一昨日からの続きです。
九州と長野の関係を書いています。
①②については前々回と前回に書きました。
今日は③④を検証して終わります。
③鯰が水の出口を塞がぬように健磐龍命が鯰の鼻にカズラを通して一の宮町の尾籠の大岩につないだので、その岩を「鼻ぐり岩」と言うようになった。また鯰は大暴れして流れくだり、川が濁ったことから黒川というようになったそうです。
カズラは葛。磐井の君の息子は葛子。鯰や葛は、きっと土蜘蛛や鬼八のような存在ですね。また安心院むかし話の中に、鼻グリ洞窟の話があります。↓
鯰、カズラ、鼻ぐり岩で表されるのは、大和朝廷側に恭順しなかった一族、安心院は安曇族の人々の地。また、昔話から、「邪馬台国に所属する兎狭という国家のリーダー」が鼻垂れと呼ばれ、洞窟に住んだ(住まわされた?)話があり、この昔話に、大分の宇佐を含む豪族達を征服し、恭順しない者を差別した歴史を垣間見る気がします。黒川とは九州阿蘇の黒川温泉♨️があるあたりでしょうか。
④又、湖の水が流れ出した時に滝から数頭の鹿が流れたので「数鹿流れ滝」という名がついたと言われています。水が引いた後、長い年月の間に浸食されたり、人々に開拓されたりして、肥沃な盆地になり、阿蘇町、一の宮町、高森町など栄えて今に至っているのです。
ここまで。
崩れて修復途中の阿蘇神社を参拝したこともあり、熊本で起こった地震の傷跡の回復に時間がかかっていることを感じました。
地震は怖いねとその日の参拝を終え車を走らせていた道中、谷の向こうのガードレールが切れ、橋が落ちたままの場所の道路脇を通りかかりました。なんだ!と夫が車を寄せたので車からおりました。悲惨な災害の爪痕でした。全く知らない場所でしたがその地に石碑があり、地名が数鹿流だと知りました。熊本地震で数名、その地でお亡くなりになったと石碑に書かれていました。ご冥福をお祈りしました。
数鹿流、その地名を見た時に、鹿の祭祀をしていた志賀海神社にも関係のある一族、安曇族がこの地で流されて亡くなったのだなと思いました。
ワタツミ神の息子、ウツシヒカナサク、を金裂ととらえることもできます。北部九州は砂鉄がとれます。安曇族(海人族)が砂鉄から鉄器をもたらし、金属の利器を使って湖沼や湿地帯を開墾し、田畑を拓く技術をもたらしたともいえそうです。
神様が蹴って湖から水をひいた蹴裂伝説の繋がりは、安曇族が阿蘇の開拓をし、その後その地を去り、開拓技術を移住した安曇野や信濃にもたらしたのかもしれません。
穂高神社奧宮への道
「科野(シナノ)国造」は『古事記』などによる表記であり、『先代旧事本紀』では「神野国造」と表記されているようです。神のお造りになった国。
また、信濃の一族の、金刺氏は磯城島金刺宮朝に遷都した欽明天皇に、舎人として出仕し、宮名の一部である「金刺」を自分達の氏の名前にしたと考えられています。
欽明天皇は、別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこと」と呼ぶ)とありますから、シキシマ→シガシマ(志賀島)のスメラミコトかな?と。志賀海神社は安曇族の祀る神社です。その天皇にお支えしたのが金刺氏です。
また、タケミナカタ神は、『古事記』の国譲り神話の部分にのみ登場する神様ですが、そのタケミナカタ神について、『諏訪市史』では、科野国造の後裔である金刺氏が、始祖(神八井耳命)を同じくする、古事記の編纂者、太安万侶に働きかけ、建御名方神についての神話を挿入させたとする話があるようです。
金刺氏の金刺はカナサスはカナサク、昨日のケサク(蹴裂)にも繋がります。穂高神社の御祭神であり、豊玉姫、玉依姫の弟、宇都志日金拆命(ウツシヒカナサクノミコト)を思います。国を鉄金具で開拓した一族かな。
