大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

らい予防法違憲国賠訴訟動画⑥ 「ハンセン」病問題への闘いと「反戦」への切なる願い

2024-12-27 02:46:00 | ひとりごと

  高知県高岡郡津野町(旧東津野村)の津野山の神様に謝罪に行ったのが5年前の11月23日でした。母と妹と私と山﨑さん。母が若い頃、お山の頂上にあったお宮を、村の人が高齢化を理由に取り壊し、下に移した事がことの発端でした。誠の心で神様に謝るようにと、山﨑さんに言われました。

神様がみえるわけでもない私たちにとって、どこで謝ればいいのか、山﨑さんに言われるがままの場所で謝罪しました。山﨑さんは、私たちが謝ると神様が笑ってくれましたといいました。


妹がその後、少し温かい季節にその山の頂上に登りました。この地に祠をたてたいといいました。鳥居も立てたいと。私もその後、夏に帰省したときに、のぼってみました。凄い雑草を掻き分けて山にのぼりました。妹に、道がないやん、道がなければ、なかなか難しいよ、、といいました。


秋の彼岸花が咲くころ、母と妹が山の頂上まで手作りで道をつくりはじめました。


そして、手作りの階段が出来上がったあと、ちょうど謝罪から1年後の11月23日に、お山の頂上に祠が立ちました。、100キロもの祠を担いで上げました。その階段は本当に急で、私は15キロくらいの砂利をかついで何回も往復しました。


その話が同郷の琴さんにつたわり、あれよあるよという間に車が通れる道ができ、お宮が善意でたちました。そして、妹のお宮友達が草木やら狛犬やら灯籠やらを奉納をして、5年目に鳥居がたち、落成式を2024年11月23日にすることにしました。


恵比寿様、金毘羅様、耳の神様(龍神様)の三柱の神様の地です。


11月23日は、今は亡き父と、大好きな母の結婚記念日でもありました。落成の日は神風が吹いたり、鳥の大群やら、煌めく蝶がお出ましになったりと、この地が神の地で神々がお慶びになっておられることを感じました。


落成日が決まって準備がすすむ中、10月頃、門屋さんという主婦の方から妹に連絡がありました。門屋さんは6月に、竪山さん繋がりで知ることになりました。  

 門屋さんは、高知県中村市(四万十市)出身のハンセン病元患者の曽我野一美さんの手紙を妹に持ってきました。

門屋さんご自身も高齢になる中、どうしても大切な手紙を高知にいる妹に託したいとのことでした。そして、曽我野さんを高知に帰してあげたいとのことでした。


曽我野さんは、らい予防法違憲国賠訴訟を統一原告団代表として闘った御方です。(竪山さんは副会長)。曽我野さんは生涯隔離先からふるさとに帰らず、ご遺骨になっても帰ってこられてない御方です。


私は、その時はすでにらい予防法違憲国賠訴訟動画を作りはじめていたのですが、曽我野さんについて高知の方というくらいで、当初は動画の中にいれる予定はありませんでした。しかし、妹が手紙を託されたことより、調べると、この方は動画に必ず残さなければならない貴人であり、歴史に残る偉人であり、この方を高知、ふるさとに帰したいと強く思いました。


妹も同じ思いで、曽我野さんについて調べてみると、一男四女の長男としてお生まれになり、享年は11月23日。落成式を行うまさにその日が、13回忌だというのです。


私の母も、一男四女の末娘。母の兄、長男であるおじさんは、戦争に行きました。

何かと共通点があり、これは津野山の神様、四万十川源流の神様が、四万十川下流が故郷の曽我野一美さんを繋いでいるのだと覚信しました。


どうか、この動画をみてください。

人と人が殺し合う愚かさ、人が人を差別する悲しみ、それを自分におき変えてみてください。


この動画は、お山の神様が何度も示唆してくれた気もします。