大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

煉丹炉 十里桃花より

2024-01-14 14:26:00 | 十里桃花

年明けから見始めた三世三生十里桃花58話を無事にみ終わりました。


何度も観ているから、特にハラハラすることも無く落ち着いて観る事ができました。

最後はハッピーエンド。良かったです。


色々あったけど、良かったなぁ。


そんな感じで終わりました。


私の生涯も、最期息を引き取るときはそうありたいなと思います。まだまだ、この世に生きたいですけどね😚 

そうしたら、あちらの生活がスタートしますね。♾️


修練で得た力を神様が薬に変える場面が何回か出てきます。薬は丹です。そしてその時、錬丹炉を使います。そこで、自らの力を取り出して薬草と力を炉で変成させて、丹を作り、苦しみの渦中にいる神々を救います。

まさに火による錬丹です。


自らの利己的な欲で、その炉を使ったりは神々はしません。必ず、瀕死の神を救おうとして、自分の力を差し出します。


また、瀕死の神は、自らの命を他を生かすために差し出し瀕死になっています。自己犠牲ではなく自己発露、その助け合いの連鎖が繰り広げられます。


そうして、神様は、苦しみの渦中の神様を救うのです。ドラマでは、炉は昆倫山の聖域にありました。


それを観ながら、

自分の胸に、そのような聖なる炉があって、自らの心の灯火を不滅の火に変えられると良いなぁなんて思いました。


ドラマでは、人間は神々からみたら何の力もなく、人間界は罰として行かされるような世界でした。

生まれる時点で、やり直しのスタートなんだなと思いました。


しかし、神々のような力(エネルギー)はなくても、自分の胸に聖なる場所を感じながら生きることは、人にも出来る、そう思っています。


神々は自らの修養の力を、炉の火の中に入れ強力な丹を作ります。血を吐いてしまうくらいですから、自神には相当のダメージがありますが、他を救うためには厭いません。


人も、胸、心臓あたりに、優しさや愛や誠を感じることで、ほっこりその空間が温かくなります。

神々のように修養の力を火の中の炉に入れなくても、人も胸に霊(ヒ)を感じて大切に守り、他者に優しくすることは出来ます。


この霊(ヒ)が自分の主となり、霊と交わり(十)、霊十(ヒト)に人が変成すると争いのない、助け合いの連鎖の優しい世界になりますね。😌


そして、そんな霊性を兼ねたヒトが、自らの心を私欲ではなく公のためにどんどん使うなら、それは、ドラマの神様のようなお働きが、仙術なんか無くても、この地球上で出来るということかもです。


そんなヒトが溢れる世界を地球の神様🌏は、待っている気がしました。



久しぶりの十里桃花

2024-01-12 06:23:00 | 十里桃花

このブログを書き始めのころ、十里桃花について書いていました。中国のドラマなのですが、58話あってなかなかの長編です。


私はこのドラマが好きで今年もこりずに4回目を観ています。浄化ドラマです。笑

また観てるの!?とびっくりされます。

神仙ものなのですが、おそらくこのストーリーを書いた方は、道教や仏教を学んでいるように感じます。道教のお経や神様の名前もでてきます。


ドラマの中では長いスパンで善因善果、悪因悪果が表されています。悪魔のような存在も、初めから悪ではありません。一点の心の塵がどんどん悪に変化します。

自分の人生が悪くなっていくことを全て他人のせいにします。

一方、天界の神様は悪い事が起きたら何事も全て自らを省みる材料とします。


神様の中でも皆から尊敬された神様が原子爆弾のような御神器を封印し人類を救う為に、己の元神を差し出す場面があります。神様の魂が散ってしまい、肉体だけの抜け殻になります。魂の粉砕は死んだも同然です。


その神様の肉体(器)に忠誠の弟子が心血を注ぎます。神様の肉体は、誠の思いが届き朽ちずに眠り続けます。その後、肉体に魂のかけらが復活します。しかし、そうなるには数万年の年月が必要でした。一滴の魂がどれ程大切かを考えさせてくれます。


