昨日の続きです。
九州を治めるために遣わした健磐龍命は阿蘇に本拠を置き、草部吉見神の娘の阿蘇都姫(アソツヒメ)と結婚した話がありました。
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②その頃阿蘇は湖だったので何とかして水を流しだして広い田畑を作ろうと考え、山に進んできました。そこで子供が生まれたので産山と地名をつけました。更に外輪沿いに西に進み二重峠をけって見ましたが二重だから破れません。そこで立野まで進んで精一杯の力をこめてけりました。
すると音を立てて破れ水はごうごうと流れ出しました。けれども最後になってなかなか水がひかないので上流を調べてみると巨大な鯰が水をさえぎっていました。
建磐龍命この鯰を退治しました。流れついた鯰の巨体を運びだすのに6荷あったと言うことから六箇という地名もつきました。
まずはここまで。
山が二重になっていて1番厚いところは「二重峠(ふたえとうげ)」と呼ばれたようで、別の場所を蹴ると見事に蹴破ることに成功し湖水の水が流れ出し、作物ができる平野が生まれ、それが今の立野火口瀬のようです。
立野(たての)の地名は、蹴った時に力余って尻餅をついた命が、「もう立てぬ」と言われたことらから伝えられたようですね。
こういう伝説を蹴裂(ケサク)伝説というようで、実は長野県安曇野に伝わる日光泉小太郎伝説にもあります。実際、泉小太郎は、穂高神社にサイに乗った姿の銅像がありました。
諏訪大明神の化身である龍が自分の氏子を繁栄させようとして巨岩を突き破り、潮の水を落として、田地を開いたという伝説です。
どちらも、岩を裂き割って湖沼の水を流し
田畑を拓いたと云う伝説であり、似た蹴裂伝説は信濃の佐久地方にも語り継がれているようです。それは、大昔、猫に追われた大鼠が岩鼻を食い切ったため湖水が流れ出したという伝説です。この伝説より「佐久」は「裂く」ではないかとの説があったりします。
穂高神社の御祭神、ウツシヒカナサク神は、安曇族の祖、ワタツミ神の子で、豊玉姫や玉依姫と姉弟にあたります。
カナサクはケサク🟰蹴裂につながるのかなとも思います。
山梨(甲斐)にも同様の蹴裂伝説があり、神が山を蹴り裂いたといわれ「蹴裂神社」があるようです。
甲斐というと武田信玄を思いますが、甲斐という名字は九州の宮崎に非常に多いようですね。
また、先日知人より、山梨の金櫻神社が素晴らしいから是非と勧められましたが、カナザクラは、カナサク、クニサク→穂高神社の御祭神ウツシヒカナサク、つまり、安曇族に関係のある神社なのかもしれないと思いました。
九州と長野が安曇族で繋がります。
最後になかなか水がひかないので上流を調べてみると巨大な鯰が水をさえぎっている、とあり、鯰が抵抗します。
鯰は、九州の阿蘇国造神社をはじめ、幾つかの九州の神社で祀られており、また、鯰をご眷属にしたタケミナカタ神に結びつきます。鯰が抵抗する、これは、もとにいた阿蘇の豪族を鯰に譬え、少なくとも6つの豪族か家族が捕えられたということでしょうか。
まだまだ続く
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