昨日の続きです。
鬼八の話は阿蘇地方にも伝わっています。
『阿蘇の鬼八は健磐龍命(タケイワタツノミコト)の矢取りの仕事をする従者だった。阿蘇神社の祭神でもある健磐龍は神武の皇孫とされている。
ある日、健磐龍が往生岳から的石と呼ばれる大岩に向かって百本の矢を射た。そのたびに矢を取りに行く役の鬼八はくたびれ果てて、百本目の矢は足の指に挟んで返した。激怒した命は鬼八の首をはねたが、首はすぐに元通りになった。
そこで命は鬼八の躰をバラバラにして別々に埋めた。それでも首だけは天に舞い上がった。
その怨みで早霜が降るようになった。そこで霜宮を建てて鬼八の霊を祀り、毎年8月19日から60日間、火焚き殿に御神体を移し、火焚き乙女が温め続けるようになった。』
霜宮は阿蘇国造神社に行った後にいきました。黒アゲハと黒蜻蛉のお出迎えにあいました。
高千穂あたりには興梠(こおろき)さんというお名前が多いようです。祝詞に出てきます「神漏岐」(カムロギ)に由来するかもしれないと言われているようで、祭祀において最初に奏上する最も一般的な祝詞の中の神様です。
珍しい名前のように思えますが、宮崎や熊本には沢山いるようです。興梠さんという名前からは私はコオロギ🦗を思いそうですが😅。
その興梠氏は高千穂の先住民であり、鬼八の子孫だという説もあるようです。
カムロギは、祝詞の最初に出てくる神ですから、さすが神話の国、高千穂ならでは、土地の逸話は多岐にわたるなぁと思いました。
『御毛入野命の高千穂入りに際し、土地の豪族・興梠氏は直ちに恭順の意を示して、興梠氏はそれまでの居住地を命に譲り渡し、現在の「荒立神社」の辺りに移った。』とあり、
興梠氏は恭順したのですね。しかし、九州にいた原住民、まつろわなければ土蜘蛛やクズ、↓と言われたということでしょうか。
『古老のいへらく、昔、風巣(クズ)山の佐伯、野の佐伯ありき(常陸国風土記)、高尾張村邑に土蜘蛛あり、、、
クズ山は、久住でしょうか。磐井の息子はクズコ。葛子と書きます。
大分県 竹田市 久住神社(御祭神、健男霜凝日子神)←こちらは参拝していません。
竹田には七つ森古墳があり、土蜘蛛が特に多くいた場所でした。
ところで、時代は全く変わりますが、陰陽師の安倍晴明の母も葛子(葛の葉 )と呼ばれたようですね。ウカノミタマにも縁がある狐の伝説があります。
小袋石の紹介をしていた諏訪の語り部、谷澤さんは安倍晴明の末裔でしたから、不思議とまた、諏訪と九州が葛子で繋がり、その背景には深く祭祀が関わっているなぁと思いました。
まだまだ続く