古墳時代は空白の時代と呼ばれています。この時代、書物はあったけれども都合が悪いため焚書され、「正当とされる」記紀神話にそれとなく織り交ぜながら語られていると思っています。
大化の改新で蘇我氏が焚書したとありますが、倒された上で書物を焚書する理由がわかりません。当時を生きた人の都合により有耶無耶にされたのではないかなとも思います。
祖母山は、山そのものを御神体として人々は祈りの対象としていたところに、御祭神を後付けにしたと健男霜凝日子神社の宮司さんは仰っていました。
縄文時代は争いがなかったわけで、その後、人々が攻防を繰り返し、祟りと思われるような天変地異が人の負の感情の蓄積から生まれたのかもですね。いつの世も人の想念は天変地異を生み出すほどのものかもしれません。
歴史で学ばない部分や歪んで伝わっている部分に、様々な人々の織りなす喜怒哀楽の景色があったのかなと想像します。
大化の改新あたりの時代に、健男霜凝日子神社は創建され、のちに、豊玉姫を合祀します。
大化の改新、一大クーデターかもしれない、聖徳太子やご家族にも関係があるかもしれない、なんて以前思いました。500年から600年代あたりの歴史は、もう少し多角的な視点で見直されるといいなと思います。
ところで、御祭神豊玉姫 は、弥生初期の渡来人でありワニ族かなと思っています。ワニ族は因幡の白兎に出てくるワニに隠喩されており、その後に大陸を渡ってきた宇佐神宮に関係する一族を導いたのだと思います。
因幡の白兎ではウサギ(宇佐の一族)が出雲の大国主命(出雲族)と交わり、国を造る話だと思っています。
宇佐の一族は、その後も海上交通の橋渡しとして活躍し、秦氏と合わさったことより、宇佐神宮は全ての八幡神社の総本山になったのかなと、空想します。
ワニ族は初期の渡来人ですね。日本への橋渡しをした安曇族は海の神様の総本山、志賀海神社をとりしきります。住吉大社に大海神社があることから、住吉族と安曇族は繋がりが深い気がします。大海神社には志賀海神社からの摂社、志賀神社があり、昨日、日帰りで参拝してきました。🚅
九州の大反乱を6世紀におこした磐井。
磐井の妻は安曇族で鵜の目姫(別名、イソラ、アソラ姫)、それは、健男霜凝日子神社の近くの穴森神社の苧環伝説に繋がる宇田姫にもつながる御方なのかもしれません。
鵜の姫の別名がイソラ(アソラ)姫なら、阿蘇の姫神アソツ姫も関係ある気がします。
健男「霜」凝日子神の、「霜」に纏わる鬼八の話は、三毛入野命、建磐龍命と話が重なり、それらの男性の戦いの背後に、翻弄された鵜の目姫(イソラ姫、アソツ姫?)は神話の豊玉姫や玉依姫と重なります。
豊玉姫は、神話の山幸彦の話(浦島太郎の原型のストーリー)にもでてきます。豊玉姫や玉依姫は龍宮の乙姫です。
九州には、火を噴く阿蘇山のような火のエネルギーの強い男性がいる一方、阿曇族の祀る比咩神様に象徴される豊玉姫や玉依姫は水の女神であり、龍宮の乙姫であるように思えます。
神武天皇の祖母、豊玉姫がウガヤフキアエズを産んだあと、海に帰る話は海幸彦、山幸彦の話にあります。
安曇族の神社、志賀海神社の神楽歌が国歌と同じだったり、国歌がヘブライ語で解釈できたりしたことを纏めても、豊玉姫は ユダヤにルーツをもつ異国から海を渡ってきた女性なのかもしれません。昔は異形のものを鬼と呼びましたから、どこかワニの姿で海にかえる話は、日の国、火の元の国との交わりの際、女性の意にそぐわないような悲しい出来事が起こったことを暗喩しているのかもです。
鬼八の妻は目が大きくて美しかったから手籠にされたくなくて、乳が窟で自害した話があったり、反対に鬼に捕らわれるも救われ、三毛入野命の妻になる話があったり話が錯綜します。美しいが故に権力争いに巻き込まれ翻弄された女性の姿を思います。
それは、神武天皇の祖母とされる豊玉姫、海人族の美しい女性がたどった悲運な話なのかもしれません。豊玉姫を合祀する山の中の神社、健男霜凝日子神社は姥岳明神も祀ります。
ウバダケのウバは乳母ともよみますから、もしかして赤子を残して去った女性のあと、赤子の乳を満たした乳母の女性が、豊玉姫の妹と記紀神話にしるされた玉依姫なのかも、とも感じます。
大分県の山奥の洞窟の中にある龍宮のようなお社を思いだしながら、なんだか悲しい寂しい、1人では参拝しない方がよいのかもな、と早朝参拝しながら感じたのでした。
健男霜凝日子神社の遥拝所で、宮司さんが
宇佐神宮、健男霜凝日子神社、高千穂神社、鵜戸神社は、不思議と一直線で繋がると仰った話を思いだし、
鬼八のストーリーにあてはめて空想してみると
大分の宇佐神宮は、神功皇后とは別に比咩神様を祀っていますが、どの比咩神様かは示されていません。あれほど大きな神宮ですから比咩神様を全てということなのかもしれませんが、大分の地ゆえに、宇佐神宮は御神輿発祥地だから御神体を載せた神輿はユダヤの祭祀を司る一族からの流れの比咩神様、安曇族の比咩神様なのではないかと思っています。
また、大分の安心院には宇佐神宮の奧宮である大元神社もあり、安心院(アジム)は安曇族(アズミ)と繋がります。
鬼八の妻が乳が窟で亡くなった話があり、
宮崎の鵜戸神宮にある豊玉姫命が海宮に戻ることになった際に、ウガヤフキアエズ(子)への愛情と健やかな成長を願い、両乳房を岩に貼り付けたとされる本殿裏の「お乳岩」があるようです。
鵜戸は、鬼八の妻、鵜の姫を思わせますし、また、鵜の姫が自害したとも伝わる「乳が窟」の話とも、ストーリーが繋がる気がしました。
神武天皇の父とされるウガヤフキアエズは、何代も続いた九州の王朝のことだとも言われています。
一方、宗像三女神の話は、宗像族の比咩神様の話です
神話ではどちらも御伽噺のように描かれているけれど、大分など土蜘蛛が多くいた地では、安心院(アジム)に行った時に感じたのは、阿曇族の比咩神様、豊玉姫を祀る神社が多い気がしました。
また、安心院には鬼が隠れた窟もあり、安心院縄文会のガイドの翁さんは、縄文遺跡の話を沢山してくれました。山の中なのに海神社、と言われる神社もあり、そちらも豊玉姫を祀ります。
大分の安心院には宗像三女神を思わせる三女神社も実はあり、参拝しました。しかし、一の鳥居の扁額は二女神社と何故かなっており、元は豊玉姫、玉依姫の二女をお祀りしていた?のかもしれない、どうしてだろうね、と夏に夫と話しました。
妻垣神社は、玉依姫伝説がありました。妻垣神社は地元の氏子に大切にされている感じがその神社の美しさから感じました。
まだまだ続きます。
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