脳波は意識的にコントロールできるものではないですが、無意識に人はコントロールしているようです。
人は自然に脳の複雑な神経回路の中で、シナプスというものがくっついたり離れたりすることにより整理しながら上手く色んなことをコントロールして生きるようですが、この回路が脳の疾患により混線すると、様々な生きづらさをうみだすというのです。
言葉が出辛かったり、活字が苦手だったり、また、対人関係も難があったり、そのため孤立したり、衝動が強かったり、拘りが強かったり、人の気持ちがわからないなど、この疾患はADHDやASDといった発達障害として認識されます。
発達障害は、今ではかなり認識されていますが、昔は親の子育てのせいのように言われたり、本人も外見からはわからないために我慢したり苦しみます。
脳の混線によりストレスをなかなか軽減できないわけです。人が100m走を何も付けずに走る時、そういう見えない疾患があると何キロものおもりを括り付けて同じスタートラインから走らされるようなものだそうです。
見えない疾患のため、我慢して走って悲鳴をあげるのです。
オモリの重さの違いがあり、かなり重い場合は周囲も気付き、早めにサポートがうけられますが、おもりに耐えられるけどそれなりに重い、特に症状がグレーゾーンの方は、長年理由なき不安にかられるようです。
こういった生きづらさをかかえながら生きている人達が大人になり、もしかしてと医師の診断を求め心療内科を受診してわかるケースが増えています。自助グループを作って自身の辛さを共有し癒したり、または、カウンセリングにより少しずつ改善されていくこともあるようです。
お子様が発達障害であった方が、お子様を自死でなくし、受け入れ難い現実を悔やみ活動されているのを知りました。
様々な人がおり、見えないけれど生きづらさを抱えた方もいる社会。まずは、本人が生きやすくなる地点を見つける事が大切です。そして、周りもそういう方がいたなら、出来ることと出来ないことを早めに理解しながら、助ける。
様々な人が共に生きることができる優しい社会になれば良いなと思います。
【画像は脳検索画像より】
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