のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

Solvang

2012-04-02 | 旅日記
 午前四時半に起床し、五時前に空港へ向かいました。駐車すると丁度シャトルバスが来て、搭乗時間に無事間に合いました。
 機内では、その後の旅に備えて寝ようと思っていましたが、朝日が綺麗で、それからラスベガスの街を眺め、アパートの上を飛んで、レッドロックを見ていると、いろいろと興味深く、眠れませんでした。干上がった湖も見られました。元々は湖畔であっただろう場所に並んでいる家々には、今も人が住んでいるのかしらと思いながら眺めていると、到着の時間となりました。
          
 友人は遅れると言い、一時間ぐらい待つことになりましたが、空港はインターネット接続が出来たので、無駄にはなりませんでした。その間に、手首を診て頂けたらと思っている先生に連絡をしてみましたが、治療場所はまだ始まっていないようでした。
 迎えが来て、車を走らせながら、もう一度電話をしていました。すると、先生は金曜日までいらっしゃらないとのこと。先生に直接掛かると思われる電話番号にも掛けてみましたが、掛りませんでした。留守番電話にメッセージは残しましたが、きっと、休暇中なのだと思い、今回は諦めることにして、治療場所の方向ではなく、目的地に向けて車を走らせていました。すると、電話が鳴りました。先生は、昨日私が送ったメールはご覧になっていないご様子。一から話をしました。そして、今日でも診て頂けるとのことでしたが、方向を変えてしまったので、明日伺えればと言うと、明日午後の予定を調べて折り返しお電話をして下さるとのことでした。
 電話を切ってから、そのことを友人に伝えると、今日診て頂けるのなら今日行こうと、先生からとの連絡も出来ない内、すぐに行き先を変えてくれました。そして、サンタモニカに着いた頃、先生とも連絡が取れ、十二時半に診て頂けることになりました。私は、サンタモニカからずいぶん離れたところにすでにいるのかと思いましたが、そうでもなく、友人がすぐに方向を変えてくれたこともあり、今日の治療場所であるご自宅にはすぐに着きました。そして、まだ時間が早いので、散歩をしました。
          
 海が眺められる絶壁に出ると、大きな家が並んでいました。こんなに素敵な家で、こんなに青い海を毎日眺める暮らしは、どんなに素晴らしいものでしょう。
                         
 お昼を食べに行きました。小さな街は、空き店舗が目立つことが多いですが、この街は、まだまだ活気があるようでした。入ったお店は、健康的なメニューが多く、お店も混んでいましたから、住民のみなさんの意識が高いのかしらと思いました。私が食べたもの、綺麗に盛り付けられていましたが、一口頂いてから写真を撮ることになりました。
     
 先生のお宅は、お住まいの一段上に治療所がありました。そこで、指圧、鍼、電気、赤外線、キネシオテープなどで手際良く治療をして頂きました。帰り掛け、先生は、
「頑張り屋さんなのでしょうけれど...。」
 そのようなことが読み取れるような会話をした覚えはありませんから、身体がそういう身体なのかと思いました。少しでも、身体が良い状態になっていますように。
 ようやく、サンタバーバラに向かうことになりました。海岸沿いの道を、気持ち良く走りました。サンタバーバラのビーチに寄る予定でしたが、通り過ぎ、山の方向へ入って行きました。しばらくすると、ぶどう畑がたくさん見られる地域に入り、少し散歩をしました。ワイナリーがあるそうです。
     
 そして、いよいよ目的地、ソルバング。そこに現れたのは、可愛らしい街並み。
     
「え、こんな町があったの?」
 友人は、オランダと言いましたが、通りにいくつも掲げられている旗はデンマークの旗です。コペンハーゲンという文字も見えました。
「オランダもデンマークも一緒じゃないの?」
 ちょっとびっくりする発言です。デンマークは、スカンディナヴィアの括りになりますから、私の中では全くの別物です。
     
