4日に、大相撲の地方巡業場所で、土俵上で倒れた舞鶴市長の救命措置のため土俵に上がった女性に、土俵から下りるようにと場内放送された。人命にかかわる危急の事態にあって、この時のアナウンさーが気が動転していたというが? そうではなく、土俵は神聖になる場所であるということで「女人禁制」を必須したということだろう。
このニュースは海外でも取り上げられていて、伝統を守るということが優先され、日本の女性の地位の低さを露呈した問題として捉えられいる。海外の多くのメディアがとらえる通りだと思う。
富士山への登山も明治5年までは女人禁制だったという。江戸時代の後期から徐々に女性も登り始めていたらしく、2合目までの神社までは登れるようになるなど、年月をかけて女人禁制が解かれていったという歴史があるとのこと。女人禁制時代もそれが解除されたその後も、全く無関係に富士山への信仰や憧れ、畏怖など富士山を尊重するということに変化はないのではないか。
6日には、宝塚市で行われる巡業で宝塚市の女性市長が、土俵の上で挨拶したいと申し入れたが、相撲協会は伝統なのでということで、断られたとのこと。海外メディアでは、日本では土俵の上に女性が乗ることはたやすいことではなさそうだと予言している。海外の方が、日本文化の中にある保守性をよく見抜いているようだ。しかし、今やグローバルな時代にあっては、伝統を守りつつも、世界の中の日本を見出す工夫をし、変化を求めても良いのではないだろうか。
伝統という言葉の説明に、相撲は「神事」だからというが、女性の神様もいる。古代の方がおおらかだった。そういえは皇位継承についても、今の皇室典範では男系継承が第1条で規定されている。しかし、歴史では女性天皇もいたではないか。昔の方が現実的であった。何故このようには主的なのだろうか?
このように歴史的に見ると、「伝統」もその時代の要請によって、変化しても良いのではないか。何が何でも原則を保守するというのは、今を生きる「私たち」と将来を生きる人たち「未来人」を縛ることになるし、発展もない。
思えば私が勤め初めて2番目の職場で、所属する部署は9人のメンバーだった。その内、女性は2人だ。9人が出勤し各人の席に着き、朝礼の後、女性たちが給湯室に向かいお茶の準備をする。給湯室では、別の部署の女性が集まり、お茶の準備がてら、井戸端会議で花を咲かす。話し声や笑い声が収まったかと思うと、女性がお盆をもってお茶を各人の席に配る。こんな光景が7年間も続いていた。
しかし、次第にお茶だけでなくコーヒーを飲む人も増え、自身で好みの飲み物を入れて飲むようになった。私が定年退職するころは、お茶タイムはなくなっていたし、女性の管理職も増えてきた。
女性活躍推進ということで法や制度を整備しつつあるが、制度により強化するだけではだめだと思う。根底にある社会の伝統を見直し、伝統で守るべきところと変革させるところを見極めて進化していくことが必要であろう。
このニュースは海外でも取り上げられていて、伝統を守るということが優先され、日本の女性の地位の低さを露呈した問題として捉えられいる。海外の多くのメディアがとらえる通りだと思う。
富士山への登山も明治5年までは女人禁制だったという。江戸時代の後期から徐々に女性も登り始めていたらしく、2合目までの神社までは登れるようになるなど、年月をかけて女人禁制が解かれていったという歴史があるとのこと。女人禁制時代もそれが解除されたその後も、全く無関係に富士山への信仰や憧れ、畏怖など富士山を尊重するということに変化はないのではないか。
6日には、宝塚市で行われる巡業で宝塚市の女性市長が、土俵の上で挨拶したいと申し入れたが、相撲協会は伝統なのでということで、断られたとのこと。海外メディアでは、日本では土俵の上に女性が乗ることはたやすいことではなさそうだと予言している。海外の方が、日本文化の中にある保守性をよく見抜いているようだ。しかし、今やグローバルな時代にあっては、伝統を守りつつも、世界の中の日本を見出す工夫をし、変化を求めても良いのではないだろうか。
伝統という言葉の説明に、相撲は「神事」だからというが、女性の神様もいる。古代の方がおおらかだった。そういえは皇位継承についても、今の皇室典範では男系継承が第1条で規定されている。しかし、歴史では女性天皇もいたではないか。昔の方が現実的であった。何故このようには主的なのだろうか?
このように歴史的に見ると、「伝統」もその時代の要請によって、変化しても良いのではないか。何が何でも原則を保守するというのは、今を生きる「私たち」と将来を生きる人たち「未来人」を縛ることになるし、発展もない。
思えば私が勤め初めて2番目の職場で、所属する部署は9人のメンバーだった。その内、女性は2人だ。9人が出勤し各人の席に着き、朝礼の後、女性たちが給湯室に向かいお茶の準備をする。給湯室では、別の部署の女性が集まり、お茶の準備がてら、井戸端会議で花を咲かす。話し声や笑い声が収まったかと思うと、女性がお盆をもってお茶を各人の席に配る。こんな光景が7年間も続いていた。
しかし、次第にお茶だけでなくコーヒーを飲む人も増え、自身で好みの飲み物を入れて飲むようになった。私が定年退職するころは、お茶タイムはなくなっていたし、女性の管理職も増えてきた。
女性活躍推進ということで法や制度を整備しつつあるが、制度により強化するだけではだめだと思う。根底にある社会の伝統を見直し、伝統で守るべきところと変革させるところを見極めて進化していくことが必要であろう。