(原光訳、2000年、沖積舎)
ダンテ著〈1265~1321〉の「神曲 地獄」編 第20歌(その2)
◯わたしはすでに苦悶の涙に濡れたむきだしの底を熟視しようと、一心に身構え眼を凝らしてゐた。
そして見た、この世の連禱の行列のやうな足どりで、黙って涙を流しながら、人人が円い谷を歩いて来るのを。
顔から下の方に視線を移すと、愕くべきことにみんな顎(あご)と胸の上端(はじまり)の間でぐるりとねぢられてゐるやうに見えた。(前回はここまで)
◯顔は背の方へねじ回されてゐて、みんな後に向かつて歩まねばならぬのだ、前を見るのは禁じられてゐるので。
ひよつとするとかつて中風の暴力で、このやうにぐるりとねぢられたものがゐるかも知れぬ、だがわたしは見たことがなく、起こりうるとも思はれぬ。
この詩を読んで果実が得られるやうにとわたしの願つてゐる、読者よ、 わたしの身になつて考へてもみたまへ、人間の姿がそのやうにねぢ回されて、(つづく)
◯本日、5月6日の日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「キリストの愛の内に」である。聖書本文は、ヨハネ21章15~19節である。その15節である。「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい。」といわれた。この主イエスとヨハネとの問答は、この後を読んでいただかねばなりません。全く同じ問答の繰り返しではありませんが、少しずつ言葉を変えながら、同じ内容を三度も繰り返して、主がペトロに語りかけつつ、実は、わたしたちにも。
写真は先週5月3日(木・休)の福岡城南教会で開催された九州中会全体修養会での記念撮影風景です。92名集まった。
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