 ホテルを探しながら、その街を走るだけで愉快になってきました。まあ、良くもお造りになられたこと。ソルバングという地名も、デンマーク村がカリフォルニアに存在することも聞いたことがなかった私は、本当に驚き、笑いました。
 ホテルも、街並みに合うように造られていました。
     
 夕食に出掛けながら、デンマークの街並みが続くところまで歩きました。途中風車が見られ、確かにオランダを連想させると思いました。
     
 夕食は、“デンマークの”と書いてあるものを選び、ミートボールを食べました。デザートは、散歩の途中で立ち寄ったパン屋さんでデニッシュと思っていたのですが、すでに閉まっていました。ラスベガス時間で考えてはいけません。
         
 お花も綺麗に植えられていて、本当に美しい街。異国に来たかと思うような楽しい町。素敵なところに連れて来てもらいました。
               

真っ白なブライアンヘッド

2012-02-13 | 旅日記
 少しお日様が出ていたかと思うと、雪。サラサラの雪が、横に飛んでいました。外を少し散歩しました。
     
 大きな氷柱が見られました。
     
 車はすっかり真っ白で、掛けたエンジンが一度止まってしまったので、心配でした。様子を見ながら山を登ると、すっかり雪に覆われてしまった車の救出に雪かきをしているご夫婦を見かけ、お手伝い。雪かきを済ませ、その車を運転すると、ブレーキが利かないようで、道の脇に積まれている雪で車を止めていました。金曜日までご滞在と言うことなので、修理の方を呼ぶ時間もあるようです。
     
 山を登り、一万四百二十フィートの標識を過ぎた辺りは、さらに真っ白と言う感じでした。
          
 折り返して、スキー場を少し見ました。
     
 エンジンを止めるとまた動かなくなりそうなので、動かしたままにして、様子だけ見ました。街まで行けば、車がもしも動かなくなっても何とかなるだろうと、お昼御飯もそこまでお預けです。 
 山を下りて行く途中に、立ち寄ったところには、小川もあり、また違ったきれいな景色でした。
               
 小さな町で、昼食を食べると、ラスベガスに戻りました。
 途中、真っ黒い雲が目の前に広がっていました。そこまで行くと、大雨。大雨どころか、先が見えないほどの激しい雨になりました。フロリダで激しい雨の中を運転していた時のことを思い出しました。あの時よりは良かったですが、本当に激しい雨でした。
 ラスベガスに戻ると、買い物に出掛けました。ベラッジオでは、チャイニーズニューイヤーの飾り付けがされていて、男性一人が、その中で演奏していました。
          
 大きなスーパーへ行くと、レジはもの凄い列。今日は月曜日ですが、バレンタインデイの前日で混んでいるのでしょうか。前の方が、私が手に持てるものほどしか買わないことが分かると、先に入れて下さいました。
 洗濯をしながら夕食の準備。ご飯と野菜をたくさん食べたい夜でした。
 久しぶりにミシン掛けをしました。強い糸を買いたかったのですが、売り切れていて、仕方なく使った糸は弱くて、捗りが悪かったです。とりあえず終わらせましたが、糸を購入出来たらやり直さないといけないかと思います。

雪のブライアンヘッドへ

2012-02-12 | 旅日記
 お天気の良いラスベガスをお昼頃後にして、ユタ州のブライアンヘッドへ向かいました。メスキートを過ぎて一休み。ヴァージンリバーと山が広がる景色に、少し涼しい爽やかな風が吹いていました。
          
 セントジョージを過ぎた頃でしょうか、お天気が悪くなりだし、遠くは雨が降っているよう。そして、その中に虹が見え、その虹を潜って行くことになりました。
     
 ザイオン国立公園を過ぎた頃から雪が見られました。ハイウエイを降り、山を登り始めると、あたりは暗くなり、真っ白な雪景色。車のチェーンは、四輪駆動の自動車には必要ないことを初めて知りました。小さな枝々に積もる雪が、とても綺麗でした。ホテルは、まるで雪に埋れているようでした。まだ新しい綺麗なホテルは、木をふんだんに使用していて、素敵でした。
     
