何色何番ぴろりろ

何色何番の村井ブログ。人生全て私の宝物にするために生きています。

夏だ

2006-06-06 13:27:35 | Weblog
玄関でたたずんどると
土からミミズが出てきとって
ヌルッとしたのが
ぴかっと太陽に当たって
やたらキラキラッとして
びっくりした。
すげえ干上がりそうでうわあと思った。
文章を読み直して
自分頭悪そうだなと思った。

ナウシカを読み終えて。
気になったのは人の死に方だった。
どうしようもない心の痛みが、いくとこなく暴れて
それを跳ね返すでなく、対抗するでなく
ただ受け止めて命を落とす人がいて
その場が収まるという
ようなシーンがどうにも目に止まった。

痛みというのは
生まれてしまった以上どうにもできんなと思って
痛いことを痛いと言えない
痛いと言ったらまるで
自分弱いですと言っとる気がして
よう言わん
ただの強がりでその場逃れるかといったら
そうでもない
大体弱い強いの言葉で何がどこまで説明できんのか
その計りの針はやたらに丸出しで
弱かったら、そしたら、どうなんだ
という問いに
まともな言葉すら使えん
弱いとダメ
弱いと迷惑

人に言ってきかしとるでなく
それは自己暗示の呪文だ。
気、張って生きようと。
これが世間で言う強いナノか知らん

痛いこと痛いと言わんと
あたししかあたしはおらんのに

あたししか助けられんあたしがおって
そのあたしすら億劫んなって
痛みはまるで自分から望んだかのように
思わすため呪文繰り返す
あたしが悪い
あたしが悪い

言い聞かす自分と
言い聞かせられる自分は別で
なきやまん子に手間取って
仕舞には言い聞かす自分さえなきはじめ

どうしたらいいだろねと
ぼんやりしながら結局誰かにもたれかかって

自分とは別に体温を持つ人があって
落ち着ける。

痛み自体誰かから頂いたものだけど
その痛みすら一緒に受け止めて
とかしてくれる
人がいて。

命拾いした。
ここ2、3日だった。

ようやく誰かがいないと生きていけないことを
理解できるようになってきた


気がする。
コメント
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