陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

きりこについて   西 加奈子著

2011-11-08 08:03:47 | 
きりこについて (角川文庫)
クリエーター情報なし
角川書店(角川グループパブリッシング)



取り急ぎ、読んだ本を次から次に忘れるので、旅の話の前に記しておく。

帰り新幹線はおとなしく一人だし、最後の宿も一人。
川柳作りに追われているとは言え、絶対に活字中毒症状が現れ、
川柳マガジン11月号も携えてはいたが、川柳も飽きるに違いないと
薄くてスラスラよめそうな軽い文体で、しかも猫の話だというのでのこの文庫本を選んだ。

娘の写真で作ったお手製ブックカバー
をつけて、荷物に忍ばせた。

ちょうど、帰りの公共交通機関待ち時間から移動時間を楽しませてくれた。
西加奈子氏は時にえげつないと目をそむけたくなるようなシーンを書かれる。
読み終わって、えげつないとこだらけのこの世にある事実をかかれてあるのに、
えげつないと思う自分がえげつないことの事実に気がついた。

あるがままの自分を肯定して生きるに、じゃまな、気になる他人の目。
それがなんだ!と力瘤を入れて書かれているシーンには感動した。
他人を見るフィルターを持ってないようで持っているのが人間。
そのフィルターがあるがままを肯定して自分らしく生きてきた人を
そのフィルターを通した目線の言葉を投げかけられることで
天真爛漫であるがまま生きてきた人を、完膚なきまでにたたき落とす。

恥じらいあって内容は書けないが、
レイプの訴えを、半裸のような服を着て声高に言う女性を、
明らかにその格好が悪いと警官も相談者も言うシーンの反論。

  自分のおっぱいと足が綺麗とおもうからだしてんの。
      それをなんで、襲うてくれ言うてるなんて、思われなあかんの


解説者も特にここに感動したと巻末に書いてあった。
私もしかり。

猫は猫らしく生きて、誰からも咎められない。
小説では可愛いは猫に禁句となっているが、可愛いだけで人はすべてを許している。
かわいいの基準も、どうみてもわけのわからない模様三毛だって、
どんなにデブでも毛が抜けて汚れていても、可愛いと思う飼い主には可愛いにのだ。

小説はのっけからこれでもかこれでもかと
ぶす、それも超ど級のぶすの描写から始まる。
かわいいと両親に言われ続けて、自分はかわいいと信じ込んで大きくなる。
両親は芯から一人娘を盲愛。世間の基準から外れているわが子の姿を本当に可愛いと思っている設定。
親のこういう気持ちが子を素直にに育てるという、
私には遅すぎる教訓。

思春期にさしかかった子供の残酷さで、ぶすと初恋の人にいわれてしまう。

「じぶんのどこがぶすかわからへん」」と悩む。

そしてそれを知って納得してから、猛烈な自己否定が始まる。
ふわ~と花のようなそれも大輪の花のような存在から一気に落ちる。
部屋から出られなくなり昼夜逆転。

この小説は
そんなきりこにずっと寄り添って生きた猫の
シャイさが自分でなく自分史として飼い主を書き綴ったことになっている。

黒子猫は運命的にきりこに拾われ、ラムセス2世と名づけられ。
賢い、そうとう賢い猫である。

うちのモコはどうかな?
時に賢すぎるのでは?と思うこともある。
もしかして、ラムセス2世みたいにシャイな気持ちで自分を語らず
飼い主を主人公に猫半生記を死期を悟った時期に書き出すかもしれない。

あるがままの自分でいることが、世間一般に受け入れ難いとわかり
協調も覚える大人で話は終わっている。

外見や言動やその人のしてきたことの外側容器で人を判断していないか?
ちゃんと中味でつきあっているか?

ないようである自分の色眼鏡にハッと気付かされるうつくしい小説だった。

それから京言葉の表現のやわやかさにうっとりしての帰路。
関西圏の会話の小説は、よけいに『ようおすなぁ~』の世界に導いてくれた。

朝からいただきました。宇治・伊藤久右衛門のかぷち~の

友達がお土産に持たせてくれた
ありがと
元気出たよ~行ってきます




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