大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

タタラについて

2023-08-31 06:14:00 | 神話・物語・本から

タタラ製鉄の続きです。


三輪山を御神体とします大神神社の境内には狭井神社(さいじんじゃ)がありました。







この「狭井」は、鉄の古語「サヒ」から来ているようで、鉄に関連がある神社です。


サヒは、記紀神話にさいもちかみ(鋤持神)として出てきます。刀剣の意味があるようです。


サヒモチの神が出てくる場面。


海幸山幸の段で、火遠理命(山幸彦)を綿津見神の宮(龍宮)から上つ国(地上の国)に送った一尋わにがいます。


綿津見大神が招集した全てのわにの中で、一尋わには「一日で送って帰ってこれる」と言い選ばれ、頸に火遠理命を載せて、約束通り一日で送りました。

わにが帰路に就こうとした時、火遠理命が自分の身につけていた紐小刀をわにの首につけて送り返したので、佐比持の神と呼ばれるようになりました。


(ワニは、海人族のワニ氏の暗喩かなと思っています。豊玉姫や玉依姫にも関係が深いです。)


また、ウガヤフキアエズと海神の娘玉依姫との間に生まれた子(神武天皇の兄)の稲飯命は東征の際神武天皇に従いますが、熊野で暴風に遭い、「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、「鋤持(さいもち)の神」になったあります。その後、新羅の王となった話もあります。


この新羅については、 『日本書紀』によれば、「スサノオ」は新羅の「ソモリ(牛頭)」に天下りした後、出雲の奥地の「鳥髪(とりかみ)」に来たとあります。


奥出雲にある鳥髪の峰は船通山と呼ばれ、山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があるようです。



写真はお借りしました。

また、神武天皇の祖母は豊玉姫(海神の娘、玉依姫の姉)です。その豊玉姫に因んで大分の祖母山は名付けられたと言われています。しかし、もとは、古代朝鮮語のソホリ山あるいはソウリ山だったようです。ソホリと、ソモリ(牛頭)は響きが似ています。

古代朝鮮語では、ソンは船🚢を表しているようです。また、ソモリは牛🐃とセモリは鳥🪿みたいです。ソ🟰セとも言われており、またモリ🟰頭、髪です。
つまり、牛頭🟰鳥髪といえます。
船通山が鳥髪の峰。そこにスサノオ(別名、牛頭天皇)が船で降り立ち、天叢雲剣出顕の地としたとすると、地名に込められた言葉の裏は興味深いです。


サイは、ワニの鋭い歯をサイ(刃物の意)に見立てたところからの名づけたという話や、隠岐島方言では、サメをワニということから、サヒがサメとなり、サヒ🟰サメ🟰ワニ🟰刀剣とも考えられています。


これらのことから、サヒはサイ、狭井神社(サイ神社)は、鉄剣、スサノオ(の剣)やワニ氏と関係があるのではないかなと思いました。


狭井神社のご祭神は、大神荒魂(おおみわあらみたま)、大物主、ヒメタタライスズ姫、セヤタタラ姫、事代主(大国主の息子)です。

そして二柱の姫の名は「タタラ」(製鉄炉)を含みます。「狭井」は、鉄の古語「サヒ」から来ているとすると、サヒ神社は鉄神社です。


神武天皇は長髄彦との決戦に勝ち、その後ヒメタタライスズ姫と結婚します。


より強い「鉄の力」を得たということを意味しているのかもしれません。そこには、より強度の高い鉄をつくる製鉄方法、タタラも関係があるように思いました。




鈴なりとタタラ製鉄

2023-08-28 07:02:00 | 神話・物語・本から

前回鈴なりについて書きました。


すずなり【鈴生・鈴成】とは、

 (形動果実が、神楽鈴(かぐらすず)のように、房となってたくさん群がってなること。 果実などが実って木にいっぱいついていること。 また、そのさま。 

 (形動一般に、多くのものが一か所にぶらさがっていること。


のようです。この鈴🛎️が製鉄と関係があったとは意外でした。


製鉄は、大陸から持ち込まれるよりも以前、太古の昔からその製法はあったようです。


「みすずかる」は「信濃」にかかる万葉集の枕詞のようですが、貴重な鉄の原料である「すず」が信濃(長野県)からとれたのです。出雲の国譲りのタケミナカタ神が逃れた地です。


