(原光訳、2000年、沖積舎)
ダンテ著〈1265~1321〉の「神曲 地獄」編 第二十歌(その11)
◯カサロディの無思慮がピナモンテの欺瞞にかからぬ内は、そこの住民はもつと数多かつた(ピナモンテに領主の地位を奪われる。
1270年頃)。
だからいつかそなたが、わたしの生地の起源が違った風に話されるのを聞いても、嘘に真実が欺かれぬやうに忠告しておく。」
わたしは言つた、「あなたの説は実に明確で、心から信頼できるので、今後外の説はわたしには消えた炭でせう。(前回はここまで)
◯しかしいま進んでくるものたちの中に、注目に値するものが見られるか言って下さい、さうしたものだけがわたしには気がかりなので。」
すると答へた、「頬から髯(ひげ)を褐色の肩に垂らしているあの男は、ギリシァに男がゐなくなつて、
辛うじて揺り籠にだけ残つてゐたとき、鳥占い師としてアウリデ(占い師)港で、カルカスとともに回顧すべき時を教えたものだ。(つづく)
◯本日、7月15日、日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「信頼のうた」である。聖書本文は、詩編37編23~40節である。その23節
にいう。「主は人の一歩一歩を定め 御旨(みむね)にかなう道を備えて下さる。」という。主なる神の御心は深く、わたしたちにはとらえよう
がない。わたしたちにはほんのわずかなこともとらえることができない。
人は主の御旨を悟ったような気になるが、神の事実はそんなものではない。その神信仰をどうして持つのか、それにわたしたち人間が、
関与できない。まったく神の側の働きあるのみ。「人の一歩一歩を定め」るのは、神御自身である。それゆえ信頼あるのみ。
写真は、2015年11月4日に逝去された故平野智恵子姉が、大分大学医学部で御献体の御用を果たして2年8カ月後の7月13日(金)
大分火葬場に戻ってこられ、そのご遺体をご遺族とともに火葬に付しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます