買い物に行く途中に、そば畑がある。以前はブドウ畑だったが、数年前に土を入れて、そば畑になった。今年は例年より花の白がきれいに見える。何故だか定かでない。私の目に映った姿からすると、いつもより花が密集しているからかな? または、今日は陽ざしはあったが、秋を感じる爽やかな日和だったので、白いそばの花が一層白く見えたからかもしれない。今、花が咲いているということは、秋そばで、11月ころに収穫をするのだろう。
そばの花畑。単身赴任時代の北海道を思い出す。
そばの花。
妻も私もそばは好きだ。幼いころ、そばというより、母が作ったそばがきが好きだった。そば粉にお湯をいれ菜箸で煉って、食べられる程の塊にする。湯の中に浸し、それをすくって、小皿に入れ、おかかをまぶし、醤油につけて食べる。そばとは違った、ややぬるっとしてクチャクチャした食感が忘れられない。妻は、実家ではそばがきを食べる習慣なかったが、当地に住むようになってから、蕎麦がきが好きになった。そば食堂で、そばがきがあれば注文することにしている。
私は長いこと、小麦粉と違って、そば粉はわが国特有のものかと思っていた。しかし、しだいに世界各地で食用にされていることを知った。大人になってからだが、盛岡で冷麺を食べた時にそば粉であることを知った。しかし、本稿をかくまで冷麺がそば粉を主原料だということを忘れていた。妻とそば粉の話をしていて改めて認識した。フランスではガレットとしてそば粉を使っている。イタリアでは日本のそばと同じ小麦粉の割合でつくるピッツォッケリというパスタがあるそうだ。中国でもそば粉の麺があり、ロシアなどではそばの実を粥にして食べるとのこと。「そば粉」=「そば」でないことを改めて知った。
日本のそば(実・粉)の主産地は北海道だ。花やそばのことを想いながら、スーパーマーケットに1週間分の食料を買いに行った。いつものように、他の食品と一緒に「牛乳」2本、「低脂肪乳」3本を買い物かごに入れてレジに運んだ。するとレジ係りの定員が、「牛乳類はおひとり様、2本に制限させていただいております」と言う。すぐに「地震の影響ですね」と応答した。
この店員の「・・・2本に制限させて・・・」という言葉を聞いて、なぜか胸騒ぎのような感じを覚えた。ニュースで大地震の怖さと停電、断水など、人々の苦しさを映像や音声で感じていたはずなのに。牛乳の購入制限という私たちの身近な生活に影響があると知らされ、「ハッ」とした自分にうしろめたさを感じた。テレビの映像や音声での恐怖でしかなかったのかと、反省させられた。真の恐怖感は経験しないと分からない。
しかし、今この瞬間に、広島の豪雨や北海道の地震で、被災された、未だにご苦労されている人々がいることをしっかりと認識し、忘れてはいけない。そして、多くの方が経験された、災害を教訓としつづけなければならないと思った。
そばの花畑。単身赴任時代の北海道を思い出す。
そばの花。
妻も私もそばは好きだ。幼いころ、そばというより、母が作ったそばがきが好きだった。そば粉にお湯をいれ菜箸で煉って、食べられる程の塊にする。湯の中に浸し、それをすくって、小皿に入れ、おかかをまぶし、醤油につけて食べる。そばとは違った、ややぬるっとしてクチャクチャした食感が忘れられない。妻は、実家ではそばがきを食べる習慣なかったが、当地に住むようになってから、蕎麦がきが好きになった。そば食堂で、そばがきがあれば注文することにしている。
私は長いこと、小麦粉と違って、そば粉はわが国特有のものかと思っていた。しかし、しだいに世界各地で食用にされていることを知った。大人になってからだが、盛岡で冷麺を食べた時にそば粉であることを知った。しかし、本稿をかくまで冷麺がそば粉を主原料だということを忘れていた。妻とそば粉の話をしていて改めて認識した。フランスではガレットとしてそば粉を使っている。イタリアでは日本のそばと同じ小麦粉の割合でつくるピッツォッケリというパスタがあるそうだ。中国でもそば粉の麺があり、ロシアなどではそばの実を粥にして食べるとのこと。「そば粉」=「そば」でないことを改めて知った。
日本のそば(実・粉)の主産地は北海道だ。花やそばのことを想いながら、スーパーマーケットに1週間分の食料を買いに行った。いつものように、他の食品と一緒に「牛乳」2本、「低脂肪乳」3本を買い物かごに入れてレジに運んだ。するとレジ係りの定員が、「牛乳類はおひとり様、2本に制限させていただいております」と言う。すぐに「地震の影響ですね」と応答した。
この店員の「・・・2本に制限させて・・・」という言葉を聞いて、なぜか胸騒ぎのような感じを覚えた。ニュースで大地震の怖さと停電、断水など、人々の苦しさを映像や音声で感じていたはずなのに。牛乳の購入制限という私たちの身近な生活に影響があると知らされ、「ハッ」とした自分にうしろめたさを感じた。テレビの映像や音声での恐怖でしかなかったのかと、反省させられた。真の恐怖感は経験しないと分からない。
しかし、今この瞬間に、広島の豪雨や北海道の地震で、被災された、未だにご苦労されている人々がいることをしっかりと認識し、忘れてはいけない。そして、多くの方が経験された、災害を教訓としつづけなければならないと思った。
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