 明日、明るくなってから見る雪景色が楽しみです。

ロンドン橋

2010-10-24 | 旅日記
 先日偶然見つけた、アリゾナ州にあるロンドン橋へ出発です。一九七一年十月十日に、開通したという事を知り、十月十日に行きたかったのですが、行けませんでした。二週間遅れで出発です。
 朝はまだ早かったので、朝焼けがきれいでした。
     
 約二時間半のドライブで、ハヴァス湖に着きました。青空市をしていたので少し覘いてみると、湖のほとりに行きました。
     
 さて、いよいよロンドン橋です。
     
 パーカー・ダムの建設によって出来たハヴァス湖ですが、その周辺の開発に、民間の力を借りようと売り出した土地を買った起業家が、湖が満水になると現れた島に、何かユニークな橋を掛けたいと考えていたところ、落ち始めたロンドン橋が競売に掛けられたのを知り、二百四十六万ドルで競り落としたそうです。一八三一年にテムズ川に造られたそのロンドン橋は、石一つ一つに番号がつけられ、解体されました。それらの石はカリフォルニアのロングビーチまで船で運ばれ、そこからはトラックでハヴァス湖まで運ばれ、一九六八年ロンドン市長によって礎石が置かれ移築工事が始まり、三年の歳月を掛けてロンドン橋がハヴァス湖に復元しました。輸送と再建設には、さらに四百五十万ドル掛かりましたが、今やグランドキャニオンに次ぐ、アリゾナ州第二の観光名所になったそうです。
     
 お昼を食べに、橋を歩いて渡りました。その辺りは、可愛らしく建物が並び、レストランやお土産屋さんなど、イギリスの雰囲気が楽しめるようになっています。レストランが開いていないようなので、もう一度橋を渡り、そちら側で食事をしました。それから湖畔の芝生に寝っ転がり、少し昼寝。あとから分かったことですが、こことラスベガスでは時差があり、行った時間は、まだ昼食に早かったようです。
     
 ジェットボートに乗りました。乗っただけではなく、なんと運転もしてみました。ジェットボートには、外部に露出したプロペラやスクリューがなく、ボート下の水を高速で噴出し、推進力を得るということですが、速いこと。爽快でした。
    
 スポーツバーで観たアメリカンフットボールの試合は納得がいかないものでしたが、そこでの食事は楽しめました。
 丁寧に造られているロンドン橋。昔の建造物の美しさと共に、楽しい一日を過ごしました。
     

