コーチ
2007-03-08 | KA
今度代役になる彼女の膝の調子が良くなったので、今週からコーチングが再開されました。膝の調子が悪い時も彼女は練習をしていたので、回すことはだいぶ上手くなっていました。ところが振り付けをところどころ変えていて、それが良くなっているのでしたら問題ないのですが、私の目にはそうとも思えず、直そうとしても「やりにくい。」という彼女の言い分に押されてしまいました。私は彼女のコーチとしてどこまで言える権限があるのだろう…。
「ノリコはたくさん“技”をしているでしょ。私はできることがあまりないから…」
そんなことも言われました。私は“技”と言えるようなことはほとんどしていないと言うと、
「こういうのとかこういうのとか…」
はあ…。それは彼女にとってはすごいことかもしれませんが、バトントワラーの私にとっては出来ることのほんの一部で、とてもとても“技”と言えるようなことではないのです。
毎日モニターで私の演技を観ている彼女が、その感想を指導し始める前に話してくれたとき、私とフルートとの関係を私が表現したい通りに話してくれたので、そのシーンの意味をよく分かっていると思っていたのですが、実際自分がやることになると、そこで伝えたいもの、心の動きを重視するよりも、自分ができる“技”で魅せたくなってしまうようです。それがトリプルイリュージョンのブラインドキャッチぐらいしてくれるのならそれはそれで意味があるかもしれませんが…。そして彼女にとって新しいことは難しいことで、それをすることが“技”をやっていると思えるようなのです。彼女にとって熟練されたものは観ているほうにとってどれだけ気持ちのいいものか、そこだけが際立ってしまうことなしに自然に演技の中に入って心地よいものかということが分かってもらえません。そして彼女はいい役者でもあり、それを使うことも“技”であるということも分からないようです。
これだけ長くバトンをしてきて、これだけたくさん舞台に立っている私でさえ、ただトスをしてキャッチするだけのことが怖くなることがあるのに、すごいな、自信があって。彼女にとっての“技”をたくさんして、どれだけ心安らかに舞台に立てるのだろう。そしてどれだけ恋を表現できるのだろう。
ピラーティスをしにトレーニングルームに行くと、今日はアーティスティックコーディネーターのマリー・エレンが指導をしていました。私はますます自分の立場が分からなくなっていきました。クリエイションの時に振付家の方が「ここはコーチがいて、ディレクターがいて、クリエーションのディレクターがいて、間に入ってやりにくい。」とおっしゃっていたことを思い出しました。
思い切ってマリー・エレンのところに話に行きました。すると彼女は私がコーチをしていることを全く知らなかったと言いました。こういうことの引継ぎはされていなかったようです。そして「今度は一緒に見てどうしていくか話しましょう。」と言ってくれました。話してみるものです。
バトンに興味を持ってくれた彼女の意気込みと、もともと彼女が持っている才能が、一番いいところでかみ合うように、なんとかなんとかしていきたいです。それが私の仕事だと思います。
「ノリコはたくさん“技”をしているでしょ。私はできることがあまりないから…」
そんなことも言われました。私は“技”と言えるようなことはほとんどしていないと言うと、
「こういうのとかこういうのとか…」
はあ…。それは彼女にとってはすごいことかもしれませんが、バトントワラーの私にとっては出来ることのほんの一部で、とてもとても“技”と言えるようなことではないのです。
毎日モニターで私の演技を観ている彼女が、その感想を指導し始める前に話してくれたとき、私とフルートとの関係を私が表現したい通りに話してくれたので、そのシーンの意味をよく分かっていると思っていたのですが、実際自分がやることになると、そこで伝えたいもの、心の動きを重視するよりも、自分ができる“技”で魅せたくなってしまうようです。それがトリプルイリュージョンのブラインドキャッチぐらいしてくれるのならそれはそれで意味があるかもしれませんが…。そして彼女にとって新しいことは難しいことで、それをすることが“技”をやっていると思えるようなのです。彼女にとって熟練されたものは観ているほうにとってどれだけ気持ちのいいものか、そこだけが際立ってしまうことなしに自然に演技の中に入って心地よいものかということが分かってもらえません。そして彼女はいい役者でもあり、それを使うことも“技”であるということも分からないようです。
これだけ長くバトンをしてきて、これだけたくさん舞台に立っている私でさえ、ただトスをしてキャッチするだけのことが怖くなることがあるのに、すごいな、自信があって。彼女にとっての“技”をたくさんして、どれだけ心安らかに舞台に立てるのだろう。そしてどれだけ恋を表現できるのだろう。
ピラーティスをしにトレーニングルームに行くと、今日はアーティスティックコーディネーターのマリー・エレンが指導をしていました。私はますます自分の立場が分からなくなっていきました。クリエイションの時に振付家の方が「ここはコーチがいて、ディレクターがいて、クリエーションのディレクターがいて、間に入ってやりにくい。」とおっしゃっていたことを思い出しました。
思い切ってマリー・エレンのところに話に行きました。すると彼女は私がコーチをしていることを全く知らなかったと言いました。こういうことの引継ぎはされていなかったようです。そして「今度は一緒に見てどうしていくか話しましょう。」と言ってくれました。話してみるものです。
バトンに興味を持ってくれた彼女の意気込みと、もともと彼女が持っている才能が、一番いいところでかみ合うように、なんとかなんとかしていきたいです。それが私の仕事だと思います。
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