のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

アンテロープ・キャニオン

2010-03-29 | 旅日記
 4日間の休み、制約の隙間にアンテロープ・キャニオンを訪れました。アンテロープ・キャニオンは、アリゾナ州のナバホ居留区にあり、彼らのガイドがないと入れないことになっています。ガイドのお兄さんにお会いして、一番に訊かれたことは、「どんなカメラですか」。
 このツアーが“フォト・ツアー”と書いてあり、少々お値段も高めでしたので、どういうことなのか少し不安ではありました。私も大きいカメラを持ってくれば良かったのかもしれませんが、“足場が悪い”ということでしたので、いつもの小さなカメラしか持ってきませんでした。少し恥ずかしげに「これです。」と差し出すと、「ほとんどのカメラの操作は、把握できているのだけれども、お持ち頂いているのはどうかと思って。」と手に取って確認をしていました。
      
 まずは、ロウワー・アンテロープ・キャニオンへ行きました。受付から歩くとすぐ、地面に割れ目があり、そこを下りていくと言います。こんなところ入れるのか、というほどの狭い割れ目。そして谷底へ下りると、その割れ目からは想像もできない、写真で見ていたあの幻想的な世界が広がっていました。狭い渓谷の所々には階段があり、確かに“足場が悪い”かもしれません。一応持ってきた三脚は、バックパックに隠し持ったままで良いようです。ロウワー・アンテロープ・キャニオンは、人も少なくひんやりとしていて、流れるように形作られた美しい色の岩を静かに見ていきました。
 「ここが、撮影ポイントです。」と言われて、やっと分かりました。フォト・ツアー…。小さなカメラでも、腕が良ければきれいに撮れるはずです。そうは思いましたが、私にはその腕無く。しかし、お兄さんがとても親切で、露出の変更の仕方などを丁寧に教えて下さいました。もしかすると実際に目にするものよりも、きれいに写真に納まったものもあるかもしれません。
 端まで行くとほんの少し自由時間がありました。そしてそこで撮影をしようとすると、なんとバッテリー残量ランプが赤く点滅し始めました。換えの電池はありません。まだまだ撮りたいものはこれからたくさんあるでしょうに。
 集合時間に指定された場所に戻ると、少し待たされました。何が起こるのかと思っていると、そこに光が差し込んでくるのを待っているのでした。そして光が差し込むと砂を投げ、その光が目立つように砂煙を立たせました。差し込んだ光と美しい岩の撮影会。こちらもきれいに撮れました。
 次は車で移動して、アッパー・アンテロープ・キャニオンへ行きました。受付小屋はその車のまま通り過ぎ、幅の広いキャニオンをぐんぐんと走ります。途中、アッパー・アンテロープ・キャニオンだけのツアー客を乗せていると思われる車と何台もすれ違いました。私達の車は普通の車ですが、その車はトラックの荷台に座席を置いているようなものでした。
 行き止まりのようになり、そこで車を停め、少し待つと、ガイドのお兄さんの上司と思われる女性がいらして、今度はその方が先導して下さいました。
 行き止まりに縦の割れ目があり、そこがアッパー・アンテロープ・キャニオンの入り口でした。こちらは人の多いこと。
 アッパー・アンテロープ・キャニオンは、ロウワー・アンテロープ・キャニオンより幅が広いのですが、高さがあるためでしょうか、こちらは暗く、念のために持ってきた三脚が役に立ちました。大きな三脚に小さなカメラを取り付けて、入り口近くに光が差し込むのをまずは待ちました。
 アッパー・アンテロープ・キャニオンは、谷底が平坦なため、歩きやすいので観光客が多いようです。そして、みなさん写真撮影に熱心なこと。そして、こちらには何か所も光が谷底に差し込むポイントがあり、その時間を把握しているガイドさんが手際よく案内をして下さいました。私達のガイドさん、後からいらした女性のガイドさんは、このキャニオンの長ではないかと思われるほど権限があるように見え、私達のグループが一番良い位置から良い時間に撮影出来ていた気がします。人数も少ないので、まとまり良く移動も早く、よりたくさんの位置で撮影が出来ました。カメラも電池切れにならず、何とか撮り切れました。
 帰り際、幅広いキャニオンの途中にある、もう一つのキャニオンをのんびりと訪れ、そこでフクロウを見ました。
 憧れのアンテロープ・キャニオン、少し写真撮影に夢中になり過ぎたかもしれませんが、幻想的な景観を十分に楽しめました。
       
