私には父が3人います。血縁の父は1人、義父が1人と、魂の父が1人。血縁の父は土佐のいごっそう、ビールをこよなく愛します。義父は、九州男児。寡黙ですが、深くて優しい。そして、魂の父が実は九州鹿児島にもう1人います。こちらも、生粋の九州男児です。
ハンセン病原告団の1人で13歳の時から60歳を過ぎるまで隔離された方(竪山さん)です。娘だと思っていると言っていただき、私は魂の父だと心で慕っています。底抜けに優しくそして人の行う悪にとことん厳しい。厳しい環境に長年おられたからか、人の心が透けて見えるとも言っていました。
ハンセン病は、長い差別の歴史があります。それはもう長い歴史です。経験者でないと、語ることが許されるのかとさえ思っています。
竪山さんは、妹が病の時とても心を寄せてくださいました。九州から高知まで、お見舞いにも来て下さいました。
当時、妹のかかった病、脳脊髄液減少症は交通事故被害の利権がからむ認められない病で、患者は事故に遭っても保険も補償もえられない、被害者が泣き寝入りするしかない病でした。
壮絶な苦しみがあるにも関わらず、仮病や詐称病のように理不尽に追い込まれる病です。医師も治療をする医師は医師会では異端児でした。治療も拒否されたことも。国を動かす力を竪山さんが作って下さいました。今は、保険適用になり少しずつ認知されています。
妹が病の時、竪山さんと奥様が遥々鹿児島から高知まで遠路を来てくださったので泊まっていって欲しいと母と妹が申し出たのですが、その時は用事があると遠慮されました。
後で、その申し出が嬉しかった。自分はハンセン病だったから誰かの家に泊るとかは遠慮しなければと断ったと聞きました。私は、それを聞いて驚きました。私にはハンセン病を差別する感覚がありません。
しかし、ずっと隔離されて生活した竪さんの心には、深い悲しみが残っていることがそこからもわかりました。
先日、竪山さんがハンセン病について闘った医師をヒーローにした映画の件について意見を述べておられました。
感染のリスクが少ないから隔離は不要だと反対した医師と隔離を推し進めた医師が日本のハンセン病患者を隔離するかを決める時にいました。昭和の時代です。政府は、隔離を推し進めた医師の意見を尊重し、患者は離島にて隔離され名前も変えられました。患者家族も壮絶な差別をうけました。その医師は勲章までもらっています。
医師なりの考えがあったのでしょうが、何十年にも渡る人権被害を作って勲章です。人が人に与える勲章に価値は無いと思いました。
今回の映画は、隔離に反対した小笠原医師を主人公、ヒーローにして作られるようです。観ていないしどのような内容かわかりませんが。
竪山さんは、それにも疑問を呈しました。ヒーローをすぐ作りたがると。 ハンセン病にもしヒーローがいるとしたら、それは患者だと。人生をかけて、差別されながら苦しみながら生き抜いた患者だと。
深く納得します。
人生被害、人権被害をうけたハンセン病患者も、今では80歳を殆どが超えています。竪さんは、私の母と同い年。隔離されたのは中学生。
隔離されなければ、子供だってもてたでしょうにと言っていた事がありました。ヒーローなんかいらない。と私は思いました。
誰かをヒーローにしないといけないなら、歪みを正す何かが起こったことになります。その歪みで多くの被害者が生まれるなら、ヒーローなんかいらないから、そんな事起こらないで欲しい。
コロナ禍でなかなか会いに行けませんが、竪山さんのお家に妹といつか行ったら、親子水入らずで泊まらせて貰おうと思っています。
不思議な縁で、神様の楽器、琴を奏でる娘さん(霊魂の縁)が今ご夫婦と一緒に住んで、竪さんと共にハンセン病の啓蒙に努めています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます