何色何番ぴろりろ

何色何番の村井ブログ。人生全て私の宝物にするために生きています。

自分の育ち

2015-02-10 22:50:59 | Weblog
触らないと分からなくなるのですが
私は恋人がいるという経験数が少ないため
それがなくても全然普通に生きます
それが悲しかったり
人と何かを生み出したり育てたりがしたいのに、とひりひりしていたのも
去年の途中まででした
「手に入らな過ぎてもうどうでもよくなった」という表現を乱用していたように思うけど
「手に入らなくても生きていけることが残念」なのではなく
「実際生きている」ことが何より私の強さを確固たるものにしました
経験はこんな風にも降り積もる
最近私は「知る」ことの面白さばかりな気がする
味を知るというか
美味しくないものも美味しいものもすべて
言葉の意味を味わい知るような
ここまで生きてこないと分からない言葉や味わいがあるのだと
その楽しさ
ただ楽しいわけじゃない
これはどの字や言葉が当たるのかな

20代の無敵感からは思いもよらない敗北感が30過ぎにはあって
やっとこきちんと限界を見極められるところもある
無責任なことをする歳でもない、そこまで見えてないこともない
10代は保護管理下にあるからもっと無敵感があった
30代は身の程を知ることが苦痛でもない
なんならやっと自分の規格が分かって適した場所を選べるのかもしれない
そういう面白さ
先をやっと臨める様な
視野のちっこいギョワーとしたものに全感覚絞られるのとか面白かったけど
なんかそういうことしたいんじゃないのな
もっと難しくて、でも考えると面白いことの方に気がいくの
作業としては小さいことの積み重ねで全然いいの
派手なことしたって満足するのは一時で結局快楽でしかなくて
その返りでもらう興ざめという冷えの方が恐ろしいから
やったった感なんていらんから

恋人や好きな人ができたら自分は死ぬほどあほになるだろうと感じていて、ホラーだ
今考えてる面白さとか積み上げとかがどっかに飛んで行ってしまう恐れがある
わからなすぎて
だからこそ学びになるのかもしれないが
「好きだ」と死ぬほど気持ち注ぎ込むようなむちゃくちゃさは、今の私にはないから
面白くなさそうなのだ
そう、興味がわかなくなった
端的に言うと
「俗っぽいものに囚われる自分を想像したら絶望的」なのだ
自分を高尚だと言いたいのではないんだけど
「せっかくここまできたのに」感
まさかこんなところにたどり着くとは思ってなかった

最近やっと気が付いたのだけど
恋人同士と言うのは
たとえ結婚しててもどこでもイチャイチャするんだということ
小人数でしかいないところでやられるといたたまれなさが噴出し存在を否定されてるようで吐きそうになりますが
もう、誰でもそうだということが分かったので
吐きそうな世の中の方が当たり前だということにしました
だからかもしれない
ああいう閉鎖的なものにはなりたくないのかもしれない
なんだかとってもグロテスクで
深海魚気持ち悪いとか言うけどあれは形態や生態規格が違うだけで
生態規格が同じでも、中身見せられてるような方がよっぽど気持ち悪い
見たくて見るのはいいんだけど…

あと最近「犬は飼えないな」と思い始めた
犬かわいすぎて元気すぎてしんどい気がする
「ごめん」て思いそうで、ちょっとほっといてくれそうな猫がいいとか考えるようになった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする