大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

忍野八海

2024-01-05 11:35:00 | ひとりごと

綺麗な水には魚もすまないといわれますが、魚がすむ綺麗な水が忍野八海にあります。2024年元旦撮影したものです。





忍野八海は8か所の湧泉群で、富士山の伏流水と、杓子山から石割山にかけての山麓からの伏流水を水源としているみたいです。

石割山は一昨年末に妹と登拝しました。石の割れ目から確かに水がでていて、あの水もここにつながっているのですね。


昨年は富士山に登拝しました。富士山で見た山中湖は勾玉の形をしていましたが、忍野八海からの湧水は山中湖を水源とする桂川へと合流するようです。



2024.1.1 山中湖


一滴の水は、地から湧き出て合流し、沸き上がり、温められて和気あがり天に還りまた地に注ぎ潤します。


辰年は龍を想起させますが、忍野八海の鯉は純粋な真水に棲む龍の化身のような美しさがありました。蒼龍、白龍、黄龍のこの世での御姿のようにもみえました。







鯉は滝を昇り登竜門を通り龍となる伝説があります。

昇龍のように、こんな時こそ、どんなこともその一点からあがっていくような気を持ちたいです。


今年の目標は、浄化です。先ずは自身を日々浄化できるといいなと思います。積もっている識慮の濁、穢れを祓うのを日々自身で出来るよう静かに心を鎮めます。

坐を続けます。

鎮心、心を鎮め修めます。

鎮心経も心をこめて誦えます。


災害が多発しています。坐や祈りの力が多くの人に拡まればと思います。そして外の災刧も鎮まるように祈りの力も信じます。


災害に遭われた皆様に心よりお悔やみ申し上げます。一日も早く復興しますように心から祈ります。




学び

2023-12-29 06:53:00 | ひとりごと

しばらくブログをお休みしていました。


何があったわけでもなく、動画編集を独学で学んでいたら、結構大変で空き時間はそれに没頭していました。


新しい時代についていくのは大変だなぁと思いながらも、新しいツールで使えないものを使えるようになる楽しさを久々に味わっています。まだまだ🔰マーク。わからないことだらけです。


まるで、自転車に乗れなかった自分がやっと補助輪を外そうかなぁっという感じですが、自転車にのれるようになって、遠くまで1人で色んな景色を見にいくのはまだ先のようです。


津野山の神様のお宮の天井画を描いているときのような、そんな没頭できる楽しさがあります。


内にある世界を絵を使った動画にしたいなぁと思ったりします。ワカメな創作童話とか。笑。


新しい学びって、いつからでも始められる気がします。姉も、ずっとやりたいって思っていた学びを始めたといいます。


年齢なんか関係ない。

出来ないことが出来るようになったり、

知らないことがわかるようになったりするのは楽しいです。


新しいことは、若いyoutuberさんから「無料」で教わります。有り難いですね。

昔から、お金をかけない独学派です。あまり外出しない、家大好き人間なので休みの日は一日中家にいることも多いです。


先人の貴重な教えを読むことも好きです。難しい場合はそれをわかりやすく教えてくださる本を熟読します。


今は、「生きる意味と方法」を書かれた炁楽仙女さんの別の著書、「鎮心経」を読んでいます。


最初は、2年ほど前に購入するも、わからなすぎて、数ページで挫折。

1年くらいたって、再度挑戦。すると、かなり読めました。

今は、だいぶ炁楽仙女さんの仰ることが理解できるまでになりました。坐のおかげかもしれません。


気にいった本は何度も読み返します。理解度に変化がある1冊、わからなかった深い教えがわかるようになる本も珍しく、そういう深い著書との出会いは嬉しいです☺️。


年末年始ですね。

引っ越した先の神社の会長さんと偶然知り合いになりましたので、近くの神社のお手伝いをしようと思います。


皆様、どうぞお身体に気をつけて、あたたかくして年末年始お過ごしください。



なぜなんだろう

2023-10-26 09:36:00 | ひとりごと

なぜなんだろう


なぜ人は敵と味方に分かれるんだろう


なぜ人は人がいる建物に爆弾を

落とせるんだろう


なぜ人は人をあやめる爆弾を

作るんだろう


お金は蜜の味ですか?

