手塚治虫さんの作品のなかにブッダがあります。その中で不思議な能力をもった男の子が出てきます。
その男の子は自分の意識を動物に同化することができます。だから、ある時は虫、ある時は虎、ある時は鳥に。
そこに小さいからとか大きいからとか強いからとか弱いからの区別はなくただ同化します。
野原を走るときは、小動物に。母を助けたいときは、虎に。遠くに行かなければならない時は鳥に。意識をむけると、その動物に入るのです。動物には、自我がないので、純粋に筒になって身体をその子に貸します。
その子は大きくなるにつれて、その力はなくなります。純粋さが意識を向ける方にも求められるのかもしれません。
神社に参拝して動物にあうのは縁起が良いと言われています。神様や縁者が、その動物や虫に一瞬うつるのかなと勝手に想像し、鳥や蝶をみたりしても嬉しくなります。
江島神社 亀 妹と参拝した際あいました
靖國神社 鳩?
熱田神宮 鳩
沢山いますが。笑
神鶏もいましたよ。
玉置神社 鳥
津野山 蛍(カメラのキタムラさんより画像をおかりしました。)
津野山神界前の四万十川。おばさん宅と昔あった茶畑。
津野山 妹と熊さんのあった金の蛇
蛇が苦手な方ごめんなさい。
津野山については妹のブログをご覧下さい!
妹と神社を参拝すると、季節関係なく黒アゲハがヒラヒラと飛んでくれます。妹は、私より沢山の色んな神社を参拝しているのですが、黒アゲハがほぼ毎回飛んでくるようです。
若かりし頃、大好きな優しい叔母が亡くなりました。その時、葬儀場でずっと蝶々がヒラヒラと飛んできました。当時は、あまりにずっと纏わりつく蝶に、この葬儀場は蝶を飼っている?と思いました。今思うと、肉体が亡くなった叔母さんだったんだと思えます。
一寸の虫にも五分の魂とは上手くいったもので、神様を好きになればなるほど、この虫にも神様や、ご先祖様が宿ってるかもって思います。
この鳥にも、この虫にも。
手塚治虫さん仏陀より
見た目が苦手な虫や動物もいますが、そのようなや動物の中にも、神様が隠れているんだと思います。
そして、動物の在り方は人間が学ぶところがある気がします。
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