(原光訳、2000年、沖積舎)
ダンテ著〈1265~1321〉の「神曲 地獄」編 第二十歌(その7)
◯あれの腹に背を向けてゐるのは腸(はら)卜者アロンタで、下に住むカㇽラーラ人が薪作りに登るルニの山中の
白大理石の間の洞窟を住居としてゐた、そこからはなにものにも遮られずに、星と海が観察できたのだ。
そなたには見えぬ乳房を解いた編毛で蔽ひ隠して、毛深い皮膚をすつかり向う側にしてゐる、あの女はマントだつたのだ、(前回はここ
まで)
◯あれは多くの国国をへめぐってから、わたしの生まれた所に落着いた、だからわたしの話に少し耳を傾けうるがよい。
父親が他界し、酒神(「バツコ」)の都市が奴隷になつてから、あの女は長い間諸国をさまよつた。
美しい上(かみ)イタリアの、ティロルの上でドイツに嶮しく立ちはだかるアルプスの麓に、ベナコと呼ばれる湖がある。(つづく)
◯本日、6月10日、日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「主の証人たち」である。聖書本文は、使徒3章1~10節。「神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていた」という、年のころは40歳を過ぎた「生れながら足の不自由な男」がいました。ペトロが彼に、「~ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」と。この男は素晴らしい主の証人となりました。
写真は、6月6日、八女伝道所の九州中会伝道委員会の問安使として訪問しました。秦博記兄(写真前列の右)運転で行き、電車とバスなら3時間半かかるところ二時間と10分で到着しました。写真撮影は、写真前列中央の、筆者、南茂。
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