出雲はタタラ製鉄が盛んに行われていたイメージがあります。タタラ製鉄の技法は大陸から持ち込まれましたが、それ以前においても、もしかしたら、出雲は、製鉄においても信濃と同じく太古の技法をしていたのではないか?と考えます。


太古の技法は、鉄の生成を自然に委ねています。


記紀神話に出てくる、豊「葦原」瑞穂の国。この中の葦は水辺に生える草です。古代より製鉄の原料だったスズは、湿地帯に生える植物、葦や茅,薦等の根に、ある種の鉄鉱石である褐鉄鉱が付着して塊となったものでした。


鉄分を多く含む水の葦原では、鉄細菌が葦(あし)、茅(かや)、薦(こも)などの茎に付着し、それらが腐敗するにともない有機物を取り込みます。

そうして、水中の鉄イオンが酸化しエネルギーを獲得し褐鉄鉱が植物の周りに自然に沈積したのです。

褐鉄鉱の中が空洞になると同時に小さな塊が残り、振ると音がします。それがチリンチリンと鈴のようになったようです。


太古そうしてできた鉄は自然の産物ですから、出来るのに数十年かかったのです。出雲には沢山銅鐸が出土しています。銅鐸の埋められた地は、水が湧く泉のある場所であるようです。青銅器(クスミ)の銅鐸を土に埋めて、鉄の生成が早まるように祈っていたのではないかというのです。





そもそも、石器→青銅器→鉄器時代へと人類は移行します。

石器から銅へ、銅から青銅器へ、青銅器から鉄へ、それは人々が文明を築くきっかけとなりました。まさに、スズナリの発展。


祈りと共にあった自然の産物、鉄は、やがて、陸からの帰化系技術者(韓鍛治)の渡来により飛躍的に生産を増大させます。砂鉄を採取することを知ったからです。タタラ製鉄です。


東北に特に残るアラハバキ信仰は、殆どが鉄鉱石が御神体です。自然の中で鉄がうまれる神秘を太古の人は尊んだのか、もしくはタタラ製鉄と関係があるのか。朝廷と対立した蝦夷。蝦夷と鉄の関係。タタラの地と鬼伝説。長髄彦一族が逃れた地。東北。これらはスズナリに繋がります。鉄の意味するものが隠された歴史にとても大きい気がします。


弥生時代は終焉し古墳時代となりますが、古墳時代の文化は鉄器によって作られます。古墳時代は空白の時代。書物などが残っておらず大陸の書物などからしか日本の様子を窺い知ることはできません。


しかし、日本の古墳の数はコンビニより多く、それだけ権力をもった人が生まれたことをものがたります。


自然を大きく破壊しながら沢山の鉄をうむタタラ製鉄、自然が作り出す褐鉄鉱から磁鉄鉱へと変わっていく過程で、酸化しやすい褐鉄鉱で作られた鉄器は姿を消し、タタラ製鉄で作られた磁鉄鉱による鉄は今なお何かを物語っている気がします。より強い鉄を持っ者が富と権力と結びつきます。


おそらく、当初、出雲やヤマトで灌漑など水の氾濫を防ぎ、鉄製農具をもたらし、人々の暮らしを守ったのが、八岐大蛇(水の氾濫)をおさめた、スサノオ饒速日命だったのではないかなぁと思ったりします。そして、その後国譲り。


富雄丸山古墳からでた、最大の長さの鉄剣。埋葬者への研究は、何かのベールを開くのでしょうか。






鉄ひとつとっても、自然からの生成をじっと祈りをこめて待つ姿勢から、山を切り崩す自然破壊を伴うタタラ製鉄により大量のものを作る姿勢へ変わっていきます。


製鉄のプラスの側面とマイナスの側面のバランスが崩れてくる、または、自然の痛みに無関心になっていったのかもしれません。


どこか、人の支配欲、権力、物欲は自然と対極にあり、自然から切り離されていく過程が鉄に関する古代史にもみえてきます。


丁度良い塩梅でチリンチリンと鈴がなり、そこまででストップ!と人の欲をとめてくれるとよいのですが、なかなか、欲に塗れてしまうとバランスの「中」をとるのは難しいのかもですね。



