大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

雪舟と白隠の慧可断臂図

2024-05-13 05:00:00 | 神仏について
禅僧になるため、幼くして寺に入った少年がいました。禅の修行はそっちのけで、好きな絵ばかり描いて日々を過ごしていました。それに腹を立てた住職は、ある朝、少年を本堂の柱に縛りつけました。
少し可哀想なことをしたなと思い、夕方になって、本堂を覗いてみると、少年の足もとで一匹の大きな鼠がいました。少年が噛まれては大変と思い、住職はそれを追い払おうとしましたが、不思議なことに鼠はいっこうに動く気配がありません。

実は、その鼠は生きた鼠ではなく、少年がこぼした涙を足の親指につけ、床に描いたものだったのです。

鼠の姿がまるで本物のように生き生きととらえられていたからにほかなりません。それ以後、住職は少年が絵を描くのをいましめることはけっしてありませんでした。

この逸話の少年は誰でしょう。


という質問が、昔受験したとある試験の質問に出ました。

しるかいな、、、

というのがわたしの答え。

その試験は、本当に例年になくマニアな質問オンパレードでしたね。苦笑。

解答は、「雪舟」です。雪舟を答えさせる問題で、この切り口で質問するかなぁ、、!?と当時苦笑いしましたね。

雪舟といえば水墨画を大成した室町時代の禅僧であり、どちらかというと、お坊さんというよりも芸術家として歴史なんかでは印象深く残っています。


天の橋立図などは、なぜあの時代にあれほど正確な絵を描けたのか、空から俯瞰する力がないと描けない絵だと言われたりします。ドローンに乗ってたのかな。


天橋立図by雪舟

雪舟は、絵を描くのがすごく好きでしたが、当時、絵では身を立てる事が難しい。涙で描いた鼠。求めても受け入れられずにいた幼少期の雪舟は、後に立派な禅僧となりますが、60歳を超えて、今なお国宝に指定された6つの絵をかきあげます。


そのひとつに慧可断臂図(えかだんぴず)があります。


慧可断臂図by雪舟

これは、中国南北朝時代後期の禅宗の高僧、慧可という方の逸話をもとに描いたものです。慧可は達磨に教えを乞いましたが、達磨は壁に向かって座禅するばかりでした。そこで、慧可は、自らの腕を切り落として求道の思いを達磨に示し、慧可は達磨の弟子になりました。


また、江戸時代の禅僧、白隠禅師も、同じく沢山の禅画を残し、そのひとつに慧可断臂図があります。


慧可断臂図by白隠


この二つの禅画を見比べてみると興味深いです。お二人とも禅僧ですから、座禅をします。

時代は違いますが、お二人とも京都の相国寺に縁があり、禅僧であるから達磨仏への思いは並々ならぬものがあったと推察します。

慧可という人物を、そのエピソードから雪舟と白隠は感じたままに描いていているにもかかわらず、その姿は、対照的にも感じます。


雪舟の方は、求めが受け入れられなくて切羽詰まった心。

白隠禅師の方は、真っ直ぐで純粋で、猪突猛進な心。


達磨の弟子となりたい、その慧可の命がけの思いを、禅画でお二人は表します。それは、描いた人の心の投写もあるかもですね。


雪舟は、どちらかというと心の奥は、絵の道への求道が強かったのかも、、と感じます。幼い頃の逸話も然りですが、本当にやりたいことは絵で、老後、自由にそれが出来るようになってから花開く人生。だから、絵の慧可は、もしかしたら雪舟自身の投影かも、なんて、勝手な空想をします。

一方、江戸時代に臨済宗をたてなおした白隠禅師。臨済宗の中興の祖とも言われています。白隠禅師動画を作る時も感じましたが、生まれながらにして、仏の道への真っ直ぐな求道心があります。しかし、あまりにも実直過ぎて座禅に打ち込むあまり、禅の病を発症し、後に内観の法、先天の坐法だと思いますが、それに切り替えるエピソードがあります。


雪舟は晩年水墨画で大成し、白隠禅師も自然の坐に切り替えて仏道に深い悟りをえます。


純粋に、真っ直ぐな心が恒に誠にあらわれると、道は開かれるかもですね。


【画像はお借りしました。