ダンテ(1265-1321年)の「神曲 地獄」編 第19歌(その13)
◯あの福音書の記者は、水の上に座る女が王たち相手に売淫するのを見たとき、お前たち牧人のことを予見した
のだ。
七つの頭で生れたあの女は、善徳がその夫に好まれてゐた間は、自身の十の角から強くする力を得てゐ
た。
お前たちは金と銀の神を造つた、お前たちと偶像崇拝者にはどんな違ひがあるのだ、あのものたちが一つの神
を、お前たちが百の神を崇拝してることを除けば。(前回はここまで)
◯ああ、コンスタンティン(ニカヤ第一回世界会議を招集した皇帝第一世、二七四―三三七年、基督教に帰依し時
の法王シルエストロ第一世にローマの領地を供え物としてささげたりとの説ありて、その時事実として認められしも、
事後戯言に過ぎざること証明せらるるに至れり)よ、そなたの改宗ではなく、最初の富んだ教父がそなたから受け取
つた、あの贈物こそなんといふ悪の母となつたことか!」
わたしがこのやうに言ひ放つてゐる間、憤怒か良心に噛み苛まれて、霊は両足で激しくもがき蹴つていた。(つづ
く)
◯本日、4月8日の日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「悔改めへの招き」と。聖書は詩編32・1~11。その1
節、「いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。」と。本編は七つの改悛の詩編、6、
351、102 130、143の二番目である。その主題は罪の赦しと祝福である。1~5節は事故の経験を歌い、6~
11節にはその個人的経験を通して他人を教えようとしている。その教えの第一は祈る人になる、という。赦されたこ
とのない人は、それでよいのかという。しかし、その人はその人、かまわない。
写真は4月1日イースターに大分中央教会墓地の前での記念撮影。
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