随分昔になりますが、私は高校時代に世界史の先生が話してくれた、ラスコーの壁画の話しを今でも覚えています。
ラスコー洞窟の壁画は、先史時代の美術作品で、モンティニャック村の少年が、穴に落ちた飼い犬を友達3人と救出した際に発見されました。洞窟の全長は200メートル程度。
地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もありました。
以上ウィキペディアより
偶然子供達が見つけた壁画。未知との遭遇。この話を聞いた時、心の底からこの子供達の仲間入りしたかったと思いました。壁画が、少年達に見つけてくれーと犬を遣わせたのかな。
そういえば、洞窟といえば、母も稲葉洞に松明だけを持って入ったら、火が消えて怖い思いした話しをしてくれたことがあります。
稲葉洞は、高知県津野町船戸にあり、知る人ぞ知る秘境の洞窟。白龍神と黒龍神がいらっしゃると伝えられています。高知県の龍河洞はまぁまぁ有名ですが、稲葉洞は高知の人でもあまり知らない。そういう私も、稲葉洞の話を母から聞いてはいたけど、訪れたのは数年前。
母の探検魂は、妹に引き継がれています。妹は、津野山をどんどん探索していて、神様にこっちもいるよって、教えて貰っている気がします。
未知との遭遇は、知りたいと思うことを心が納得するまで調べたり訪ねてみたりすることで発見がありそこに面白さがあるように思います。
楽しくて、楽しくて、沢山の事が奥深く、まるで、そのまだ知らない世界を自分の懐中電灯で部分的にあて、わかると嬉しくなる感じ。洞窟探検で太古の人が描いた絵を発見する感じ。
知りたいことわからないことは、次から次へ溢れるから終わりはないように思います。自分の中の知らない世界はもの凄く大きくて、懐中電灯で照らして知ったように思った世界が、実は序盤の間違いの道で、そこを通らないと別の道に辿りつけなかったりするかもしれません。
ところで、子供が小さいときは、川下り、洞窟探検、カヌーなど自然の中でガイドさんに連れて行って貰うアクティビティーをよく夏にしていました。私が好きだからという理由だけで。笑
知らない世界で木々に囲まれた所を歩いたり、沢をくだったり、水に飛び込んだり、ボートを漕いだりして探検する、子供より童心に返って楽しみました。もちろん、ガイドさんは大切です。私は凄い方向音痴ですから。
夏のアクティビティの楽しさは、探求心や探検や、学びの本質と似ているように思っています。知ってもらいたい事が自然にも存在したら、その探求心は結びつきそこにたどり着くかもしれません。
自分の知らない世界を知る、暗いとこを懐中電灯にあててみてみる楽しさを色んな世界に見出せたらしめたもの、言われなくてもどんどん見に行く、そんな学びが何歳になっても出来れば人生楽しいなぁと思います。
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