健男霜凝日子神社遥拝所を後にして、近くの穴森神社に車で向かいます。
こちらの鳥居から歩きましたが、右手を車でまっすぐいくと、かなり近くまで歩かずに行く事ができます。
こちらの赤い鳥居の隣にお住まいのおじさんに帰りに会って、車で近くまで行けることを教えて貰いました。行きに会いたかった😅
↓この辺りまで車で迂回できます。
紅→白→紅の鳥居が順にあります。
森の中にあります赤い鳥居は素敵だなと思いました。健男霜凝日子神社の宮司さんのお話だと、こちらから江戸時代に大蛇の頭だろうと思われる白骨が出てきたことからお祀りしているようで、比較的この辺りでは新しい神社のようでした。
緒方一族の祖に繋がる緒環伝説も大蛇伝説です。こちらは緒方一族の末裔の方が宮司さんのようです。
穴森神社には、生目社と淡島社もあり、生目社は眼病にご利益があるとありました。
製鉄で目を傷める人がいたのかもしれませんね。渡来人が製鉄を持ち込んだことも関係があるかもですね。
家に帰ってから、色んなところでもらった資料を整理していると生目社の成り立ちの説明が書かれたのパンフレットがでてきました。
約800年前、平家の平景清が、逃げ延びた日向の地で、眼病に苦しむ人々のために自分の目を神様に供え、治癒を祈念したのが生目神社の成り立ちということで、他にもこの辺りには生目神社があるようです。
しかし、連帯責任のように一族は没落します。入水したと歴史上ではされた安徳天皇。母の徳子とも別れ、幼いながら私の故郷土佐の秘境で過ごし、若干23歳でお亡くなりました。散り散りに逃げた平家落人の余生を九州のこの地にも確かに感じました。
淡島社は子宝の御神徳だと書かれていました。
ところで、淡海とは、確か、琵琶湖のことです。昔の表記では琵琶湖は淡海。淡海と淡路島はどちらも勾玉みたいな形で、陰陽のセットみたいな気がします。
画像はお借りしました
淡島は色んな説があるようですが、淡海に浮かぶ島としたら、竹生島かもです。
神話では、伊耶那岐命と伊耶那美命の子の中ではヒルコと次アハシマは、不具だとされました。その後、二柱は淡路島、四国、九州、本州などの国土を生み出します。
伊耶那岐命と伊耶那美命は、ヒルコとアハシマを産んだ後、天地開闢の神々に何故上手くいかないのか占いで問います。
その結果出た託宣では「女から申し込んだのがいけない、男から申し込まなければ健全な子供は生まれないであろう」でした。 そして、やり直し、最初に生まれたのが淡路島でした。
卑弥呼のような女性の祭祀ではなく、男系の皇族による祭祀が必要ということなのか、この話しの真意はわかりません。
また、もともと日本神話の前の民間伝承としてのヒルコ(水蛭子)とアハシマ(淡島)は、実は「日の子」と「粟島」だったのではないかという説もあるみたいですね。
つまり太陽神と豊穣の神です。
大和朝廷に国譲りした出雲側の太陽神と豊穣の神のヒルコとアハシマを隠したのかもしれない、という説もあるようです。色んな説があって興味深いです。
また、『伯耆風土記』(鳥取県)によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて、“常世の国”に渡ったことから「粟島」と名付けたというのもあります。
常世の国🟰粟島。常世の国は海の彼方の理想郷のことで、そこの「ときじく」の香(かく)の木の実(橘)の実をたべると不老不死になるとかとも言われています。常世が龍宮だとしたら、この世に戻り急にお爺さんになった浦島太郎を思い出します。
淡島社はなんだか、これまた興味深い社です。
因みに、↓こちらの穴から江戸時代に大蛇の白骨がみつかったようです。入る事ができますが、やめときました。
大蛇の骨を祀る祠です。
生目社と淡島社。
穴森神社拝殿
参拝をおえて元きた道を帰ります。
参拝をおえて元きた道を帰ります。
ところで、この坂道、蚊が凄いんです。虫除けスプレーしてましたが、目に飛び込んできます。ビックリ。😳
流石に目はスプレー出来ないですからね。。
それだけ、虫除けスプレーに果敢に挑んでくるど根性の持ち主の田舎の蚊だということです。
私も田舎育ち。負けられない!と思いましたね。。🤼♀️
顔にも頭にも再度スプレーです。目は無理でしたが、、😚
神社をあとにして次の目的地に向かう山奥の山中の脇道途中に、炭焼き三郎の看板を発見。夫に、車を停めてもらいました。
炭焼き小五郎も大分の話でした。
おそらく、背後には製鉄をもたらした秦氏に繋がりのある話だと思います。
以前ブログに書いた場所に関連した所に偶然出会うと嬉しくなりました。
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