人をあやめてまでお金欲しいですか?


なぜ人は誰かを傷つけてまで

自分の利を求めるんだろう


なぜ人は正義をふりかざして

人をあやめることができるのだろう


そんな正義なんて

くそくらえ


なぜ私は泣き叫ぶ子供達の映像をみて

助けてあげることが出来ないのだろう


無力感が


押し寄せる



2023-10-25 06:42:00 | ひとりごと

徳には道徳、明徳、陰徳、玄徳などがあるようです。

明徳とは、天から与えられたすぐれた特性のようですね。

古代中国の書には

大学の「道」は明徳を明らかにするにあり

とあり、原文は

「大学之道、在明明徳。」 

となっています。

意味は「君子が実践する大いなる学問の道は、天与の徳(良心・仁)を明らかにすること」のようです。

大学とは、〇〇大学とかを思い浮かべそうですが、ここでいう大学は、古代中国の書であり、

天下国家の政治もその根本は一身の修養にあることをといているのが『大学』みたいですね。


一身を修養するわけですから、生涯大学みたいな感じかなとも思います。単位を取得したら卒業とか、そんなものではなく

大きすぎて決して捉えることの出来ないもの、人が全身全霊をかけ生涯「学び」続けるのが大学(大いなる学)であり、学びの対象は無形のようにも感じます。

徳が道(どう)に則っていれば道徳です。道は無形ですが、陰徳や明徳というくらいですから、陰と陽の働きはありそうです。

「徳」という字の本字は、「悳」と書いていたそうです。「直」の下に「心」を書いた字が本なので、漢字からみると「素直な心」で「行う」のが徳です。

「大学之道、在明明徳。在親民、在止於至善。」

大学の道は、至善に止まるともあります。

「道」が素直な心からの行、「徳」と一体なると、自然に至善となり、それが明らになったものが「明徳」なのかもです。

徳は行動が裏づけになっているとすれば、原動力となる行動も道(ドウ)に則したものになります。

道って奥深いですね。

陰徳は、影で人知れず、人のため、社会のため、大地のため、地球のための行いのようにも思います。

明と陰は、対の概念のようにも思われそうですが、何かをすれば、思うだけでも、何か見えざるもの(陰)を残します。

その、見えざるものこそ、大いなるものを下支えするものであり、道に則っていれば陰徳となるように感じます。

徳の根が陰徳で、根をじっくりと土の中に深めながら、茎や幹が息吹きます。その目に見えるものは明徳かなと思います。

根と茎や幹は繋がっていますから、実際は一つのもので、この一つのものこそ、道の一部かもしれません。

日本神話でいうと、国常立神です。大地の神、隠れて下支えしてくださる神様です。天地の自然の運行の地の部分をしっかり支えて、無形の恵みを与える存在です。


「徳奥」という言葉が中国語にあるようです。陰徳のさらに奥の働きのように感じますから、玄徳に近い気がします。玄徳とは、老子によりますと「産みだしても所有せず、成功しても誇らず、そこで最高になっても支配するようなことをしない。 それを玄徳という」とあります。

徳奥は日本語にはありませんが、

中国語では「ドウ」と読むようです。

道という漢字が当てはめられていなくても徳の奥も「ドウ」なのです。


始めに言葉ありき。ドウという響きは

文字の無い時代にも実はあったのではないかとさえ思いました。

原初にただ存在した一。

大学の「道」は明徳を明らかにし

また至善に止まります。

至善は、自然と同じ響きです。


道の教えである道徳経を2500年も前に残し、無為自然を説いた老子。

道、徳、自然の理を81章に全て凝縮します。「明徳」出版からでた道徳経の書は素晴らしいと思いました。


名づけることの出来ないもの。無名、無形の道(ドウ)。それは、妙(ミョウ)でもあり、本来、ヒトが求めるべき道(ドウ)であり、また「未知」ではあるけれど、必ず脈々と続いて行く唯一無二の大いなるもののように感じます。