大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

娘と貴船神社へ

2024-03-18 05:40:00 | 神社仏閣

長女から行きたい神社が京都にあるから一緒に行かない?と言われ、どこ?と聞くと貴船神社といいます。


私は2回行ったことあるよーというと、

えっ、、そうなの!?


という感じでした。


どうして貴船なの?って聞くと、水に関係する神社に行きたくて調べてたら貴船神社がでてきたみたいです。


玄天の龍神様がいらっしゃるんだよ、、と以前教えてもらった事を娘に教えてあげました。


岐阜の伊奈波神社の黒龍大社に参拝し、次は玄天の龍神様かぁ、、行こう!と即決。


長女が、自分から行きたいというのは珍しいので、これはすごい事だなと2人で京都旅行に出かけました。


娘なりに何か思うことがあったのかもです。以前娘は大きな黒龍神がついているといわれたことがありました。兎に角、行きたいなら行って貴船の空気だけでもお腹いっぱい吸い込むといいなと思いました。




年頃の娘との旅ですが、娘は非常に静かなので、私もその静かさの中で神社参拝をしてきました。


貴船の奧宮まで参拝を終えると

お母さんつれてきてくれてありがとう

と言ってくれました。


私は、この神社には良い思い出があってね、、と以前2回来た時のことを色々話しました。




小雨が降る日でした。そんな中、奧宮を参拝した後、ひとつだけお母さんのお願いを聞いてくれる?と娘に頼みました。

貴船川に行っていい?と。。

いいよ。と、言ってくれたので、小雨降る中、河原に一緒におりていきました。




そこで、暫くいました。そして目を閉じて経をとなえました。傘にあたる雨音が弱くなったので、傘を閉じ、暫くすると少し光を感じました。その後何かの気配を感じたので、娘かなと思って目をあけたら、娘ではなく白鷺でした。


とても美しい。はじめは遠くにいましたが、2羽のうち、1羽はその後すぐに私の目の前を飛翔していきました。




そして、あとの1羽も近くに飛んできて、その1羽は美しい姿を近くで長い間見せてくれました。




その場には、私と娘しか居ませんでした。


白鷺も応援してくれてるよ。きっと色々大丈夫だよ、なんとかなるからね。。

ケセラセラ。。。


来て良かったね。


家族旅行ではなく、こうして2人だけで旅行したのは初めてでした。とても嬉しかったです。


貴船の神様、ありがとうございました。


伊奈波神社 in 岐阜

2024-03-01 06:35:00 | 神社仏閣

思いつきで岐阜まで一人バスに乗っていきました。伊奈波神社にあります、黒龍神社に参拝したくなり、気持ちにまかせ、家族に明日帰るからと言って、夜中に家を出ました。


家族の都合がなかなか合わないから、一人で行ってこよう、、と思い立ったらすぐ夜行バスを予約していました。


翌朝早朝岐阜に到着。岐阜は、数年前、白山中居神社を参拝して以来です。郡上の山奥にあります白山中居神社は3月末でも雪深かったですが、いなば神社は岐阜駅から徒歩で行けますし、そんなに寒くは無かったです。


なぜ急に行きたくなったのかはさておき、黒龍神は、私のイメージでは地龍神です。人が生まれるずっと前から、大地を形成した、そんな神様。大地が汚され削られたりすると全身で痛みを受けたりするのかもしれません。


大地は人間の罪の蓄積を引き受け耐えきれなくなり揺れるのかも。まるで、生きた龍体が溜まった膿に悶え悲鳴をあげるごとく。。


大地に人が落とした罪を引き受ける神様、そんなイメージが黒龍神にあります。お陰様、気づかれないお働きをする神様のイメージです。大地は生きていて、人はすまわせてもらえています。落とすなら感謝の気を。