 その後、ホースシュー・ベンドを訪れました。蹄鉄形にコロラド川が曲がっているところです。駐車場から20分くらい歩いたのでしょうか、突然崖となり、すごい景色が現れました。壮観。崖っ縁は柵など無く、自分の責任でその端に立ち、または寝そべって川を覗き込みます。川までどれくらいの距離があるのでしょう。川岸で遊んでいる人が小さく、本当に小さく見えました。赤岩、赤い砂漠の中に突然のように現れたホースシュー・ベンドは思っていたよりも遥かに雄大で素晴らしい景色でした。

Cedar Breaks National Monument

2009-08-24 | 旅日記
 朝の湖は思ったよりも寒くなく、とても気持ちが良いです。朝食をとると少し散歩をしました。湖が赤く見えたところは、小さな花がたくさん咲いているのが分かりました。散歩から帰ると、ラスベガスに向けて出発です。
 途中、山の頂上あたりで車を停めて、そこの見晴らし台から見えたものに
「わあ!」
 今まで見たことのない景色でした。しばらく眺めていると、ブライス・キャニオンが思い出されてきました。私はまだ行ったことがないのですが、写真で見るブライス・キャニオンの表情が、この先とてつもなく長い年月を掛けてここに現れてくるのではないかと思われました。
 ここはシダー・ブレイクス国定公園。この公園の存在は全く知らず、思いがけず見ることが出来た素晴らしい景色に大満足。さらに心満たされました。
 この辺りは標高約10000フィート、メートルにすると約3000メートルの地点で、華氏で55度、摂氏にすると13度ほどで肌寒かったのですが、山を下りるとぐんぐんと気温は上がりました。5分走ると華氏で5度上がるほど。
 下山途中に、川にも立ち寄りました。岩で川を少し堰き止めて、水遊びができるように作られていました。こういうところで遊べたら、子供は嬉しいでしょう。
 あとはひたすらにラスベガスを目指しました。小さなひまわりの花をたくさん見ました。

Lake Panguitch

2009-08-23 | 旅日記
 朝早く、15号線を北へ、ユタ州に向かいました。Cedar Cityを東に下りると、山を登ってPanguitch湖に到着。一軒のお店と所々にキャビンがある以外は、本当に何もない、素朴な湖でした。湖を左に折れしばらく走ると牛がたくさんいて、水際で草を食べています。ほぼ一周するとキャビンに着き、一休み。チキンサンドを作ってお昼休憩。
 それから釣りに行きました。ボートを借りて湖に出て。だんだん寒くなり、持って行ったものを全部着こんで足踏みをしながら、釣りをしていました。3時間ほどでしたでしょうか、幸いにも二匹二種の魚が釣れ、無事に夕食のおかずが出来ました。鱒の仲間と思われるものは洋風に、もう一種は和風に。
 外で火を焚き、そのかすかな明かりで釣れたての魚を頂きました。外は寒く、すぐに冷めてしまいましたが、おいしかったです。心配していた雨も降らず、星もたくさん見えました。

