「役行者(えんのぎょうじゃ)」とは、修験道の開祖であり、7~8世紀に奈良を中心に活動していたとされる人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
優婆塞(うばそく)とは、サンスクリット「upāsaka(ウパーサカ)」の音写語で、「在家仏教信者」を意味します。また、「神変大菩薩」とは、「役行者一千百年御遠忌」を機に、光格天皇が、1799年役行者に贈った諡号(しごう🟰僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名)です。
役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、正史と言われる史料は、平安初期に編纂された、『続日本紀(しょくにほんぎ)』だけで、役小角の記述はわずか数行しかありません。
『続日本紀』にみる役行者の記述
文武天皇3年(699)5月24日、役君小角が伊豆島に流された。小角は葛城山に住み、呪術をよくすると、世間の評判であった。従五位下の韓国連廣足という者が、当初この小角を師と仰いでいたが、その能力をねたんで、(役小角が)人々に妖言を吐き惑わしていると朝廷に誹謗中傷した。そのため、(小角は)遠島の刑に処せられたのである。
世間の噂では、小角は巧みに鬼神を使役して、水を汲んだり薪を採らせ、もし(鬼神が)命令に背くようならば、たちまち呪術によって身動きがとれないようにしてしまう、などと言われている。
つまり
「鬼神を使役できると世間で噂されている、葛城山に住む行者の役君小角が、韓国連廣足の告発で島流しにあった」ということだけです。
しかし、私が愛読しています黒須さんが書かれた役小角の本は、とてもリアルに幼少期からの役小角が描かれます。
それは、不思議な力を駆使して、空や野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった奇想天で到底信じがたい伝説上の人物ではなく、当時の混沌とした時代を修養を誠の心でし続け人々をすくった人物だったと感じさせてくれます。
大化の改新あたりが幼少期で、皇統争いである壬申の乱あたりを生き抜いた感じです。偉大人物の流れでいうと、聖徳太子→役小角→空海という感じです。
この3者には共通するものがあるように思えます。聖徳太子は、秦氏から様々なことを学び月を信仰していたといいます。人物を生まれではなく能力により重用しようとします。秦氏とは祭祀をするユダヤの流れも重なり、星や月の信仰とも重なります。
また、役小角は、著書では、スサノオ→ニギハヤヒの王国を再建させようとし、カモ族としての誇りを持って生きた御方でした。ニギハヤヒといえば、星や月信仰に関係のある御方だと考えます。
また、空海は唐から密教を持ち帰り、超人的な力を得、人々をすくいます。密教は、時代がおいついていないので、空海は仏教という枠により、また、仏像などを形にすることにより人々に見えない存在を理解させようとした気がします。しかし、実際は目に見えない壮大な空の世界観を曼荼羅からは伺うことができます。金剛界や胎蔵界を描いたもの、星を描いたもの、大地や空間を飛び越えて宇宙を想起させるものもあります。
坐をする役小角の姿と空海の修行と坐する姿が私には重なります。聖徳太子も坐をしていたのかもしれません。こちらは勝手な推測です。
正史ではないですが、平安初期に、『続日本紀』にやや遅れて成立したとされる薬師寺の僧景戒(きょうかい)によって編纂された日本最古の説話集『日本霊異記(にほんりょういき)』の上巻に、役行者にまつわる説話が収録されているようです。
「孔雀明王の呪法を修め、不思議な力を得て、現世で仙人となって天に飛んだ話 第二十八」
役優婆塞は、賀茂役公、今の高賀茂朝臣の出身である。大和国葛木の上郡茅原村の人であった。生まれつき博学でぬきんでており、仏法僧の三宝を深く信じていた。心に願っていたのは、五色の雲に乗って、果てしない空を飛び、仙人の宮殿にいる客人と一緒になって、永遠の楽園や、華の満ちた苑起居してその「気」を得、身心生命を養う事を心掛けていた。
(若い頃からそのようにねがっていたので、)四十歳を過ぎるころには、洞窟で生活するようになり、葛で作った着物を羽織り、松の実を食べ、清らかな湧き水で沐浴するなどして、俗世間の垢を落とし、孔雀明王の呪法を修行して、不思議な力を得たのである。鬼神を使役することは自由自在であった。
つまり、役行者は、道教的、密教的な苦修練行によって不思議な修験の術を得たということがわかります。ここで注目したいのは、道教と仏教を混在させていることです。
空海により「純密(じゅんみつ)」が、唐からもたらされる以前に、超自然的能力の獲得を目的とする「雑密(ぞうみつ)」を役行者は行っていたわけです。
「修験道」が成立していない時代に、密教のような側面を確立しています。黒須さんの著書では、役小角は当時ニギハヤヒの再来だと言われていたことが描かれ、坐を重んじる姿や、様々な咒を唱える様子も描かれていました。