岐阜の白山中居神社も、黒龍神と縁深い地のようでした。伊奈波神社に祀られます黒龍大神も、ずっとこの地にいらっしゃる神様のようです。






早朝でしたから、人もほとんど居なくて静かな空間でした。


伊奈波神社と黒龍神社だけ参拝する予定でしたが、これですぐ帰るのもなぁ、、と調べていると、伊奈波神社の背後にある金華山ロープウェイで金華山頂上に行けることがわかりました。

折角きたから、山の上にいってみることにしました。


金華山の山中の丸山に、実は旧伊奈波神社はあったようです。行って分かったことですが、金華山は昔は稲葉山という名前でした。それで、「伊奈波」神社なんだ!と急に親近感があがります。




母の実家の高知県高岡郡津野町にあります稲葉洞は、龍王洞で、昔から白龍神と黒龍神がおられるという逸話があり、同じ「稲葉」で、さらには、黒龍神!だと思ったわけです。


そして、金華山の登山道に、旧伊奈波神社跡地である丸山があるのをロープウェイ乗り場でみつけて、歩いて山道を登っていったのでした。


麓から15分くらい歩いたところでしょうか、そこには、烏帽子岩があり、昔のような社はないもののお祀りはこの地で継続されているようでした。そして、地質は龍体のようでした。

南半球海底の岩石層ってすごいなと思いました。地球創生🌏を感じました。金華山は、チャート、この岩石層で出来た山でした。





丸山到着です。山中、急に開けたゴツゴツした地の周りに生い茂る森を、ざわざわと何かが動く音がしました。


可愛いリス達が沢山🐿️駆け回り、小鳥が私の目の前を飛び近くにとまってくれました。この太古からの祈りの地にひとりでしたので、神社跡地にすわり、この小動物にとても癒されました。






帰りの新幹線の駅へむかう電車の中で、なんと、、ちりゅう、、という地名が案内板にでてきました。




黒龍神様、地龍神様、伊奈波神社の神様、参拝させていただきありがとうございました。🐉




寒川神社参拝記

2024-02-17 11:35:00 | 神社仏閣

久しぶりの神社参拝記となります。

神奈川県相模國一ノ宮寒川神社です。

以前、職場で神社巡りが趣味だと話していたら友人が、それじゃあ寒川神社今度一緒に行こうと誘ってくれました。

私は、よく、ひとり神社参拝をしたりするので、あまり関東で誰かを誘って神社に行く事はないのですが、誘っていただけたので一緒に行く事にしました。

大きな神社でしたが、人も少なく、青森県のねぶたを思わせるはりこが飾られていました。


友人がいいます。

「パパと前に来た時は、誰も居なかったのよ。今日は人いるね」

私は、「ん!?」と感じました。

こんな大きな神社なのに、今日は人が少ないなぁと感じていたからです。

「これより少なかったの?誰も居ないなんて、人祓えじゃないかなぁ」

と私は言いました。

「うん、誰も居なかったよ。」と。

神社の歓迎の証で、太鼓の音がなったり、人が居ない神社に参拝出来たりするのは良い事らしいよと言いました。

色々話していると、友人のご主人のご実家の亡くなったお祖父さんは、新潟の由緒正しい神社の奧宮の神主だったというのです。

今は過疎で、神主も違うかもだけど、義理のお兄様は細々とお祀りしているとか。

また、友人自身の母方のお祖父さまは、福井の永平寺の小僧だったともいいました。

私は、永平寺にも行った事があり、常住坐臥の道元さんのことや、私も坐をしていることを話しました。

また、高知の津野山の神様の話しを友人にはじめてしました。

田舎で過疎で神社を守るのは大変かもだけど、きっとご先祖様やご自身のルーツには、深いご神縁があるから大切にしてね、きっと深いご神縁により、歓迎されて人祓えがおこったのかもね、と言いました。

友人は、私の話を聞けて良かったーと言ってくれました。

そしたら、拝殿を後にしようとしたら、ドーンと太鼓の音もしました。



自宅に戻って、今日私と神社で話したことを、ご主人に話したようです。すると、あんな山奥の神社をその様に言ってくれて嬉しいと言って、こちらの神社だよと教えてくれました。そちらの神社は新発田市の二王子神社(奧宮)でした。