【画像はお借りしています。】


富士山久須志神社 クスシ、クスミとは

2023-08-24 06:13:00 | 神仏について

前回からの続きです。

久須志(クスシ)神社が富士山にありました。そのクスシはクスミに似ているなあという理由だけで、銅鐸(クスミ)について書いています。


銅鐸はクスミの神であり、「スズの成長を早めようと神に祈るためのもの」でした。「古代の鉄と神々」によれば、銅鐸が姿を消して弥生時代が終焉し古墳時代がはじまったのはスズを採取しての原始的鉄生産から砂鉄を採取する方法を会得したことによる、とありました。


太古より強固な鉄を制するものが力を持ったことが伺えます。鉄は農具、灌漑、祭具、武器、様々に形を変え生活を変化させたのでしょう。出雲の銅鐸(クスミ)は土の中に祈りをこめて埋められたのです。


出雲王国とヤマト政権の著書より、海人達が秦国から持ってきた献上品とは、青銅器でできた古代シナの打楽器の編鐘あったとありました。

「日本書紀」には、「武日照 (タケヒナドリ命が、天(🟰(アマ))から持ってこられた神宝は、出雲大神の宮に収めてある」と書かれています。

出雲王国では、この編鐘を銅鐸につくり変えて神宝とし各地に配布し銅鐸の祭りを行いました。渡来して出雲と結びついた海人族が銅鐸の原型を出雲に持ちこみます。

銅鐸信仰は、出雲族が移り住んだ地で広がりをみせます。出雲系でヤマトを収めていた長髄彦と神武は戦いますが、饒速日命を崇拝していた長髄彦は負けてしまいます。


神武天皇はヒメタタライスズ姫 (蹈備五十鈴)を皇后としますが、その名前からわかるようにタタラに縁があり名前の中の「鈴」は銅鐸を示し、「五十」は数が多いこと。「タタラで作った銅鐸を数多く持つ姫」という意味の名前です。

出雲族のタタラ(スズ)と縁のある女性との婚姻は力と結びつく感じもします。 


ところで、万葉集にある「みすずかる」は「信濃」にかかるの枕詞のようです「み」は貴重な鉄の原料である「すず」の美称です。出雲の国譲りに負けたタケミナカタ神が逃れた信濃(長野県)もスズに繋がりがありました。

鉄分を多く含む水の葦原では、鉄細菌が葦に付着し褐鉄鉱が周りに沈積し塊となります。それがスズでした。

「すず」は、たたら製鉄より古い製鉄方法のようで、たたらより低い土器を焼くくらいの温度で精錬され、特に信濃で盛んに行われていたようです。鈴なりという言葉は、葦などの茎に鉄分がこびりついている様子からきたという説が有力のようです。


出雲の国譲りで敗れたタケミナカタ神が出雲の王国の再現を願い信濃に逃れたのは、諏訪が「すず」が採れるところだったからかもしれません。

諏訪からは製薬会社も沢山うまれます。

銅鐸の埋められた地は、不思議と水が湧く泉のある場所であることが多いようです。原初の水が変化して鉄ができる神秘を尊んだり、霊水により病が癒されたり。


根に鉄鉱石成分が付着しどんどん成長し、中が空洞になると同時に小さな塊が残り、振ると音がするようです。これが「すず(鈴)」です。「すず」の成長は、数十年以上の長い時間がかかることから、成長を祈り銅鐸は土に埋めたわけです。

神社などで鈴を鳴らすのは、この「すず」がたくさんとれるように、と祈った名残りのようです。

高千穂でアメノウズメがスズを持って踊る像がありました。


高千穂神社


葡萄の房のように、鉄鉱石の「すず」がたくさん付いた状態を「すずなり(鈴生)」というようです。



また、銅鐸は昆虫のサナギと似ていたので、当時はサナギと呼ばれたこともあり、古代の人々は、サナギから蝶や蛾が生まれることに神秘性を感じ、似た形の銅鐸に描きます。また交わりを表す×を沢山描いたり、舟を描いたものもあるようです。舟は夫婦の交わりの暗喩表現で子宝を祈る意味があるようです。



自然が無為に鉄分を含む水からスズ鉄を作る。太古、銅鐸を通し人々は神秘を感じ、自然に潜む力、命の誕生、鈴なりに様々なイメージを結びつけた気がしました。

銅鐸はクスミ。クスミの響きから、クスは命を守るための薬や、信仰の九頭竜、葛なども空想させます。太古からの差別された原住民、国栖(土蜘蛛)。また、神々が住む九重天も。

