標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

津久井やまゆり園の追悼にあたって思うこと

2017-07-27 19:41:30 | 日記
昨日衝撃的な事件が起きてから1年経ちました。お亡くなりになられた方への哀悼の意を表します。また、被害に遭われた方々、ご家族の悲しみを思うと言葉になりません。

テレビでは被害に遭われた方々、そのご家族、周辺の方、専門家などの意見が報道されていた。その中で今後のやまゆり園の方向性が課題となっていた。今までと同様の施設にするか、グループホーム等地域移行型か、またどの地域に作るかなど、立場の違いにより様々である。理想的な施設づくりとなると、施設だけでなく設置する地域の環境づくりもしなければならず、5年、10年単位で考えていかなければならない。

日本では戦後長いこと障害者の施策は、「措置」という行政の手続きとして行われてきた。残念ながら主体は障害のある人でなく行政となっていた。これが、支援費制度を経て障害者自立支援法が2006年に施行された。これにより障害のある人の生活は施設から、地域で一人ひとりの自立生活ができるように支援するということとなった。

しかし、欧米等ではだいぶ以前より障害者等の自立支援について対応している。30年弱も前になるが、オーストラリアの施設を訪問したことがある。

あるグループホームの利用者は6人であったが、昼間だったので、全員屋外での活動をしていた。施設管理者の話によると、大学に通学している人、職業訓練施設に行っている人など様々であった。その中の一員に脳性麻痺で電動車いすの利用者がいた。ヘルパーと一緒に隣接する町まで外出していた。前の晩にメンバー全員で焼いたクッキーを売るために、地域のバザーに参加しているとのこと。私はそのような生活もあったのかと驚かされた。施設というより、大きな一軒家でリビングが家の真ん中にある。その周辺に個室があった。障害の種類や程度に関わらず、家庭のように共同生活をし、昼間は外出し個々人の目的を果たしていた。

当時の日本では考えられない。未だに、わが国ではも仕組みはできているが、障害の差異を超えたグループホームはできにくいし、地域での受け入れ体制が十分でない。

やまゆり園の今後は、地域の環境も含め障害の有無にかかわらず、すべての市民が一人ひとりの個性を尊重した社会づくりが必要だ。道のりは長いかもしれないが、一歩ずつでも前進していく必要がある。
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