後由緒、二王子岳に鎮座、山裾の本社に大 国主命、豊受姫大神、一言主命、熊野加布呂命を祀っている

老婆心ながら、マニアな私は調べて、神様のいわれを色々と伝えました😅

すると、今までそこまでとは思ってなかったけれど、私の話を聞いて、ご主人がとても喜んだようでした。

早速夏に、義理のお父さまと子供達も連れて皆で参拝に行く事にしたと言っていました。

いつか、私も参拝させていただきたいな🥹と思いました。


私にありがとうと言ってきましたが、こちらこそ、職場でも仲良くしてくれて、ご縁に感謝でした。


あ、、寒川神社のお話は、どこかにいってしまいました。申し訳ありません。とても、とても、素晴らしい神社でした。

御祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。 寒川大明神は相模國を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導され、関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。いわれはこちらより。



八方よけのご利益があるようで、四方の神獣もおりました。











また、狛犬はそれはそれは見事でした。




参拝させていただきありがとうございました。





辰年スタート

2024-01-01 08:44:00 | 神社仏閣

年明けは、はじめて神社側からむかえました。

地元の奉賛会の会長さんとの出会いから年末年始、神社のお手伝いをさせていただくことに。


家族と大晦日の食事をした後、紅白歌合戦を途中で切り上げ、ひとり地元の神社に向かいます。以前姉妹で登拝しました、御嶽神社とも縁がある神社で、武蔵御嶽神社の摂社もあります。


御朱印の書き置きを用意したり。初売りで売る物品を準備したりしました。


地元で生まれ育ち、この地の変遷を見てきた高齢のみなさんが、15名ほど神社に集まり切り盛りしてくださっています。幼い頃からの同窓生のようです。


神主さんが常駐する神社ではないため、奉賛会が常日頃は神社の事を色々やっています。

こうした方々の表立っては見えないお陰様の力があっての神社なのだとつくづく感じました。


年末も、皆さんは準備を沢山していましたし、正月三日日、ずっと神社ボランティアで参拝客に対応するようです。


ある方が、

「私は56歳から、かれこれ20年もやってる。神仏への信仰心が高い方ではないんだけどね。」

と笑いながら話してくれました。


私は、その20年ずっとボランティアで神社の為に行動する行為と姿勢自体がとても素晴らしく、信仰心が高めと自負する私などは、その御方の足元にも及ばないようにも思えました。


70代の皆さんが地元の神社を支えていますが、口々に、高齢化で、この先どうしようか、50代くらいの人に引き継ぎをしないとだけど、なかなか若手が集まらないんだよね、、と仰います。 


どうにかならないかなぁと。昔から世代交代しながら地元の神社を支えていたようです。話しを聞くと、その方々のお爺さんの写真も神社にあり、戦後からあった神社を支えていたといいます。はじめは小さなお宮だったのが、土地の寄贈やお宮を大きく立て替えたり、など、変遷が社務所の写真に残されていました。


働き盛りの若手は、年末まで仕事し、年末年始はゆっくりし、参拝はしても主催者側を引き受けるには腰がひける、40代、50代、はそんなお年頃かもしれませんね。その年代の方々が積極的に参画するのは難しい😓のかもしれません。


神社を支えて継続させるのは、とても大変なんだなぁと、たった数時間の会話の中、新年を迎える準備をしながら皆さんと話しただけでも感じました。


夜中3時まで社務所にいました。参列者の中には地元の議員さんもいらっしゃいました。日頃ポスターで見かけるお顔の方々が、会長さんに挨拶されていました。その中でも、◯さんは、議員さんの中でも一番よくこの神社に足を運んでくれるんですよ、、とか、言ってました。


その方は、皆さまのお陰様で、、と地元の街頭で一番よくみかける方でした。


政治に疎い私ですが、結びつきってどういう世界でも大切で、心は行動にあらわれるんだなぁと、感じました。


辰年が皆様にとりまして素晴らしい一年となりますように。