鈴なりに連なる祈り、永遠の魂、命の連鎖、闘いのない世界への思い、昇天、安寧、平和、そんなイメージが連なります。


富士山久須志神社のクスシ。

美しく、優しく、厳しい山。裾野のひろい霊山、富士山。日本人の祈りと信仰が太古から蓄積し形となって何よりも高く神国、日本に顕在する二つとない富士山。

富士山登拝はこの夏の最大の目標であり、日、月、雨、雲、雹、雪、光、風、森羅万象への祈り、感動の連続でした。





銅鐸クスミの神

2023-08-23 07:54:00 | 神仏について

久須志(クスシ)神社という神社が富士山にありました。そのクスシの響きに注目して空想したのが☟です。


①地名の久須志(富士山、青森)

神仏習合信仰から薬師、くすり

③九重天や扶桑などの中国神話から、地名の久住連山(大分県)、熊野の九重

④太古の民族ら国栖(古代ツチグモ)、葛

 九頭竜信仰のクズ

⑥古代信仰から銅鐸(クスミ)


①から⑤については書いてきましたので、最後の⑥についてです。


クズの響きから、出雲王国やら、太古の消された民などをイメージしています。


神武東征の際最後まで闘った長髄彦の兄の安日彦は東北陸奥に逃れたようです。長髄彦は饒速日命を崇拝していました。富士山の頂上付近にある久須志神社と同じ名前の神社は、青森に3社あります。

九州で買ってきた自費出版の本には、九州宗像大社と安日彦(後の安倍氏)の関係について書いていました。故安倍晋三元首相の祖先です。太古からの信仰、アラハバキ信仰を蝦夷と呼ばれながらも東北の地でずっと守り続けていました。


アラハバキ神は塞の神であるという説や、道祖神、集落を疫病や戦、招かざる客から護るとともに、夫婦和合の神などとされ、陽石や陰陽石、夫婦のレリーフなどで表される太古の神です。アラハバキ神を祭る神社の多くは磐座を御神体としているため、出雲の磐座信仰との関連が指摘されています。


陰陽師の安倍晴明の母の名前は葛子(葛の葉 )で、ウカノミタマにも縁がある狐の伝説があります。ウカ神は、蛇の身体をもつ神です。葛は、蔓性の植物でもとのものに絡みつきどんどん覆い尽くします。まるで、闘いに負けるも太古の信仰を奪われないように陸奥の奥地で隠して守り通したようでもあります。

太古からクズの響きには祭祀が関わっているかもしれないと思いました。

ということで、今日は、祭祀に関する神器、銅鐸について書いてみます。銅鐸はクスミと呼ばれていました。


役小角の著書より、

饒速日は父須佐之男から学んだ鉄資源の発見、採取、鍛冶の技術を駆使して利器を造り、 山を開き、原野を開拓していった。 

災いを払う呪術や、病気を治す薬草の知識も、この饒速日によ って人々にもたらされた。

こうして、大王となった饒速日は、人々に敬われ、死後神となって諸国に祀られた。三輪 (三室山)や石上、熊野、賀茂、その他諸国各地に饒速日は祀られて、人々に敬愛された。

饒速日は、父須佐之男や兄弟たちの霊の他に、もう一つの神を信奉していた。

それは、「クスミと呼ばれる異形の神」であった。


銅製で寺院の梵鐘を押し潰したような不思議な形を していた後に、銅鐸と呼ばれるようになった祭器である。

これは、川や沼沢地の葦などに寄生して出来る、中が空洞の褐鉄鉱の塊であるスズの成長を祈るために考え出された神なのである。 


スズの生成は七、八年、あるいは十数年もの時間を必要とする。しかしそれでは、急速に進む開拓には間に合わない。そこで、饒速日たちはスズと似た形の神を創り、その神に祈ることによっ て、スズの成長を早めようとした。それがクスミなのである。


以上。


銅鐸はクスミであり、スズの成長を早めようと神に祈るためのもの。スズは、鉄鉱石となり、たたら製鉄と結びつきます。タタラ製鉄は出雲と深い関係があります。


つづく


富士山久須志神社とクズ繋がり ③

2023-08-22 06:18:00 | 神社仏閣

朝の連ドラのらんまんが面白いと聞きここ数日で全100話までオンデマンドでみてみました。とても面白い。純粋に好きな事に打ち込む、心を込めてし続けるのは素敵ですね。

ということで前回から少し空いてしまいましたが、また続きを書いてみます。

久須志(クスシ)神社という神社が富士山にありました。神仏習合の時は薬師如来(ヤクシクスシ)をお祭りしていました。そのクスシの響きに注目して空想したのが☟です。


①地名の久須志(富士山、青森)

