昨日の続きです。
出雲王国は、BC660年頃成立したとありました。記紀神話でいう神武天皇即位もそのころとされていますが、実際はヤマト政権初代大王神武天皇の即位をこちらに合わせて、古くしたと本では述べていました。
出雲王国は、武力による統一王国ではなく、同じ宗教により結ばれた王国であり
王家は、クナト王の直系の向家(むかいけ)で、各地の豪族を「言向けた」(言葉により説得した)ことから、古くはムケ家と言われたようです。
「出雲国造家文書」のには、向家について次のように書かれているようです。
向(ムケ)は平(コトムケ)ナリ、二神ヨリ授ケラレタ広矛ヲ所持テ、国ヲ平シ時云々、向上官職ハ右の平ナリ、
「平」をコトムケと振り仮名がされており、なるほどなぁと思いました。
コトムケワス、は「言向け+和す」ことであり、つまり、「平+和」のことです。
向家は、言葉でもって国を平和にしていたわけで、王国の象徴としと広矛はあったものの、武力ではなく言葉で和した、そういう国が太古の日本だったのです。
ニ神とは、クナトの大神 と幸姫命(サイヒメノミコト)であり、道祖神ですね☺️
この向家を、のちに富家と呼ぶようになったとありました。
では、この出雲の人々の起源は?というと、インドから太古にやってきたとありました。出雲は、出芽(イズメ)の国のことであり、温かいインドの常緑樹を思いながら、寒い出雲の土地で出芽をまち、新芽の緑色をめで、伸びて発展するようにとつけられたようです。
2神は、インド由来のクナトの神とサイノカミ。息子はサルタ彦大神であり、三柱の3を聖なる数として、三拍子揃ってめでたいとしていたようです。
結婚式の新郎新婦の三三九度の三には、出雲のこの聖数に起源があり、九度はクナトからみたいです。

トリビアに使えそうですね😚
出雲王国は物部氏によりやがて滅ぼされますが、
クナトはイザナギへ、サイ姫命はイザナミへ変わり、またイザナギが禊ぎの際にうまれた「伊豆能売(いずのめ)神」は、「出芽」🌱からだと本では語られていました。
厳の霊(いづのみたま)、これもイズノメからきているのかな、
「言向け」の言葉は、のちには「征服する」という意味で使われるようになったと本でありました。
いつくらいから、コトムケが征服する意味になったのか、、向家=富家が征服されてしまったからなのかは、わかりませんが、
言向け=コトムケ=平
言向け和す=平和
言向け和すことだけで平和を保つのは今の時代難しいのかもしれませんが、
他国を武器や武力で征服しよう服従させようなどとしなければ、
どの国にとっても一番平和でいられる素敵な🕊方法なのかもしれませんね。