サンフランシスコ経由でソノマを後に

2010-09-11 | 旅日記
 昨晩身体が興奮状態で、就寝がだいぶ遅くなりましたが、目覚ましが鳴り、八時半頃起きました。しかし、荷作りを終えられず、お誘いのあったヨガには行けませんでした。
 衣装代を入れる封筒がないので、持っていた紙で折鶴の付いた入れ物を作りました。子供の頃、毎年大晦日に母と折り紙でこの入れ物を折り、祖母にお年玉袋として届けていたことを思い出しました。
 部屋を片付けたりしていると、次のイベント、ブランチの待ち合わせ時間まで、あと十分となりました。自転車を急いで走らせ、集合場所のコミュニティーセンターへ。到着すると、丁度お世話をして下さっている方にお会いしました。「遅れたでしょうか。」と言うと、「良い時間よ。九時五十九分よ。」と。ギリギリですが、間に合って良かったです。コミュニティセンターの中を通り抜け、その周りで行われているファーマーズマーケットをひと通り見ました。そうこうしているうちに時間も経っているはずですが、誰も来ないのです。お腹も空いたことですし、二人で食事を始めました。今日も気持ちの良い天気。外で食べる朝食は、とてもおいしかったです。
 朝食を食べ終えると、ピエールルックから電話が入り、彼が来ることになりました。そのうちに大さんがいらして、そしてぽつぽつと人が集まってきました。ケリーさんもいらっしゃいました。一日目に、私をテントから宿泊場所、そこから夕食場所など送り迎えのお世話をして下さった方です。彼女は、食事を終えるとナプキンを手に取り、「これお掃除に使えそうね。」と言いました。私は思わず笑いました。なぜなら、私は既にバックにそれを仕舞っていたのです。わざわざソノマから持ち帰ることもないと思いましたが、あまりにも丈夫そうなナプキンだったので、ついもったいない病が出てしまいました。
 のんびりとしているうちに、みなさんはワイナリーへ行く時間になりました。私は、参加が出来ませんでした。チャリティショーの後は、数日間に渡る楽しいイベントをたくさん用意して下さっていたのですが、私はKAに出演する準備をしたいので、今日ラスベガスに戻ることにしていたのです。
 みなと別れると、自転車を西に走らせてみました。まずはテントに寄って、さよならを。そして、乗馬禁止マークの道を西に向かいましたが、こちら側はブドウ畑が見られず、写真に収められずちょっと残念でした。しかし、遠くに山が見える広々とした中を走ることになり、気持ちの良いサイクリングとなりました。
 家に戻ると、最終の確認をして、迎えを待ちました。サンフランシスコに住んでいるエレナ、チャリティーショーではステージマネージャーをして下さった彼女が、私ともう一人、リギングとステージマネージメントをして下さったアンドリュを空港まで送ってくれました。サンフランシスコに着いてもお天気は良く、ゴールデンゲートブリッジを丘の上から眺めるところに連れて行って下さいました。青い空に青い海。とても気持ちが良いです。
     
 今日サンフランシスコに向かう人は、エレナしか居ませんでした。彼女は今日仕事に戻らなくてはならず、ソノマを後にしました。そのため、私達は空港に三時間以上前に着きました。ひとつ前の飛行機に変更を考えましたが、この変更には八十ドルぐらい掛かるということなので、待つことにしました。今日は911の為か、空港がとても空いていました。
 飛行機に乗り、ラスベガスに着く頃、「ラスベガスは涼しいですよ。」とアナウンス。ラスベガス住民は「涼しいと言っても、百度にならない、九十度位の気温なのだろうね。」などとささやいていました。確かに暑さは和らいでいる夜でした。摂氏で三十度ほどでした。
 充実した休日を過ごすことが出来、心は満ちていますが、身体は疲れていることでしょう。今日はゆっくりと休みたいと思います。

『The Black Cat Cabaret』本番前日

2010-09-08 | 旅日記
 昨晩早く寝たので、早く起きました。部屋には、木漏れ日が入ってきます。
 朝は、ずっと身体を動かしていました。九時半に会場に向かって歩き出す前に、昨晩届けて下さると言っていた、お土産が届きました。紅茶、コーヒー、スナック、バナナなど、ちょっとしたおやつも入っていました。
 会場に向かう道は楽しかったです。こんなところに住んでいたら、長く住もうと思うかもしれません。会場の近くで、日頃あまり見かけない標識を目にしました。ここは、歩く、走る、自転車は良いようですが、馬はダメなようです。
     