金刺氏の始祖は、『新善姓氏録』や『阿蘇家略系譜』では、日子八井命(彦八井耳命)を神八井耳命の子とする異説が掲載されているようです。
日子八井命は阿蘇の草部吉見神(国龍神)でした。三大下り宮は、熊本の草部吉見神社、豊玉姫を祀る宮崎の鵜戸神社、群馬の貫前(ぬきさき)神社です。
低い所に祀られている神様、国龍神は、健磐龍命の妻アソツ姫の父。アソツ姫は、アソラ、イソラの姫。つまり安曇磯良の姫、豊玉姫や玉依姫かな。宇都志日金拆命の姉となります。
「創作された神」であると考えられるタケミナカタ神が、本来の諏訪における神、水神に代わって信仰を集めるようになった理由は、金刺氏が6世紀後半に諏訪を支配するようになって以降、地元の守矢氏と共同で祭祀を行ない、その地位を高め、それを示すのが建御名方神の神階昇叙であると仮定したためのようです。(Wikipediaより)
(タケミナカタ神と守矢氏については以前書いています。)
これらの情報からタケミナカタ神に象徴される諏訪の神様のモデルは、九州で開拓し国造りをしたあと、征服されて、悲しみをもって九州の地を後にした安曇族につながり、またワニ族、つまり、古代祭祀を女性がした卑弥呼のような巫女にも象徴されるも、悉く消されたあと、各地に散らばった土蜘蛛、国栖(クズ)、鬼などと呼ばれ差別された一族に繋がるかなと感じました。ワニ族の小野氏は製鉄に長けていたと言われます。
色んな場所に逃げて隠れてくらしたことでしょう。鬼と呼ばれたり、家族、妻を奪われたりしたのかもです。恨みや悲しみの深さ、それはやられた方しかわからないですから。
恨みや祟りの背景を少しだけ想像すると、今に伝わる伝説を違った視点で感じることができます。もし自分がそうされたら、そんなふうに呼ばれ、差別されたらどう感じるか?
神野国が、科野(シナノ)国であり、信濃、タケミナカタ神に象徴される一族が、安曇族であり、ユダヤにそのかけらのルーツがあるなら、
東の国にあるカナンの地を求めて大海を渡って倭国にきて、神の国を、製鉄などの技術を駆使して造ったのち、
また、その地を追われて、差別され、全ての偉業も、また家族や女、妻も奪われて、痕跡を書物から消されたうえに、鬼や土蜘蛛、クズ、八束脛などと言われたのかもしれません。
高千穂に元いた祝詞の最初の神、カムロギの縁がある、興梠氏(コウロキ氏)も、コウロギ🦗か、蜘蛛🕷の絵なのかわからない絵をみると、土蜘蛛のモデルかもしれませんね。今コウロギを食用にとかいう動きがあるようですが、変な気がします。
恨みや絶望で亡くなった方も沢山いるでしょう。しかし、挫けず、さらにカナンの地を求め東に流浪して新天地を求め辿りついたのが、須波(スワ)、シナノ国、つまり長野であり、山深い長野の開拓もしたとすると、一族の偉業は尊いなと思いました。
祟りを鎮める祈りが神社では行われていたりします。しかし、祟りの大元が明らかになっていなければ、時間の概念から解き放された時空では悲しくて重い気持ちはその地に残ったままなのかもしれません。
日本人が土蜘蛛や鬼伝説に残る差別された側への意識を変える。これは、その地に残る悲しみを溶かすのではないかと私は思います。
私はこんなワカメな話を書いていますが、次から次へとストーリーを見せられて、それを文字にしているだけの感じがあります。
タイムスリップした訳ではないから間違いも沢山あると思うけれども、「差別心」という、人間の奥底の鬼の感覚が生み出した歴史、伝説があり、おとぎ話になってずっと小さいころから思い込まされていたものの、さらに奥や背景を、
令和の時代は
見直していけると良いのかもしれませんね。😌