中央構造線上には沢山の神社仏閣、山々があります。昨日の小袋石から気になり調べてみました。
まずは、九州には、中央部の幣立神社や阿蘇神社。
四国では、愛媛県にある石鎚山。7霊山の一つで、役小角や空海も修行したようです。徳島県には、剣山があり、石鎚山と同様に、古くから山岳信仰が盛んで、修験道の山として知られています。
そして、淡路島は国生み神話の舞台としても知られる歴史的にも重要な場所で伊弉諾神宮が有ります。
そして、関西では空海に深く縁があります高野山。日本仏教の聖地です。また吉野にあります大峰山は役小角の山岳信仰の地として知られています。丹生川上神社上社では、11世紀ごろの祭壇跡だけではなく、縄文時代の祭祀遺構も見つかっています。
天川村にある有名な天河大弁財天社(通称は天河神社)は、役小角が創建したと伝わる古いお社があります。
三重県伊勢市には天照大御神を祀る伊勢神宮があります。
静岡県浜松市に鎮座する秋葉山本宮秋葉神社。火伏せの神さまとして知られる火之迦具土大神
そして長野県。諏訪湖のほとりの南岸に上社。北側に下社。上社、下社ともに創建の時期は不明ですが、上社付近には5世紀ごろに築造された当地域の権力者のものとされる古墳があるようです。
九州から伸びてきた中央構造線は、諏訪湖で中央地溝帯であるフォッサマグナと交叉します。これが小袋石の場所です。
関東では、埼玉の川越氷川神社。ここも、境内から古墳時代(5世紀)の祭祀用具が発掘されたことで古くから祭祀の場だったことが明らかになっています。大宮氷川神社は見沼の龍神の水神を祀る神社だったとも言われています。
千葉県香取市に鎮座する香取神宮。8世紀に成立した文献に記載が見られることから、それ以前に創建されていたのは間違いないと考えられています。ナマズを押さえつけるため要石があります。
鹿島神宮は、武甕槌大神。香取神宮とともに朝廷の崇敬が厚く、四方拝で遥拝されています。
諏諏訪大社上社前宮は、中央構造線と中央地溝帯の交叉する重要な地点にあります。
神社仏閣は、ウィキペディアによりますと、これまで活断層が多くの地震を引き起こしたのでその被害を鎮魂するため、またそこを聖域として人々が住まないようにしているという意見もあるようです。
弓形の日本列島が出来るまでを小麦粉、フォッサマグナをきな粉で実験で表現して興味深い動画がありました。
押したり引いたりするエネルギーにより粉の粒の日本が形つくられます。フォッサマグナのあたりは、海になったあと日本屈指の山々に変わり、凄まじい陰陽エネルギーが特に中央構造線とフォッサマグナの交わる地にはあったことがわかりました。諏訪はそういう地だったのですね。
また、中央構造線を眺めていると、四国の名方が目に止まりました。
戸矢学さんの著書で、諏訪の建御名方(タケミナカタ)神について「建」「御」も尊称であるから、神名は「名方」のみであり、名と方にはどのような意味があるのか、(中略)阿波の名方郡という地名の由来と直結するならば、そこではじめて納得されると述べていました。
神名を遺伝子情報とも言われており、そこにも共感しています。さらに深くは書いていませんでしたが、中央構造線の図をみていると、徳島の名方を調べたくなりました。
名方は奈良時代から平安時代の今の徳島あたりの国府の置かれたこの地域では主要な郡で8世紀末のの溝から「阿波国名方郡井上庸」とある木簡も出土しているようです。
律令制が始まり、阿波国が成立すると、名方郡は、国府の政庁となり、その跡は「府中の宮」と通称され大御和神社(オオミワ神社)付近であるようです。
因みに、タケミナカタ神と名方の響きだけで直接関係があるかはわかりませんが、タケミナカタ神のお子様は諏訪氏の祖となり、上社の大祝職を務め神氏(みわし/じんし)ともいわれており、言霊は繋がりがあります。
ところで、名方にあります大御和神社の名前に見覚えがあり、妹のブログで確認しました。
妹が以前紹介していますこの神社、宮司さんが代わって、財政難から神社の土地を売却し取り壊す計画を推し進めようとしたのを氏子が抵抗し、取りやめになった話があります。
妹は氏子の運動が真っ只中の時この話をたまたま目にして、当時取り壊しを止める署名のことを私に教えてくれていました。
この神社は、当に中央構造線上にある古い社です。
中央構造線は、弓形の日本列島、まるで龍体のような島の大切な骨の様にもみえます。そのポイントポイントに、有名な山々や神社があり、これは、とても大切なことに思えてきました。
ウィキペディアにあった、
これまで活断層が多くの地震を引き起こしたのでその被害を鎮魂するため、またそこを聖域として人々が住まないようにしているという意見もある。
という部分。
地殻変動と隣り合わせで生きた古代の人々は、火山の噴火のあとにどこからか飛んできた巨岩や、地形が変わり水がたまったりした場所があったりすると畏れ敬い、地殻変動により亡くなった人々の鎮魂も重ね兼ねて、自然の磐座や池や川、山自体に神をみて祈りを地層のように堆積させたのかもなぁと思いました。
そういう地に、神社の鳥居が立ち、穏やかな日常になっても忘れないため祈りの地場(磁場)をわかるように太古から残しているのかもです。
神社を壊すのは、太古から続く祈りの蓄積を破壊する行為のように感じ、名方の地の大御和神社の取り壊しが氏子の反対により阻止できて良かったなぁと思いました。
祈りとは鎮魂の堆積かもですね。。
【画像はお借りしました】
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