神様の魂が戻ってきた時に、霊山である昆倫山に神の剣が復活する場面があります。

それを観たとき、富雄丸山古墳でみつかった剣を思いだしました。あの剣🗡️は、地球神の復活みたいだなと勝手にドラマとリンクさせました。笑

原子爆弾とか原子力発電の事故や、戦争や人同士の争いで苦しめられつづけた地球を、ずっとお支えになる地球神🌏国常立神を思います。


十里桃花の中で、神様の修練の力が悪と対峙して少なくなった際に、人間界に修練にいく場面があります。様々な迷いが生まれやすい人間界で修養する方が力が回復するようなのです。


しかし、人間界に降りる前に記憶を消されるので、リスクは大です。輪廻の苦海といわれるくらいですから、そこに堕ちるというのはリスクが沢山あります。帝君と呼ばれた神様が、修練の力を取り戻す為に人間界にいきますが、人間界で愛の試練に苦しみ、天界に戻った際、逆に9割もの力を失った場面もありました。


人間界では、その人間の運命はある程度は決まっていました。凄い神様ほど、運命は空白で自由度がありました。命運や刧数は実際にある程度あるけれど、人にはそれを超えるチャンスもあるのだなあと感じました。よく当たる占いなんかは、その命数をみているのかもですね。私は占いはしませんが😌。


また、人間界は天上界で罪を犯した神が落とされる所のようにも描かれていました。かぐや姫のお話もそうでした。人間界から月の世界へかえる時に、侍従のものがかぐや姫に言います。

こんな所からはさっさと還りましょう。


人間界って、「こんな所」なんでしょうか。


人間界って、確かに色々あります。

戦争、闘争、差別、虐め、ネットの陰湿な書き込み。熾烈な競争社会。全て自らと他者を区別する心からです。


この世に生まれた瞬間、臍の緒が切られた瞬間、人は安心できる母と(私の場合妹とも)の一体感から分離され存在が区別されます。生まれたら名前が与えられます。他と区別するためですが、その後も「名声」「名誉」「肩書き」などなど、沢山のものを更に求めようとする人もいます。一方それらが無いことで、持っている人を羨むのも同じく区別心からかなと思います。


成長しながら見える景色の中で、自分の心を修めるのって大変かもしれません。また、何故生まれてきたのかを知るのも、そう簡単ではありません。


ただ、この世界に生まれた時点で、立身性命のスタートなわけなので、あとどれくらいあるかはわからないけれど、この世を卒業するまで心を慎重に観ながら道に還る生き方を選びたいです。


分け隔てなく区別せず全てを生かそうとする地球に、そのまま身魂が返せるように吾が心を修め、大地に、自然に、天に、地球に、それらを包みこむ名もなきサムシンググレイト、グレイトゴッドに感謝して生きたいなぁと、神々のドラマを観ながら思いました。




元神

2021-11-29 07:02:00 | 十里桃花

一年に一回は十里桃花。崑崙山の神仙界を舞台に描かれる50回以上のシリーズを3回も観ている私はちょっぴりマニアなお馬鹿かも。笑。この神仙界の中国ドラマはハマりました。何度観ても涙が出る所もあります。


神仙界でも上神の主人公の白狐の神様が、元神(自分の魂、霊力のようなもの)がバラバラになってしまった自分の師匠に自分の血を注ぎ肉体だけでも保つように努力する場面なんかは、涙。まさに、心血を注ぎ込むわけです。しかし、元神はバラバラになり目を覚ますことはありません。主人公も瀕死になります。


何万年も生きる神仙が亡くなるとは、混沌に還ることです。師匠は自分の元神を持って、悪魔から神仙界を守ったのでした。


ネタバレに成りますが、師匠の元神は、ほんの僅かな一滴のカケラが実は残っていました。それは別の神様の身体の中でゆっくりと何万年も休むことで、かけらを練り固め、終盤に復活することとなります。


波動の違い過ぎる上神である師匠の元神を知らず知らず身体を貸して練り固めていた神様は、長い間身体に不調をきたし寝込みます。



元神が練り固められ師匠が復活をしたら、預かっていた神様の病も治りました。その後、しかしながら、師匠と心血を注ぎ助けようとした白狐の弟子が結ばれる事はありませんでしたが、師匠の双子の弟との純愛ストーリーが続きます。


