熱田神宮の神鶏をみてから、ある画家の事をふと思いだしました。
数年前ですが、「伊藤若冲展があるから見に行こう」と職場の方に誘われて上野に行きました。
私は、全くその時若冲を知りませんでした。しかし、展覧会に行くと、生き物、特に鶏の絵が細部まで素晴らしく描写されており感動しました。
若冲は実はとても有名な画家だったようで展覧会はとても混んでいました。とにかく、鶏の絵をこんなに沢山描いた画家は若冲以外はいないと思います。
若冲は絵を描くこと以外は全く興味を示さなかったといいます。酒も嗜まず、妻も娶らず、家業も放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまったりです。
若冲という名前は、相国寺の禅僧から与えられたようで、冲は、「虚しい、空っぽ」という意味で、老子45章の「大盈若沖」からとられており、意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」ということのようです。
若冲は敬虔な仏教徒でした。作品の中にはカマキリや蝶などの小さな虫も丁寧に描かれていました。どんな小さな虫でも殺さない、万物に仏性があるという教えが作品に反映されていました。
虎を描いたものありましたが当時の日本では虎を見たことも無く、空想で描くより実際にじっくり観て描きたかったので、身近な物を対象にする絵を描きはじめたそうです。
鶏については、自宅の庭に放し飼いにして、その動きや姿の至るところまで綿密に観察し描いたようです。
また、風景の中に、虫に食べられた穴の空いた葉っぱなんかも愛情を持って描かれていました。ありのままの命の循環を感じ描いたのです。
煌びやかな人目を惹くもの、目立つもの、例えば虎より、目立たなくても素朴に生きているもの、カマキリや蝶、デンデンムシと植物の共生のありのままの姿を丁寧に描く若冲の姿に私はとても惹かれました。
目立たないもの、静けさの中に輝きをみつけられる人でありたいです。
若冲の絵が今なお人々に愛されるのは、一心に「絵を描く」という使命に没頭し、身近なものに愛を込め、使命を果たした御方だったからだと思いました。
【画像は伊藤若冲絵画検索より】
つづく
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