やさしい緑を後にして

2009-05-16 | 旅日記
 お礼の手紙を書いていると、下から名前を呼ばれました。「すぐ行きます。」と答えると、「生きているか確認しただけよ。」と。彼女は本当に面白いのです。それから手紙を書き終えるのに、少し時間が掛かってしまいました。降りていくと、朝食の支度をしていました。もっと早く来るべきでした。
 すぐに手伝えることは手伝って、素敵なダイニングルームで素敵な朝食を頂きました。ランチョンマットの脇にはそれに合うナプキンが用意され、フォークとナイフとスプーンが並べてある中央に、かわいらしい花柄のお皿にきれいに盛り付けられた朝食を頂くのは、彼らには“普通”のことのようですが、私にはもちろん特別で、一面のガラス窓から山の見える素敵なレストランに来ているかのようでした。
 そのように、私の日常とはかけ離れた生活をしているご夫妻ですが、親しみを感じることがしばしばありました。今朝は、私が飲まなかった朝食に出た水を、空のペットボトルに移し替えようとしていると、「これは母が使っていたものなのよ。」と言って、漏斗を出して下さいました。小さな事も物も大切にして、このような大きな家に住めるようになったのかもしれません。そしてそうなった今も、“私の日常”は歓迎して下さるのです。
 私は既に荷物をまとめ、出発するだけとなっていたのですが、まだ時間はあるようなので犬の散歩に出ました。玄関から郵便受けまでの長い道を、今日は初めて一人で犬を散歩させてみました。犬は自分の方がここを良く知っているという事を示したいかのように、私を見ながら進みました。私は犬に頼るように進みながら、木を見上げたり、花を眺めたり、茸を見付けたり。
 無事に犬の散歩を終えると、ベランダに出て目の前に広がる緑の山々を眺めながら、澄んだ空気を大きく吸いました。風にそよぐ木々の葉が心地の良い音を奏でます。
 さあ、いよいよ山の生活にさよならをしなくてはいけません。空港までの道、ご夫妻といろいろと話をしていると、あれも出来なかった、これも出来なかった、それも出来たね、といろいろなことが浮かび上がり、その度に「今度来た時ね。」と。それは空港に着くころにはあまりにもたくさんになってしまい、彼女の「覚え切れないから書き留めておきましょう。」という言葉通りにしないといけないような気がしてきました。
 ナッシュビルに入ると、彼女は街の地図を出しました。それを広げるとセロテープがカラカラに乾いていて、剥がれ掛けていました。きっと街の様子はその地図から変わったことでしょう。今度は地図をプレゼントしようと決めました。
 毎日が雨という天気予報は有り難くも外れ、傘をささずに過ごすことが出来ました。しかし、空港に着くと空が真っ暗になり、稲妻が光り雷が鳴りました。少し早目に着いたので、ご夫妻はしばらくの間待ち時間を共にして下さいました。私達は空の様子を見ながら、この数日間の出来事や、今度訪れた時のことを話しました。
 この数日間、このご夫妻と過ごさせて頂き、言葉がとても丁寧であることを感じました。私の職場で聞くような英語とは違う事が、この英語の出来ない私にも分かります。正確さをあまり気にし過ぎると、また話せなくなってしまうことは分かりますが、心に留めて過ごしたいと思いました。
 時間が来たので、私は手荷物検査所を入って行くことになりました。「部屋があることが分かったでしょ。あなたが来てくれるのは嬉しいことですし、私達はいつでも歓迎するからね。」ご夫妻はいつまでも手を振って下さいました。
 突然決めた私の訪問を、温かく迎えて下さったご夫妻とそのご家族。みなさんのお蔭で、思っていたよりもはるかにゆっくりとのんびりと時を過ごすことが出来、心身休まる休暇になりました。 
 ラスベガスに着く頃に窓の外を覗くと、当然のことながら乾いた土の山々が連なっていました。そして、この緑少なきラスベガスに住み始めて五年が経過していることに気付きました。降り立つととても暑く、五年前はこんなに暑かったのかと考えました。調べると、今日はこの日の最高気温の記録を更新したことが分かりました。
 この暑いラスベガスを訪れている友人がいるので、空港から直行で会いに行きました。すると、彼女とお嬢様だけではなく、私が以前受けたピラーティスのコースを今期受けている日本人の方もご一緒でした。彼女は気持ちの良い方で、とても頑張っているということがすぐに分かりました。その方も時間があるということなので、みんなでタウンスクエアを少し散歩して、それからいつも行く居酒屋に夕食を食べに行きました。彼女達は久しぶりの日本食をとても喜んで召し上がっていらして、私にもよりおいしく楽しい夕食の時間となりました。
 家に戻ると、金魚も植物も元気にしていてほっとしました。私の日常がまた始まります。