この部分を観て、人は神様の分け御霊をどの人も持っていると信じている私は、その分け御霊は、生きている限り、この元神と同じように感じました。自分の中にある元神を練り固め珠の様に硬くするのも、どんどんと雲らせるのもその人によると思います。肉体があるうち、生きているうちはそれが出来ます。


十里桃花の師匠のケースは、究極の自己犠牲により神仙界を救ったわけですが、自己犠牲も凄く自神を痛め瀕死にしました。病になるというのは、生きづらさや頑張り過ぎ、暴飲暴食、自己否定みたいな、やはり、自己の内にある元神を犠牲にしたり、傷つけていたり、攻撃しているのかもと思いました。


元神は他人によっては傷つかないけど、自分の心の選択によっては傷ついてしまう可能性があるかもです。傷つきそうって思った時には、休みなさいと病をプレゼントしたりするのかも。あなたの中の元神をゆっくり快復させなさいってことかな。


師匠は、昔恩を与えた、別の神の身体で元神を僅かなカケラから練り上げたように、復活には時間がかかりましたが、快復しました。


自分を守るのは責務だと思えます。辛い時でも命を投げ出したりしてはいけない。どんな経験の中にも、学びがあり成長があるはずだと思います。自分の内にある元神、分け御霊を自分の肉体が生かしてもらっている間は何があっても守るんだと思っています。







神様試験

2021-04-22 06:10:00 | 十里桃花

昨日、罠についてかきましたので、その関連で久しぶりに、私がはまった中国の神仙のドラマ十里桃花について書いてみます。


神界でも一目置かれる偉い神様が修練のために人間世界におりる際、それは辛い試練が人間世界で用意されます。


例えば、自分の信じる唯一の寵愛する美しい姫が自分の息子と関係を持ったと疑えるほどの場面に遭遇したりするのです。


かなり現実に起こるとドロドロですね。そこをよりにもよって見るかなぁ、?と突っ込みどころ満載ですが。


ただ、ドラマでは、寵愛する姫も息子も縁者であり神界からの使者でした。姫においては、やりたくない役をその神様の修練のためにやれと言われ、泣く泣く嫌々引き受けるのです。


ドラマだから悪役をやるからといって悪人ではないとすぐわかりますし、美しい姫が可哀想にも気の毒にもなります。


これと同じ事が実は自分の周りにも起こっているかもしれません。


例えば、ある人が陰謀や嫉妬により酷い状況に陥れられたとします。その人の弱い部分を克服させるために、意地悪役の人達は演技をさせられたとします。


ただどっぷりドラマの主人公になり、その人は被害者になりきって、寝ても覚めても悲しくて腹をたて絶望し暗闇に落ちる状況になります。誰も信じられないとその人を助けようとする優しい人にも心を閉ざします。


その意地悪な人達は筋書き通りの演技をしただけで、お役目果たして涼しい顔をしています。被害者役であるその人は、何故自分を苦しめて、そんな感じなのと更にムカムカ、だんだん怒りは沸点に。ネガティブな感情で心が支配されます。




ここで、ブーっと音が鳴り、はいカットーっと監督に言われる姿を想像します。





周りの人達はお疲れ様〜、上手だったよ!と言われ涼しい顔をしているのに、自分の周りからは、あーあ、とガッカリした声が聞こえてきます。折角チャンスを与えたのに、ここ、また乗り越えられなかったねー、と。


その声の主はその人を応援してくれる守護霊様やご先祖様です。




あらら、と台本にバツがついて、またやり直し、次はえーと、、、、キャスティング揃えないといけないし、いつになるかわからないけど、あちらの世界でゆっくり再履修登録ね、、という感じです。


だから、輪廻転生はなかなか卒業出来ないというわけです。弱点をうまい具合に突かれるから。



十里桃花の中で人間の運命を司る神様に、偉い神様が質問します。


  縁なき人は出会うことはあるのか?と。


    それはありません。


もちろん、偉い神様はその答えはわかってきいています。 


   では、いくら愛情をもっても、三世石(結婚の名前を刻む石)に刻まれてない場合は結ばれるか。


  それもあり得ません、と。


だから、愛しているが故に冷たい態度をとるのだといいたかったのですね。




嫌なあの人と出会ってしまう、愛する人と別れる、ドラマでは、はっきりとこれもやはり縁なのだとわかります。


自分がやったことが自分にかえる、自業自得はよく言われます。しかし、自分の記憶がないのに降りかかる嫌なことも、悲しい事も、どうしようも出来ないことも生きてるとあります。自分のせいだとはなかなか思えない事もおこります。


結局は自分の為に起こる有難いこととよく言われてますが、心境がそこに至らない場合には、その言葉は、響かない言葉だったりします。


今生で、悪い事が起こると、自分の前世の行いがまずかったからかなぁ、と真面目な人ほど真剣に考え、更に理由も分からず悩んだり苦しんだりするわけです。苦しみ最中に、そんな事を考えはじめると、益々悲しくなり、ドツボにハマってさあ大変です。 




だから、そんな時はブラックホールに苦しみや悲しみを放り込むのが良さそうです。時間に任せて自分を守ります。えーい、私には因果なんてわかりませんが、何か?と。


そして、全て神様にお任せします。


良い人は自分を責めがちです。自分がどう考えても悪くない場合、いじめや、犯罪に巻き込まれた場合は周りの確実に信じる事のできる人や警察にたよります。ひとりで悩まない。きっと、舵を切って方向転換できます。


そうしてるうちに俯瞰して、あっ、あれは巧妙な罠だったのかぁ、もっと良くなるための神様試験、悪と関係をたつためのチャンスだ。また道が明るくなりはじめます。


振り返るとそういう転機が人生にあります。同じ場所で鬱々と心を塞ぐ落とし穴に落ちる前に、ちょっと違う視点を持ち始めるかもです。


自分を守るためにも、俯瞰したり別の視点を持つのも良いのかなぁと最近は私も少しずつ思えるようになりました。


【画像は映画監督検索画像、大野舞LINEスタンプ、十里桃花検索画像より】


神は愛 愛は勝つ

2021-03-11 07:31:00 | 十里桃花

個人的な趣味のドラマ十里桃花について色々書いてきましたが、このドラマの何が好きだったのか、たくさありすぎて、あれもこれもですが、やっぱり根底に流れるのは、愛が爆発するドラマだっからだと思います。


男女の愛とかだけでなく、親子愛、子弟愛、自然への愛、友への愛、譲る愛、守る愛、生かす愛、愛だらけです。


良い神様は悪いことが起ると、それは自分のせいだと言います。selfless 我がないのです。


反対に、悪として描かれているものに共通するのは、悪いことが起ると全て他人のせいだと言います。つまり、selfish 自己中心。


こういうことが、愛があるか無いかを見分けるポイントでした。あと、私が本当に凄く共感したのは、


奪うものには与えない!


というのが貫通している点でした。誰かを傷つけても自分のものにしようとする姿が、本当に醜くて、最後はやっつけられたので見ていてスカッとしました。 


ドラマの神様の世界では、最後は帳尻があったので美しかったです。悪がのさばらない。愛が貫徹する。


日本神話のイザナギ様とイザナミ様。国造りの神様です。お名前に凪と波を持ち、ゆっくり唱えると、いざなぁーぎぃー、いざなぁーみぃーと、ぁーぃーが二柱の神様共に隠れていらっしゃいます。


神様は全て愛なんですね。愛をわからないように言葉にも隠しながら、自然のあらゆる所に愛の循環の息吹をかけて生命を生み出して育んでいる気がします。


家庭でも、仕事でも、芸術でも、目の前のことに真っ直ぐに、自分の誠の心=愛をぶちこむと、何かを温かく生み出していける、そんな気がします。何故なら、全ての人は心に神様の分け御魂を宿しているから。


今日は3月11日。あの日から10年。


それぞれがそれぞれの思いを持っている日。

目の前に当たり前のようにいた愛する存在がその日をさかいにいなくなってしまった方もいます。家族をなくし涙している方がテレビに映し出されていました。

深い悲しみが少しでも癒えて欲しいと思います。そして故人のご冥福をお祈りします。


生きている人が心の愛を持ち続けている限り、故人にもそれは届いていると思います。愛は永遠であり、愛は循環するから。最後に愛は勝つのです。


愛は勝つ - KAN(フル)

メロディが階段を昇るように聴こえます。