昨日は神様(ゴッド)の楽器(音)、琴(コト)についてつぶやきましたが、今日は十里桃花のドラマにでてくる神様の娯(ゴ)楽、囲碁についてつぶやきます。
読んでいただきありがとうございます。
私は、日本語のもつ音の響き、漢字、名前や地名からくるイメージを勝手に色々考察し想像するのが好きです。
十里桃花では、神様が囲碁を楽しむ様子が度々出てきます。1人で楽しまれることさえあります。
碁盤の目を囲むと書いて囲碁ですね。
やったこともなければ、ルールも知らないです。どんなふうにするのか調べてみました。
碁で、相手と自分とが互いに一目(いちもく)の石を取り、相手と自分とが互いに一目(いちもく)の石を取ったり取られたりすること。
取られたあと、すぐに取り返せない約束なので、一手、他の方面の急所にうち(=劫立て)、それに相手が応じたあと、一目を取り返す。劫争い。
とのことです。正直、サッパリ何のことかわかりません。苦笑
ただ、囲碁が神様の娯楽として何故描写されるのかを私なりに想像しました。
そして、引っかかった音は、「劫」争いと、石=「一目」、つまり、白黒です。
石を目(モク)と呼ぶんですね。
確かに目玉は白と黒です。
十里桃花では、心の美しい神様が、見た目だけ美しく心が汚い天界にいる神様に陰謀により目を奪われてしまう場面があります。
心のピュアな妹はこの場面は辛くて見れないと言います。
結末まで見ると、スカッとします。目を取り返すからです。そして、見た目だけ美しい心の真っ黒な神は、天界を永久追放されます。
自業(ゴウ)自得です。
囲碁の目は、将棋でいうと駒ですね。自分で蒔いた種は、自分で食べる。蒔くは撒く。クサカンムリに時と書く「蒔く」は、「撤」収するのに、「時」間を要するのですね。
三面に顔をもつ顔の怖い馬頭観音様は馬を頭に着けているのでそう呼ばれています。
何故馬を頭に着けていらっしゃるかというと、蒔かれた罪を食べ尽くす(撤収する)からだとか。「罵倒」しながら食べているから顔が怖いんでしょう。どうせ蒔くのなら、神様が喜ぶ美味しいものをまいて生きたいです。
また、碁の響きは、劫と同じ音です。そして、罪(ゴゥ)とも同じです。
劫について調べました。
仏教哲学用語であり、非常に長い宇宙論的時間の事で、サンスクリット語の音写文字「劫波」を省略したものだそうです。
また、循環宇宙論の中で、1つの宇宙が誕生し消滅するまでの期間とも言われています。ブラフマーの1日に等しい。
対義語は刹那(せつな)とか。
ここら辺にくると、
ドラマで出てくる神様が囲碁を好む姿は、
碁盤という2次元の平面上に、対極の白黒の碁石を取り合いながら、陰陽を巡り長い年月を凌ぎ合う娯楽とも感じます。
白と黒はバランスをもって和、円、○となります。
宇宙の1日(劫)に比べ人間の一生は刹那だから、信じられないほどの長い年月、生命を生み出し育む自然と、そこに鎮まる(静まる)外神様の目からみて、分け御魂である自分の心におられる内神様が喜ぶ人間になりたいです。
日々惟御魂磨きです。
【画像はドラマ十里桃花、google 画像より】