 身体は出掛ける前に動かしていたので、リハーサル開始時間前にバトンの練習も始められました。しかしながら、舞台が出来ていないので、リハーサルは始まりませんでした。私達は、テント外でしばらく待つことになり、その内に、ボディパーカッションの練習がなんとなく始まり、だんだんと人が集まり、最後にはみんなで練習をしました。
 結局、午前中のリハーサルは出来ず、昼食時間となりました。タコスでした。その後、ようやくショーの流れを創り始めていきました。
 夕食は、肉とチキンと大きな茸の焼いたもの、煮豆とサラダとガーリックトースト。食事はとても美味しいです。私達の為に食事を用意して下さる専用シェフが、毎食テントに食事を運んで下さることが分かりました。
 サウンドチェックがあると言います。私の踊る曲は生演奏をして頂くことになっていましたが、生では聴いたことがなかったので、もしかするとその時間に私の曲の生演奏を聴けるかもしれないと思い、音が鳴ったらすぐに合わせて踊れるように、身体を動かして準備をしておきました。演奏が始まると、舞台は照明の調整をしていたので、薄暗い中、また様々なライトが点いては消える中、踊っていました。練習で使っていた録音された曲より、とてもゆっくりです。
 夜は、寒いです。寒い中、事はゆっくりと進められていきました。日本人のお父様を持つと言う方が、私が踊るのを観ていたそうで「ぼくもやってみたくなりました。」と言われたのはとても嬉しいことでした。
 ショーの流れを創ると、それを一つずつ確認しながら繋げて行うキュー・トゥ・キューが始まりましたが、予定時刻よりもだいぶ遅れて始まったので、結局終わりませんでした。私のところは、照明の確認も出来ず。
 最後に、前半だけ通すことになりました。私の曲は、初めの部分が短く演奏されました。もう一度確認をするようにしますが、ちょっと心配です。結局全部を終えることが出来ず、夜中になってしまったので、帰ることになりました。
 明日はドレスリハーサル。そして、夜は本番。上手く行きますように。

ぎゅうぎゅうのバンでソノマに到着

2010-09-07 | 旅日記
 雨がザーッと降った後にベランダを掃除していると、何台ものパトカーが静かに来ました。そして、たくさんの警察官がベランダ下の階段を上がってきました。「この部屋?」と言う風に指を差し、私に確認を取る警察官もいたのですが、私は何も分からず、首を傾げることしかできませんでした。どうやら私の部屋の下階で何かが起こったらしいのです。そういえば、朝起きて支度をしていると、叫び声が聞こえました。出掛ける前にゴミを捨てに行きたかったのですが、外に出るのが何となく怖くて、そのまま支度をしていました。その後、警察官はその部屋のドアをドンドンドンと叩き、「警察だ!」と言って中に入っていきました。緊迫感漂う朝でした。

 みんなで空港に集まって出掛けるのは、久しぶり。一人旅も好きですが、友達との旅もなんとなく楽しいです。ブライアンに作ったビデオケースのサイズは、ほぼぴったりでした。
 機内では良く寝て、オークランドに到着。大きめなバンでお世話をして下さる方が迎えにいらして下さったのですが、バンは荷物でいっぱいになり、私達は荷物の中、重なり合うようにぎゅうぎゅうに詰まって、ソノマに向かいました。小さなスーツケースを、悩んだ末に買って良かったです。
     
 ソノマは、緑が多く、花がたくさん咲いているところでした。このところ寒かったそうですが、今日はとても良いお天気。私達は良い日に到着しました。会場となるテントを車から見て、ワインテイストに。ソノマと言えば、ワインですが、まさかワインテイストが一番にくるとは思ってもいませんでした。ワインを開けた時、コルク栓に輝く物が付いているのを見せて下さいました。おいしいワインには、このダイアモンドがあるそうです。とてもきれいにキラキラと輝いていました。私は、アルコールが苦手なので、舐める程度でしたが、それでも酔っぱらいそうになりました。何種類もの試飲があったので、私にとっては、相当なアルコール量が身体に入っていったかもしれません。ワインの説明を聞きながら、紙にメモを取っていると、「ノリコは飲めないのにメモを取っているの!」と笑われてしまいました。最後に試飲したデザートワインは、とても美味しく、飲み切れそうでしたが、それは危険。舐めるだけよりほんの少し味わえました。
 その後、会場となるテントに向かいました。“テント”は出来上がっていましたが、中身はほとんど空でした。私は今日からリハーサルがあるのかと思っていましたが、どうやら今日は何もないようです。
     
