。この後何
があったのでしょうか。有名な滅亡の地、ソドムの人々と甥のロトのための執成しの祈りの話である。そこを読
んではじめて執成しの祈りのあることを知る人が多い。しかしアブラハムに執成されているのは、実は、われわ
れ自身であったといいたい。32節「主はいわれた。『その十人のためにわたしは滅ぼさない。』」と。
写真は、9月18日に神学校主催の聖書・教理の公開講座が福岡城南教会で開かれた。講師は旧約学、三好明教師(小平)、教義学、有賀文彦(大垣)。参加者40名。