 神仏習合信仰から薬師、くすり

③九重天や扶桑などの中国神話から、地名の久住連山(大分県)、熊野の九重

④太古の民族ら国栖(古代ツチグモ)、葛

 九頭竜信仰のクズ

⑥古代信仰から銅鐸(クスミ)


①②は前回書きました。

久須志神社という神社は、神仏習合の時は薬師如来、つまり、クスリの仏様です。クスリのクスですが、葛(クズ)植物は、薬草として使われており、葛根湯とか今でも有名なお薬があります。



今日は、クズから、前回に引き継ぎ↑の③④⑤あたりを書いてみます。

葛といえば、出雲大国と深い関係のあるカモ氏が大和に移り住んだ地も城(カツラギ)でした。また、九州の磐井の乱の息子は子(クズコ)でした。

以前、磐井の乱について書いた事がありますが、古代におこった九州の大乱の磐井の息子である葛子は、長野に逃げ逃れて父が作った王国を再び長野で造ったのではないか?と私は思っています。分かりませんが、伝承からなんとなく。

諏訪大社の摂社に井神社(九頭井神社)があります。境内の池は葛井の神池といって古来諏訪七不思議の一つに数えられ、池に住む魚はすべて片目であるといわれています。

クズは、葛、九頭龍、片目から出雲のタタラ製鉄(タタラ製鉄は出雲に多く、タタラに携わると目を痛めて片目になる)など、本当に出雲王国に結びついてしまいます。出雲は、太古から龍蛇信仰を持っていました。また、葛の木はつる性の植物で自らを木に絡めて成長するので、まるで木に巻き付く龍みたいですね。


出雲王国とヤマト政権の著書では、

スサノオは、出雲の国を治め、銅や鉄の利器を用いて国土の開拓を進め、やがてその勢力は西の筑紫や日向にまで及んでいき、やがて西の国造りが終わったスサノオは自分の息子饒速日を大和に使して、国造りをさせた。

とあり、また

饒速日は父須佐之男から学んだ鉄資源の発見、採取、鍛冶の技術を駆使して利器を造り、 山を開き、原野を開拓していった。 

とも。銅鐸も出雲からは沢山出土し、銅から鉄へ、タタラ製鉄が盛んに行われていたことも伺えます。

西は筑紫もおさめたとありましたが、九州にいた原住民。まつろわなければ土蜘蛛やクズと言われました。

九州の彼岸花の名所は消された太古の民が戦った地でした。大分県 竹田市久住神社があり竹田には七つ森古墳があり土蜘蛛の跡地でした。


近くの土蜘蛛塚は、に覆われていました。


常陸国風土記に、

『古老のいへらく、昔、風巣(クズ)山の佐伯、野の佐伯ありき、高尾張村邑に土蜘蛛あり、、、

佐伯は、大分県にあります。クズ山は、久住でしょうか。磐井の息子はクズコ(葛子)。


久住は九重と響きがにていますし、磐井は太古中国から色んな技術をうけとり新羅との繋がりが深くありました。

九重天扶桑などの中国神話の影響が太古の地名や人名に残るとすれば、クズはとても神聖な響きだったのかもしれません。

地名の久住連山(大分県)、熊野の九重。海からの太古の渡来人は、クズ、クジュウを神聖視していたのかもです。


記紀神話にも、神武天皇東征のおり、当地で光る井戸から出てきた尾のある人と出会い、それが国栖人(クズ人)であったと伝えています。
尾のある人などはいるはずもなく、山で働く時獣皮を尻に当てていたのかもしれず、西日本の豪族を支配して近畿に力を伸ばしてきた神武の東征軍が、力を強めるにつれ、クズを名乗る先住民を見下した呼称にしたのかも?わかりませんが。

久須志は須く久しく志す。しかし、歴史の中では、太古の国譲りやら覇者争い、須く久しい事を願う人々は歴史で消されたり、差別されたりしたのかも、、とクズの響きから想像してしまいます。

しかし、一番高く美しい山、富士山の頂上🗻付近に久須志神社が今でも有るのは救いのような気もします。😌