大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

乙巳の変(大化改新)

2022-11-28 06:02:00 | 神話・物語・本から
昨日からの続きです。

名前を交換した際に入鹿が沢山でてくる話があります。


イザサワケの献じた入鹿魚(イルカ🐬)により太子はイザサワケを「御食津大神(みけつのおおかみ)」と称え、のちにその名が「気比大神」となったとありました。


入鹿といえば、645年に乙巳の変(大化改新)により殺された蘇我入鹿を思います。蘇我氏は悪者のように歴史では習いましたが、役小角の生きた時代の本を読んでから、史実は違うのではないかと思いました。


大化改新後の世で、人民は悪政に非常に苦しめられた話がありました。蘇我氏の意見を聞き入れていたならば、「白村江の戦」のような民を苦しむるだけの無謀な海外派兵はしなくて済んだかもしれないし、中大兄皇子の冷徹さは凄まじく、親戚さえも殺します。


蘇我入鹿や大化改新に纏わる話は虚像を歴史で教わっていたとわかりました。


また、国津史や、天皇紀など、大化改新直後に、それまでの国史が焚書されています。

そして、大化改新をした中臣鎌足の子、藤原不比等らが今に伝わる、古事記、日本書紀の編纂に関わります。そして、多くの他の古代からの書物は偽書扱いになったりします。


ところで、藤原不比等の長男藤原武智麻呂の夢に気比神が現れ、「祟り性」を備える仲哀天皇(氣比神宮祭神)・忍熊皇子(劔神社祭神)の霊を仏道の面から慰撫するために、気比神宮近くに神宮寺を祀った話があります。


乙巳の変の立役者とされる中臣鎌足の孫が祟りを鎮めるために寺を次々に建立するわけですから、神話の中の話は、実は大化改新により殺害された蘇我氏の祟りとかまで織り交ぜているのではないかと思いました。


ところで、気比の主祭神イザサワケについて、もう少しみていきたいと思います。イザサワケは、祖霊信仰(鬼道、竈門神)との深い関連が指摘されており、太古縄文信仰に繋がるように感じます。春秋去来の神とも言われています。


都会では、土地の問題などからお墓は公園墓地など住まいから離れた所に設けたりしますが、古来日本では、死んだ祖先を屋敷近くの山林にまつりました。


母の実家などは、今も家の裏が墓地です。屋敷神は、そういう祖先が土地をまもり、また、ご神霊は一箇所に留まらず、特定の時期に特定の場所に来臨し、祭りを受けたのちは再び還る(甦る?)ものと信じられました。


また、人は結婚して名前がかわると、変わった先の家系の霊線に入るといわれます。「姓」のことを「苗字」といいますが、この苗に関して、東北地方などでは「苗印(なえじるし)」を田の神の依り代であると考え、それは家ごとに異なり、その点で祖霊の神を家々の神としたという話があります。


屋敷神の祭祀の時期も、農耕神(田の神)の祭祀と重なり、春と秋になされます。お彼岸に祖先へ祈りを捧げるということに繋がるのでしょうか。知らず知らずに、私達の生活には根ついています。


屋敷神・農耕神・祖霊神の三神は、穀霊神(年神様)と密接なかかわりをもつともいわれます。


春秋去来神の神である気比の神様、イザサワケについては、社伝に次のようにあります。


上古に主祭神の伊奢沙別命は東北方の天筒山に霊跡を垂れ、境内北東方にある『土公の地』に降臨したといわれています。


土公については、気比神宮の近くにあります今では廃校となった小学校に、昔から禁足地の場所があります。





土公とは土に関わる神様、以前書きました埴安神なども思います。真ん中を司る神様のイメージです。


ハニヤス神 土の神様は色んな神様


春夏秋冬を十字で結ぶ真ん中の交わる部分が土です。


また、土蜘蛛/土雲(つちぐも)は、上古の日本においてヤマト王権・大王(天皇)に恭順しなかった土豪たちを示す名称ですが、それは各地に存在しており、単一の勢力の名ではないようです。


九州の竹田には誰も手を合わせないような場所に土蜘蛛塚があり、その近くには古代王朝を思わせる七つ森古墳がありました。


7つ森古墳群と土蜘蛛塚 


彼岸花の名所です。地獄でも赤い花をつけて浮かばれない霊を成仏させようとする場所。土公神は禍いをもたらす事もあることから、不吉な星として土(筒でもある)『土蜘蛛』が出来たといわれています。

つまり、土蜘蛛は土公神に通じことを知りました。


つづく