赤ちゃんの手をみた時に感動したことがあります。神様は人に命をあたえ、手をこんなに細かく創ってくださった。
小さいのにぎゅっと握る手と小さい小さい指。
神様が人をお創りになられ、細部まで作る際に手をどうしてこんな形にお創りになったのだろうかと考えました。
その手は共に繋がり繋ぐため、手の指をこんなに細かくわけたのかな。
凄く精巧だなあと感心します。
この精巧さにより、ぎゅっと握ることができるし、どっか落ちそうになっても、何かにつかみ命が救われる事もあるし、助けを求める人をその手で救い、その腕で抱きしめることもできます。
自分で得たものを独占せずに分け与えることも手でできます。
人が直ぐに亡くなる時代、その手に祈りを込めて豊満な姿の土偶をつくり、多産を祈ったりしたのかも。
稲穂がもたらされ、鉄器がもたらされた弥生時代には、種をひとつひとつまき、また豊作を祈り農具をその手で作りました。
稲穂の恵みになれてきて、地の利を得た者が悪知恵を働かせ、奪おうとする人がでてきます。
人の手は鉄の農具から、力の差を見せつける鉄の武器を作り始めました。武器を作る手には、魔が寄る気がします。神様から与えられたものに自分の心に魔をよせ、手を悪魔の道具へと変えました。
神様がその手を細部まで分けて働かせて、人が人を救い助けようとした細やかな愛のつまった一本一本。
その手で何をするか。その指をどう使うか?
誰かを助けることも、
誰かの痛いところをさすったり、
揉んだりすることも、
誰かを生かし、また自分を生かすことも、
手を与えられているからできること。
当たり前すぎに与えて貰っている手や指に
何をさせるか?
人を殺したり、
自分を殺したり、
悪口を書いたり、
嘘を書いて撒き散らしたり、
誰かを苦しめたり、
その手で、
何をしても自分の手だから良いと?
そんな人の手を神様はどのように観ておられるのか。
与えられた手と指で、
こんなに有難く精巧なものを
生まれながら与えてくださった神様に
少しでもお返しして生きたい。
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