牧 会 通 信 (原光訳、2000年、沖積舎)
ダンテ著〈1265~1321〉の「神曲 地獄」編 第20歌(その3)
◯顔は背の方へねじ回されてゐて、みんな後に向かつて歩まねばならぬのだ、前を見るのは禁じられてゐるので。
ひよつとするとかつて中風の暴力で、このやうにぐるりとねぢられたものがゐるかも知れぬ、だがわたしは見たことがなく、起こりうるとも思われぬ。
この詩を読んで果実が得られるやうにとわたしの願つてゐる、読者よ、
わたしの身になつて考へてもみたまへ、人間の姿がそのやうにねぢ回されて、(前回はここまで)
◯眼から溢れ落ちる涙が割れ膨らむ臀部(しり)を濡らすのを、近くで見たとき、どうしてわたしが顔を濡らさずにゐられたらうか。
ほんとにわたしは泣いてゐた、ごつごつした岩橋の突出た岩の一つに支えられて、すると護り導くものが言つた、「まだそなたは人並に愚かなのか?(つづく)
◯本日、5月13日の日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「聖霊の約束」である。聖書本文は、ルカ22章44~
49節である。その44節である。「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ち
た」と言われている。「汗が血の滴るように」というのは人間の精神的苦悩の激しい時に見られる現象であると言わ
れている。真の人としてイエスの苦しみの極限状態を現しているとともに、わたしたちがそのような苦しみに遭うこと
がないように完全な身代わりとなっていてくださる完全な苦しみである。この世界には、これに代わる身代わりがな
いという意味で、イエスの苦しみの、それを信じるとき人は完全に救われる。
写真は、牧師館の東側のフェンス際のバラが満開です。5月11日午前11時ころ撮影、天候は快晴です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます