大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

神様の娯楽 囲碁

2021-02-20 09:50:00 | 十里桃花

昨日は神様(ゴッド)の楽器(音)、琴(コト)についてつぶやきましたが、今日は十里桃花のドラマにでてくる神様の娯(ゴ)楽、囲碁についてつぶやきます。


読んでいただきありがとうございます。


私は、日本語のもつ音の響き、漢字、名前や地名からくるイメージを勝手に色々考察し想像するのが好きです。


十里桃花では、神様が囲碁を楽しむ様子が度々出てきます。1人で楽しまれることさえあります。


碁盤の目を囲むと書いて囲碁ですね。


やったこともなければ、ルールも知らないです。どんなふうにするのか調べてみました。



碁で、相手と自分とが互いに一目(いちもく)の石を取り、相手と自分とが互いに一目(いちもく)の石を取ったり取られたりすること。

取られたあと、すぐに取り返せない約束なので、一手、他の方面の急所にうち(=劫立て)、それに相手が応じたあと、一目を取り返す。劫争い。


とのことです。正直、サッパリ何のことかわかりません。苦笑 

ただ、囲碁が神様の娯楽として何故描写されるのかを私なりに想像しました。


そして、引っかかった音は、「劫」争いと、石=「一目」、つまり、白黒です。


石を目(モク)と呼ぶんですね。

確かに目玉は白と黒です。


十里桃花では、心の美しい神様が、見た目だけ美しく心が汚い天界にいる神様に陰謀により目を奪われてしまう場面があります。


心のピュアな妹はこの場面は辛くて見れないと言います。



結末まで見ると、スカッとします。目を取り返すからです。そして、見た目だけ美しい心の真っ黒な神は、天界を永久追放されます。


自業(ゴウ)自得です。


囲碁の目は、将棋でいうと駒ですね。自分で蒔いた種は、自分で食べる。蒔くは撒く。クサカンムリに時と書く「蒔く」は、「撤」収するのに、「時」間を要するのですね。


三面に顔をもつ顔の怖い馬頭観音様は馬を頭に着けているのでそう呼ばれています。





お写真は馬頭観音の画像よりお借りしています。


何故馬を頭に着けていらっしゃるかというと、蒔かれた罪を食べ尽くす(撤収する)からだとか。「罵倒」しながら食べているから顔が怖いんでしょう。どうせ蒔くのなら、神様が喜ぶ美味しいものをまいて生きたいです。



また、碁の響きは、劫と同じ音です。そして、罪(ゴゥ)とも同じです。


劫について調べました。


仏教哲学用語であり、非常に長い宇宙論的時間の事で、サンスクリット語の音写文字「劫波」を省略したものだそうです。


また、循環宇宙論の中で、1つの宇宙が誕生し消滅するまでの期間とも言われています。ブラフマーの1日に等しい。 

対義語は刹那(せつな)とか。


ここら辺にくると、


ドラマで出てくる神様が囲碁を好む姿は、

碁盤という2次元の平面上に、対極の白黒の碁石を取り合いながら、陰陽を巡り長い年月を凌ぎ合う娯楽とも感じます。


白と黒はバランスをもって和、円、となります。






宇宙の1日(劫)に比べ人間の一生は刹那だから、信じられないほどの長い年月、生命を生み出し育む自然と、そこに鎮まる(静まる)外神様の目からみて、分け御魂である自分の心におられる内神様が喜ぶ人間になりたいです。



日々惟御魂磨きです。


【画像はドラマ十里桃花、google 画像より】




神様の音色 琴

2021-02-19 11:45:00 | 十里桃花

十里桃花という中国のドラマにはまって、3周みました。50話以上もあるドラマなのでそれはそれは長い時間みました。妹から勧められました。


このドラマは、神仙ものです。 神様の名前からして、道教の影響があるように思います。


何故そんなにはまったかを語ると長くなるのでまた次の機会にするとして、今日は神様の楽器、琴について思ったことをつぶやきます。読んでいただきありがとうございます。


ドラマの中で神様はよく琴を弾いています。その姿が優雅でうっとりします。


源氏物語なんかでも宮中の女性のたしなみのひとつとして琴は出てきます。なんとなく敷居は高いですし、触ったこともないですが、ただ琴の音を奏でる姿の美しさを想像して、ぽーっとします。


いつぐらいからある楽器なのかと調べたら、中国から奈良時代に伝わったという説や、琴の原型となる楽器は弥生時代には既にあって、神聖な道具として祭祀にも使われてたとか。


琴の各部分の名称も

龍甲や龍尾、龍角、柱などと呼ばれるようで、琴を磯に横たわる龍にみたてているそうですね。


ドラマ十里桃花に出てくるような美しく品のある神様が弾く琴の姿を、眷属神である龍にみたてているとはこれまた天界を想像してぽぉーっとします。


日本には琴にまつわる神話や、面白い伝説もあるようです。


 大国主命が、根の堅洲国の素戔嗚尊のもとから脱出する際に持ち出した一つに「天の詔琴(のりごと)」があります。「詔」とは神のおつげのことで、その琴を所持することは、宗教的支配を意味するそうです。


 神がかりの際に琴が使用された具体的な例は、九州で神功皇后が神託を乞われた時、仲哀天皇(書紀では武内宿祢)が琴を弾かれたとありました。


ドラマの中で、美酒を作り医学に長けた折顔という上神がいます。闘いへの参戦を打診された際、琴を失ったから戦いには参加できないと言って、さらっと断る場面があります。

琴は神聖な楽器だけではなく、武器の意味もありそうです。確かに、ドラマの中に出てくる武神で墨淵上神という方は琴の名人として描かれています。


また、日本に伝わる伝説に次のようなものがあります。


常陸国住人に琴御館宇志丸(ことのみたち うしまる)という方がひとりでに鳴る琴を所有していました。


その琴は、敵対勢力が来ると音を鳴らし、宇志丸に教えたため戦に負けることがなかったそうです。


敵側は偽りの和睦を結び、宇志丸の娘を嫁にして、嫁をつかって秘密裏に琴の弦を切らせました。


これにより宇志丸は敵兵が進軍しても気づかず、琴の弦が切られたことに気づいた時には、敗戦し、常勝を重ねることはなくなりました。


敗戦を重ねた結果、近江滋賀郡に流浪して着き、日吉神人(神主)の祖先となりました。


以上ウィキペディアより


お山の神様を御祭神とする日吉大社。

今でも日吉大社の神様は琴に縁があるのでしょうか。今でも龍のような琴を大切に奏でているのでしょうか。


雲のように真っ白な龍神さまが、ゆったりとお山の上を琴の音に乗って泳いでいるかもしれません。


その山からは水が湧き出し速川となりやがて大海原に注ぎだしているかもしれません。


山や川の恵み、循環に感謝します。


【画像はドラマ十里桃花より】