15年ほど前に読んだ飯田史彦さんの本から今日は書いてみようと思います。心の友(故人)が愛読され、その方が心から尊敬されていたのが飯田史彦さんでした。
当時は飯田史彦さんは福島大学の教授をしながら生きがいの創造などの本を執筆されていました。震災後は教授を辞められて、魂の救済の為に活動されています。
久しぶりに本棚から本を読み返してみました。飯田史彦さんが脳の病気で生死を彷徨った際に光の存在に会い話した内容が書かれています。まず、究極の光の存在から3つの質問されます。声の質問ではなく情報の塊としての質問だということです。その質問は、
充分に学んできたか
充分に愛してきたか
充分に使命を果たしてきたか
でした。
「充分」ということに対して、出来ていないと飯田史彦さんが光の存在に謝ると、充分という限界はない謝る必要はない、と。また、愛することに対しても、謝るなら、人生を通じて巡り逢ってきた数々の魂たちに謝りなさいと言われます。
そして使命を果たしたかの質問には、
自分なりに精一杯お役目を果たそうと努力したつもりだと答えると、
自分自身を誇りに思いなさい。
と言われます。誇りに思った瞬間に光としての自身の輝きが一段と増したようです。
ひとには死が訪れます。誰しも亡くなった時、この3つの質問をされるんだと思いました。たった3つのシンプルな質問ですが、充分に出来ているといえるのか。
学び、愛し、使命を果たす。
これにどれだけ込めた人生かどうかを自己評価します。
昨日使命について書きました。私の仕事は私の使命だと津野山のことを教えてくださった山さんに言われました。充分に出来ているか?日々の雑務に追われ、惰性になることもありまだまだです。
充分に学んだか?学問には学が付いてますが、学問でなく知りたいことを学び続ける姿勢はどんな事に対しても無限にあります。知りたいことは溢れていますからまだまだです。
充分に愛したか。愛に充分はあるのでしょうか。愛に満ることはあるのでしょうか。そもそもそんな風に感じている時点でまだまだです。
無限にある答えのない学び、限界を作らず込め続ける使命、人に対してだけでなく生き物や自然生きとし生けるものへの愛。3つは繋がっている様にも思います。
まだまだだけど、まだまだいけると信じて、その3つの質問へ、自分なりの合格をだせるように生きていきたいです。
民に親しむにあり。
至善に止まるにあります。
学問、愛、使命。大学の書物は、既に明らかにされておられます。
そして、たかが、書物、されど書物。
太陽に 照る世界と 闇により 暗がる世界を
汝が照らす。
こんばんは。
汝が照らすとはトンデモです。書物を読んで頭で解ってもなかなか実践出来ていないからこれから自分なりに頑張りましたとあちらの世界に行った時に合格をだせるように目指して生きていきます。
読書の秋。鬼雷さんは普段から沢山読書されているので、本棚は溢れていらっしゃるのでしょうね。昔読んだ本を読み返すのもなかなか良いですね。
本は、時代も国も超えて沢山の教えを残してくれています。自分の引き出しにそういうものが入るのは素敵なことですね!
コメントありがとうございました!