 一度みな別れて、それぞれの宿泊場所へ向かいました。私がお世話になるところは、メイン通りに面しているお宅でした。何とかわいいお家でしょう。その家の裏に、別棟で二階建ての家が建っていて、私はその一階をお借りして住むことになっていました。こういう家を、carriage houseと言うそうです。その奥には小さな橋が掛かっていました。今日は涸れていましたが、家の脇には小川が流れるようです。さらに奥があり、橋を渡ると長椅子とテーブルが用意され、大きな木を眺めながらくつろげるようになっていて、そのまた奥は、芝を養成中のお庭でした。お家は、私のアパートより大きく、台所も有りました。メイン通りに面していながら、森の中に住んでいるよう。内も外もとてもかわいらしく、とても気に入りました。
     
 送り迎えをして下さる方の都合で、二十分ほど休むとすぐに夕食の会場へ向かいました。細い山道を登って着いたお宅が会場のようです。入り口では、大きな火でお肉などを焼いていました。そこを入ると、大きなプール。そしてその向こうにはソノマヴァレーが広がっていました。こんな所に暮らしていたら、出掛けることを考えずに過ごして行けそうです。平屋のお家はガラスがふんだんに使ってあり、良い眺めを部屋の中から見ることもできるようになっていました。ソノマらしくブドウも生っていました。
            
 入り口で焼いていたお肉などが焼きあがると、食事が始まりました。メインは自分で作るハンバーガーでしたが、このパンがしっかりしたパンで、とても美味しかったです。ここでもワインが出ましたが、残念ながら飲めません。でも、食事はしっかりとたくさん頂きました。
 食事がすむとプロダクションミーティングがありました。しかし、「とにかくショーを楽しんで、そのエネルギーを観客に分けてもらえればそれが一番です。」と言ったような話があっただけでした。明日、みなさんの演技を見て、まとめていくということで、私はまだどんなことになるのか、ほとんど分かっていませんが、素敵な人達に囲まれて、きっと素敵なショーに仕上がっていくことと思いました。

電気スタンド台完成

2010-08-08 | 旅日記
 作り掛けていた電気スタンドの台を、完成させました。完成したことはもちろん、切り刻まれたまま出番のなかった木を使えたことはとても嬉しいです。
 午後からはヴァレー・オブ・ファイアーへ。初めはマウント・チャールストンに行こうという計画でしたが、マウント・チャールストンはいわば普通の山。私達砂漠に住む者にとって、この山の存在はとてもありがたく、特に今の時季、涼をとるのに最適です。しかし訪れて下さっている方が砂漠からの方ではなかったので、もう少し変わった趣の所へ行こうということになりました。
     
 ヴァレー・オブ・ファイアーに行くのは、マリレンの結婚式以来。あの時はヴィジター・センター上の式場へ行っただけでしたので、中に入っていくのはたぶん6年ぶりです。
 ヴァレー・オブ・ファイアーまでの長いドライブ。赤岩は突然のように現れます。そして、ヴィジター・センターの奥は、赤岩の間の狭い道を抜けて行くようになり、その先には壮大な景色が広がりました。所々に水溜りがあり、昨日大雨が降ったことが分かります。私達は、奥まで行かずに折り返し、途中に見た未舗装の道を入っていきました。その道の行き止まりのずっと向こうには、虹が見えました。そこへ車を停め、辺りを少し歩きました。
 その後、もう一か所、トレイルへ行きましたが、ご一緒した方があまり歩くのが得意ではないようなので、ほんの少し歩くと、写真だけ撮って引き返しました。
     
 レッド・ロックで象の岩を探している時、ヴィジター・センターで尋ねると、「ここにはないわよ。それはヴァレー・オブ・ファイアーにあるのよ。」と言われたことがあります。それ以来、ヴァレー・オブ・ファイアーの象の岩を見たいと思っておりました。今日は念願叶い、見ることができたのですが…レッド・ロックの象の岩の方が象らしい気がします。ちょっとがっかりして、写真を撮るのも忘れました。
     
 そこから、アイスホッケーを観に行くと、夕食は居酒屋へ行きました。男性の方は、食べたことのないものも興味を持って、そしてたくさん食べて下さったので、私もたくさん食べることができました。楽しい一日でした。